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白毛馬ソダシの吉田隼人にとってオークスが特別である理由と、兄との関係とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
桜花賞勝ちのソダシと吉田隼人騎手(写真;アフロ/日刊スポーツ)

兄に相談してもツレない対応

 今週末、東京競馬場では牝馬クラシック第2弾のオークス(GⅠ)が行われる。

 ここで1番人気を予想されるのがソダシ(牝3歳、栗東・須貝尚介厩舎)だ。昨年、阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を勝ち、JRA賞最優秀2歳牝馬に選出されると、今春は3歳初戦となった桜花賞(GⅠ)も優勝。デビューからここまで負け知らずの5戦5勝。同世代の牝馬では唯一のGⅠ勝ち馬なのだから、1番人気は必至だろう。

 そんなソダシと5戦全てでコンビを組んでいるのが吉田隼人騎手だ。デビュー18年目、37歳の彼にとって、オークスは特別な思い入れのあるレースだった。

 彼には兄が2人いるが、8つ離れた次男がいた。同じく騎手をしている吉田豊だ。その豊がGⅠを勝つのを見て、自らも同じように活躍したいと思い、この道に進んだ。しかし、デビュー年の2004年は僅か3勝。理想の前に立ちはだかる現実の壁の前に悩んだ。

 「兄に相談しても『頑張るしかない』というような返事ばかりで、正直、どうして良いか分かりませんでした」

 デビュー当初、この兄弟を誘って3人で食事をした事があるのだが、その時も隼人は言っていた。

 「こうやって誘っていただかないと兄と食事をする事なんてありません」

 兄弟は不仲なのか?と思ったものだ。

デビュー当初の吉田隼人騎手
デビュー当初の吉田隼人騎手

奮起した出来事と悲願のGⅠ制覇

 そんな隼人を奮起させる出来事が、2年目、そして3年目にあった。2年目の秋、彼とコンビを組んで2勝を挙げたアポロノサトリが朝日杯フューチュリティS(GⅠ)に出走した。しかし、その時点で吉田はGⅠに騎乗するために必要な通算30勝に達していなかったため乗り替わりとなった。これには「規定だから仕方ない」と諦めるよりなかったが、翌06年の出来事には唇を噛んで語った。

 「4月には初めて重賞を勝つ(ロフティーエイムによる福島牝馬S)などして、30勝にも達しました。でも、その後、アポロノサトリがGⅠに再挑戦した際、また乗り替わりになってしまいました。まだデビュー3年目だったので、今なら理解出来るけど、当時としてはショックでした」

 しかし、そんな苦い思いが、反骨精神に火をつけたのか、この年を境に吉田は一気に成績を伸ばす。3年目が60勝、4年目は73勝と見違える活躍をした。その4年目の07年にはアグネスアークを駆って天皇賞(秋)(GⅠ)で2着すると、2年後の09年にはフォゲッタブルで菊花賞(GⅠ)を2着。大舞台でも見せ場を作るようになった。

 「でも、勝つまでにはまだ時間がかかりました」

 ついに大願を成就したのは15年。ゴールドアクターで有馬記念(GⅠ)を制し、自身初のGⅠ制覇を成し遂げた。

15年有馬記念をゴールドアクターで勝利。吉田にとって念願の初GⅠ勝ちとなった
15年有馬記念をゴールドアクターで勝利。吉田にとって念願の初GⅠ勝ちとなった

白毛馬で桜花賞を制し、オークスに挑む

 それから5年後の昨年、出合ったのがソダシだった。冒頭で記した通りデビューから連戦連勝でまずは阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を優勝。これが自身2つ目のGⅠ制覇となった。

 「白毛でただでさえ注目度が高かったのでプレッシャーがありました。その中で勝てて良かったです」

阪神ジュベナイルフィリーズのゴール前
阪神ジュベナイルフィリーズのゴール前

 こうして迎えたのが前走の桜花賞だった。

 「阪神ジュベナイルフィリーズの時は、夏に北海道で使った後、ずっと厩舎にいたせいか少しテンションが上がり気味でした。でも、桜花賞の時はその前に放牧に出した成果か落ち着きがありました。いつもと違う事はしたくないので馬場入り後すぐにキャンターにおろしたけど、歩かそうとすれば歩けたと思います。それくらいリラックスしていました」

 好スタートを決めたがハナには行かず好位に控えた。

 「行く馬がいなければ逃げても良いと思っていたけど、他が行けば控えるつもりでした。ただ、最初から控える姿勢を見せると内枠(4番)でもあり後手に回りかねないので、序盤は主張して出しました」

 長い向こう正面では力む場面があった。

 「競馬になると真面目にハミ取ります。1ターンの外回りなので壁を作りながらなだめました」

 結果、その手綱捌きが最後にモノを言った。4コーナーでの手応えは抜群で「抜け出した時は他の馬との差が開いたのも分かったから押し切れる」と思ったそうだが、ラスト100メートルを切って後続との差が一気に詰まった。

 「『あれ?』っと思ったけど、前半でしっかりためた分、粘り込めました」

 桜の女王を駆って次に挑むのは樫の女王の座だ。舞台は東京の2400メートル。1冠目とはまるで違う条件になる点をどう考えているのか?

 「距離もですが坂も長いし、タフな競馬になりますね。コーナーも直線も長いので折り合いがカギになるし、前で競馬が出来るといってもオークスは意外と中団くらいが良いかとも思うし、悩みどころです。スタミナはあるけどガンガン行ってしまっては後ろの思うつぼになってしまうので、ペースと位置取りを考えながら燃料切れにならないように走らせようと思います」

阪神JF直後のソダシと吉田隼人。「オークスは燃料切れにならないように走らせます」と吉田は言う
阪神JF直後のソダシと吉田隼人。「オークスは燃料切れにならないように走らせます」と吉田は言う

オークスが特別な理由。そして兄との関係

 隼人が13歳の時、兄の豊がメジロドーベルでオークスを勝った。その勇姿を見て「自分も兄貴みたいに格好良くなりたい」と騎手を目指すようになった。体重が軽過ぎて競馬学校には2度落ちた。それでも兄への憧れが薄れる事はなく、3度目の受験でついに合格。3年後、兄と同じ土俵に上がった。最初は勝てず、兄に相談してもツレない返事しかもらえなかった事は先述した。当時の話を兄の豊が述懐する。

 「隼人はデビューしたばかりで全く経験がないわけですからね。細かい事を言っても一朝一夕に上手になるわけでもないし、簡単に成績が伸びるわけでもありません。とにかく地道に頑張って、経験を積むしかないと思ったから余計な事は言いませんでした」

 豊は弟を突き放したわけではなかったし、まして2人が不仲だったたわけでもなかった。今回、桜花賞を勝った直後にも祝福の電話がかかってきたそうだ。

 「『おめでとう』と言ってもらえました」

 そう言った隼人は更に続けた。

 「でも『ソダシは(メジロ)ドーベルの時のキョウエイマーチみたいだね』と言われました」

 「それじゃオークスは負けちゃうじゃん!!」と言いながら、隼人は笑った後、更に続けた。

 「ソダシなら大丈夫です」

 兄が2度制しているオークスで、24年越しの兄弟制覇が達成される事を願いたい。

吉田豊(左)と隼人兄弟(コロナ禍前に撮影)
吉田豊(左)と隼人兄弟(コロナ禍前に撮影)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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