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シーザリオ死す。角居勝彦と福永祐一の米国遠征時のエピソードと彼女が残したモノ

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2005年アメリカンオークスを勝った直後のシーザリオと福永祐一騎手

勇退する調教師と星になった名牝

 シーザリオが星になった。

 2月27日、動脈断裂による出血性ショックのため、供用先のノーザンファームで彼女が息を引き取った事を翌28日、JRAが発表した。

 2005年にオークスを優勝すると返す刀でアメリカへ飛びアメリカンオークスも優勝した。いきなり話は逸れるがこれを“日米オークス制覇”と表す人もいるが、アメリカンオークスのアメリカンはスポンサーであるアメリカン航空の事。かの地のトリプルティアラに於けるオークスはあくまでもCCAオークスなので、この日米オークスという表現は誤用と言わざるを得ない。

 閑話休題。シーザリオは競走成績が優秀なだけでなく、繁殖牝馬としても3頭のG1馬を出すなど、一流の血を紡いでみせた。自身に加え、それらG1ホースもいずれも管理したのは角居勝彦。彼の勇退と時を同じくして逝ってしまった名牝の足跡を改めて振り返ってみよう。

繁殖時代のシーザリオ
繁殖時代のシーザリオ

究極の選択の結果

 父スペシャルウィーク、母キロフプリミエールの間に、2002年に生まれた青毛の牝馬がシーザリオ。04年12月に福永祐一を背にデビューすると、その新馬戦を快勝。当時、福永に話を聞くと、騎乗に至る逸話を教えてくれた。

 「この少し前、琵琶湖の湖畔にあるホテルで行われた角居厩舎の忘年会に呼んでいただきました。その席で『あまり厩舎の力になれずすみませんでした』と言うと、角居先生から『こちらこそ祐一君に貢献出来ずごめんなさい』と返されました。その直後に依頼されたのがシーザリオでした」

 先述した通りデビュー戦を勝利したシーザリオは、その後、フラワーC(G3)まで3連勝。無敗で桜花賞(G1)に臨んだ。しかし、ここで1つ、問題が起きた。福永のもう1頭のお手馬であるラインクラフトも桜の女王を目指し同じ舞台に歩を進めて来たのだ。

 話は更に2年前に遡る。03年、牡馬クラシック戦線を前にやはり福永のお手馬が重なった事があった。結果、エイシンチャンプを選択したが同馬は皐月賞(G1)で3着に敗れると日本ダービー(G1)は10着。以降、G1戦線からは外れていく。これに対し、選択しなかった方のネオユニヴァースは皐月賞とダービーの2冠を制覇。3冠馬になろうかという活躍をみせた。これには当時「祐一の選択ミス」という声も囁かれたが、鞍上はかぶりを振って旗幟鮮明に言った。

 「先に騎乗依頼をいただいていた方を選んだだけです」

 自分の欲よりも人との繋がりを優先した。この姿勢はその後も変わらなかった。だから10月から依頼されていたラインクラフトで桜花賞に挑戦した。

 その桜花賞ではシーザリオが1番人気に推され、ラインクラフトは2番人気。しかし、競馬の神様は福永の真摯な態度にご褒美を与えた。スタートからスムーズに流れに乗れなかったシーザリオが急追するもアタマ差届かず、ゴール板を先頭で粘り込んだのはラインクラフトの方だった。

 福永の誠実な態度を見てくれていたのは周囲の大人達も同じだった。ラインクラフトを管理する瀬戸口勉(故人)は同馬の次走をシーザリオと被らないようにNHKマイルC(G1)とした。当時はまだ桜花賞→オークスというのが3歳牝馬の既定路線と思われていた時代。画期的な進路変更だった。また、シーザリオの角居も、再び福永に戻しやすいように、桜花賞ではその鞍上に公営の騎手を据えていた。

