Yahoo!ニュース

武豊を背に札幌記念を優勝した馬。同馬にみる思わぬ幸運からつながれたバトン

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2013年の札幌記念を優勝した直後のトウケイヘイローと武豊

開業後、初の重賞制覇

 今週末、札幌記念(G2、芝2000メートル)が行われる。レース名でも分かるように舞台となるのは札幌競馬場。しかし、7年前の2013年、同競馬場のスタンド改修に伴い、函館競馬場で行われた事があった。この時、優勝したのはトウケイヘイロー(栗東・清水久詞厩舎)。騎乗したのは武豊だった。

13年札幌記念のゴール前
13年札幌記念のゴール前

 トウケイヘイローがデビューしたのは11年。当時、開業してまだ3年目だった清水は、同馬の最初の頃の印象を次のように語った。

 「馬っぷりは良かったけど、少しヤンチャな面が勝っているタイプでした」

 7月の終わりに新潟競馬場の芝1400メートル戦でデビューさせると、いきなりこれを快勝。2歳のうちに2勝を挙げて朝日杯フューチュリティS(G1)に挑戦し、4着に好走した。

 「G1では負けてしまったけど、坂を駆け上がって来る時は一瞬『やったか?!』と思える走りぶりで、見ていて鳥肌が立ちました」

 そう述懐した清水だが、同時に眉間に皺を寄せて、次のように続けた。

 「ただ、3コーナーあたりでは掛かって行ってしまいました。この競馬をみたら短い距離の方が向いていると思いました」

 そこでその後は1400~1600メートルまでに徹して走らせた。結果、4歳となった13年、ダービー卿CT(G3、芝1600メートル)を優勝。これはトウケイヘイローにとっては勿論、厩舎にとっても初の重賞制覇となった。

11年、朝日杯フューチュリティS(G1)出走時のトウケイヘイロー
11年、朝日杯フューチュリティS(G1)出走時のトウケイヘイロー

思わぬ形で路線変更

 そこで清水は「その後はマイルの頂上決定戦である安田記念を目標にした」。ところが、ここで思いもよらぬ運命の振り子が動き始める。清水は言う。

 「安田記念に出走予定の馬を見渡すと、どうも除外になってしまう事が分かりました」

 順調に仕上げていただけに、清水は頭を抱えた。仕方なく、翌週の自己条件のマイル戦に目標を切り替えるのだが、この時、トウケイヘイローのその後を大きく左右する一つの幸運が訪れるとは、まだ誰も知らなかった。

 「安田記念の次の週の準オープンに走らせようと思いました。ただ、安田へ向けて良い感じで仕上がっていたので、同じ週の鳴尾記念にも一応、登録はしました。2000メートルは長いと思ったけど、下手に1週延ばすよりも良いかと考えたのです」

 最終登録となるレース2日前の木曜日。鳴尾記念なら出走可能という事が判明した。しかも、そこなら武豊が空いているので乗れるという。そこでオーナーに相談すると「是非、使いましょう」との返答が来た。こうして、トウケイヘイローはデビュー後約2年、実に15走目で初めて1600メートルを超える距離を使われる事になった。レース直前、清水はナンバー1ジョッキーに次のように声をかけたと言う。

 「『カッとして行ってしまうような面があるので、正直2000メートルは少し長いと思います』と伝えました」

 ところが、道中のトウケイヘイローを目で追う清水は舌を巻いた。

 「どれだけ掛かっちゃうかと思っていたのに、2番手で折り合っていました。『さすがユタカさん!!』と思いながら見ていました」

清水久詞調教師(コロナ禍前に撮影)
清水久詞調教師(コロナ禍前に撮影)

 向こう正面に入ると先頭に立ち、その後、2番手を引き離した時には「やっぱり行っちゃったか……」と思った。しかし、そこから先がまた指揮官の予想とは違った。1度は後続との差が詰まったものの、天才騎手にいざなわれた快速馬はそこから再びエンジンに火を点した。結果、2着に1と4分の1馬身の差をつけ、先頭でゴールに飛び込んだ。

 「トウケイヘイローの人生を大きく変える勝利でした。上がって来るユタカさんにすぐ『次は函館へ行きましょう!!』と声をかけました」

武豊騎手
武豊騎手

つながれたバトン

 こうして次走で函館記念(G3)を走るとここも快勝。更に続く1戦で札幌記念に出走した。冒頭で記した通りこの年の札幌記念は函館競馬場で行われた。つまり、函館記念と全く同じ舞台。馬場状態は“良”から“重”に変わったが、終わってみればむしろそれがかえって良かったか。トウケイヘイロー&武豊のコンビは2着に6馬身もの差をつけて悠々と逃げ切り、重賞3連勝で札幌記念を制してみせた。

 「鳴尾記念に送り込んだ時と違い、2000メートルの重賞を連勝していたので、当然、期待していました。でも、思った以上に強かったですね。それもこれも全てユタカさんがこの馬の素質を開花させてくれた結果だと思いました」

 そう語る清水は、厩舎の創成期の活躍馬について次のように続けた。

 「まだ全国区でなかった僕の厩舎の名を広めてくれたのがトウケイヘイローでした。馬とユタカさんには感謝しかありません」

 トウケイヘイローはその後、香港、ドバイ、シンガポールにも遠征。香港カップ(G1)では2着(13年)と善戦。若き日の清水が「厩舎の名を広めてくれた馬」と語るのも頷ける。

香港カップ(G1)を2着した際のトウケイヘイロー
香港カップ(G1)を2着した際のトウケイヘイロー

 また、同馬と築いた武豊とのバトンは、後にキタサンブラックへとつながれていく。果たして今年の札幌記念でも、後々につながる別の物語が生まれるだろうか。週末の札幌での熱戦に注目したい。

トウケイヘイローで確立された清水と武のコンビはその後、キタサンブラックへとつながれていった
トウケイヘイローで確立された清水と武のコンビはその後、キタサンブラックへとつながれていった

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

平松さとしの最近の記事