 自らの真っ当な姿勢によりラインクラフトでNHKマイルCを勝った福永は、オークスでは再びシーザリオに跨る事が出来た。

桜花賞馬ラインクラフトはオークスではなくNHKマイルCへ向かい優勝した
桜花賞馬ラインクラフトはオークスではなくNHKマイルCへ向かい優勝した

 「路線次第ではもう2度と乗れなくなると思ったのに、ありがたいです」と福永が言えば、角居は次のように言った。

 「また祐一君に乗ってもらえる。ありがたいのはこちらの方です」

 固い信頼関係で結ばれた2人の想いを乗せたシーザリオは、ゴール寸前、見事に差し切り樫の女王に昇華した。

 しかし、当時のパートナーに笑みはなかった。

 「もっと楽に勝たないといけない競馬でした。僕のせいで厳しい競馬をさせてしまい辛勝になってしまいました」

 だからこそ「次は絶対に快勝しなくてはいけない」と誓い、太平洋を渡った。

オークスで再びコンビを組んで優勝したシーザリオ
オークスで再びコンビを組んで優勝したシーザリオ

アメリカ遠征で偉業達成

 5戦4勝2着1回というほぼ完璧な成績で海を越えたシーザリオ。後に国境を越えて数々の偉業を成し遂げる角居だが、これが開業後初となる海外挑戦だった。今は無きハリウッドパーク競馬場で行われるこのレースに、前年、ダンスインザムードで挑戦した藤沢和雄から、事前に情報を収集した。結果、輸送用のストールの壁四方にマットを敷き詰めるなど、工夫を凝らして西海岸に乗り込んだ。一緒に現地入りしたのは当時、角居の下で調教助手をしていた岸本教彦。主戦騎手とは乗馬苑、競馬学校と共に過ごした間柄。当時を述懐した。

 「競馬学校時代、祐一と一緒にアメリカの競馬雑誌を見ながら『いつかこんな所の競馬に参戦したいな……』なんて話していました。実現したからには好結果を残したいです」

当時角居厩舎の岸本調教助手を乗せ、アメリカで調整されるシーザリオ
当時角居厩舎の岸本調教助手を乗せ、アメリカで調整されるシーザリオ

 レースの約2週間前に現地入り。当初は長旅のせいで「ショボンとして見えた」(岸本)し「多少イレ込んだ」(角居)が、3日前の最終追い切りで福永が乗る頃にはすっかりリカバリーしていた。

 「落ち着いていたし、見た目も動きも良い感じでした」

 7月3日、アメリカンオークスの日がやってきた。西海岸らしい陽光の降り注ぐ下、パドックに現れたシーザリオに、角居と福永が視線を向ける。「あとは祐一君に任せる」と言い、角居が送り出すと、福永は「スタートだけ気をつけます」と言って、馬場へ向かった。

 12頭立ての大外枠からスタートを決めた。逃げるのか?!という勢いで飛び出したが、最初のコーナーで内の馬を先に行かせると、上手に3番手におさまり、追走した。1200メートル1分11秒台の流れが動いたのは3コーナー。鞍下に合図を送り、福永が前を捉まえに動くと、3コーナー過ぎ、日本からの挑戦者は先頭に躍り出た。

 「少し早過ぎないか……」

 その様を見て角居はそう感じた。しかし、福永は以前、先輩騎手から聞いた言葉を支えに自信を持って動いたのだった。

 「『3コーナーとか4コーナーではなくて、どの競馬場へ行っても2000メートルは2000メートル』と横山ノリ(典弘騎手)さんに言われた事を思い出し、小回りのこの競馬場ならここから行っても決して早くはないと考えて進出しました」

福永にいざなわれ直線、完全に抜け出したシーザリオ
福永にいざなわれ直線、完全に抜け出したシーザリオ

 完璧だった。直線、アメリカらしく本来の発音である「シザーリオ!!」と連呼されて伸びた日本のオークス馬は、後続との差を開く一方。最後は5馬身近い差(公式記録は4馬身も実際にはそれ以上の差があった)をつけて先頭でゴールに飛び込む。それは北米のJRA賞に該当するエクリプス賞で、最優秀3歳芝牝馬部門にノミネートされるほどの圧勝劇。福永の真面目な態度が自らに良い形で返って来た好例であり、その姿勢は後に彼がリーディングを取るほどの名手へと育っていく礎となるのだった。

 また、礎という意味では角居も次のように語っている。

 「シーザリオほどの馬で失敗すれば、スタッフの士気も下がっただろうし、私自身、海外遠征に慎重になったと思います。そうなればその後の海外でのG1勝ちもなかったでしょうね。そういう意味では後の角居厩舎の実績にも大きく影響した大きな勝利だったと思います」

アメリカンオークスを制し握手をかわす若き日の角居と福永
アメリカンオークスを制し握手をかわす若き日の角居と福永

 繁殖に上がった彼女はジャパンCなどを勝つエピファネイアの他、リオンディーズやサートゥルナーリアといったG1馬の母となる。そして、エピファネイアはシーザリオと同期の桜花賞3着馬デアリングハートの仔デアリングバードとの間に昨年の3冠牝馬デアリングタクトを、リオンディーズは先日サウジアラビアでサウジダービーを優勝したピンクカメハメハを世に出した。シーザリオは世を去り、角居も表舞台を退く事になったが、その遺産はまだまだ日本の、いや、世界の競馬界に影響を与えていく事だろう。

口取り直後のシーザリオ。左にみえる角居はシーザリオが死んだ翌日の競馬を最後にJRAを去ったが、彼とシーザリオが残したモノはこれからまだ競馬界に広がって行く事だろう
口取り直後のシーザリオ。左にみえる角居はシーザリオが死んだ翌日の競馬を最後にJRAを去ったが、彼とシーザリオが残したモノはこれからまだ競馬界に広がって行く事だろう

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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