Yahoo!ニュース

武豊騎手4200勝にオリビエ・ペリエ騎手からもお祝いの言葉が!!

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
大親友という関係性もある武豊とオリビエ・ペリエ(2015年、英国で撮影)

4200勝達成に思う

 8月9日の札幌競馬場。第7レースを勝利したのはドゥラモット。手綱を取った武豊はこれがJRA通算4200回目となる勝利だった。

 2007年7月21日に岡部幸雄元騎手を抜くJRA通算2944勝を達成。以降、1つ勝つたびに新記録を更新し続けている日本のナンバー1ジョッキーがまたもや金字塔を打ち建てたわけだ。ちなみに同じ日、海の向こうフランスではモーリスドギース賞(G1)が行われた。1998年にこのレースを優勝したのが武豊。コンビを組んだのはシーキングザパール(栗東・森秀行厩舎)で、これが日本調教馬による史上初めての海外G1勝利だった。

2007年にJRA記録となる通算2944勝を挙げて以降は1勝ずつが全て記録更新となっている
2007年にJRA記録となる通算2944勝を挙げて以降は1勝ずつが全て記録更新となっている

 また、前日は本来ならイギリスで世界各国から名騎手を招いてシャーガーCが行われる予定だった。毎年、日本からも1ないし2名の騎手が選出されるが、過去に最も多く声がかかっているのが、当然、武豊だった。

 結局、おりからの新型コロナ騒動で今年はイベントそのものが中止。予定通り開催され、もし彼が渡航する事になっていたら、今回の日程での記録到達はなかったわけだ。

 というか、これら2つの例からも分かるように、通常なら彼は世界中で活躍しているのだから、コロナ禍がなければ今年もあちこちへ行っていたはずだ。つまり、個人の意思だけで動いてはいけないという現状と、それを遵守する常識人としての態度が、この日程で記録を達成させたわけだ。

フランス、イギリスの往復にユーロスターを使った事も
フランス、イギリスの往復にユーロスターを使った事も

偉業達成にも本人は淡々と語る

 ここで改めて今回の記録の素晴らしさに注目したい。様々なスポーツに記録はつき物だが、中でも日本が誇る世界記録と言えばプロ野球・王貞治選手が樹立した868本の通算ホームラン記録だと個人的には思っている。現在、年間40本のホームランを放つ選手は毎年何人もおらず、数えるほど。30本台のキングも珍しくないし中には20本台でのホームラン王が生まれた年もある。そんな中、毎年40本打っても21年以上必要なのが王選手の記録だ。生まれたばかりの赤ちゃんが成人になるまで、常にトップでいなければ到達出来ない記録なのだ。

 この話を4200勝ジョッキーにしたところ「いやぁ、本当に凄い記録ですよね」と舌を巻いていたが、いやいやご本人の樹立した記録もそれに匹敵するとんでもない数字なのである。毎年200勝して21年間もかかるのが、この記録なのだ。今回、電話で祝福をすると、しかし、本人は至って冷静にさらりと言った。

 「とくに実感はないですけどね」

2018年撮影
2018年撮影

海外へ行きながらの記録達成が持つ意味

 改めて今回の記録の素晴らしいところは、日本国内にとどまって重ねられたわけではない点である。00年にはアメリカ西海岸に、01、02年にはフランスにそれぞれベースを置いて現地の競馬に長期参戦。それ以外でも毎年、欠かさずに海外挑戦を継続。ようするに日本を留守にしている期間も長い中での記録達成なのだ。過去のメモリアル勝利の際、彼とそんな話をした事がある。海外遠征の期間もまるまる日本にいたら、何年早く記録に達していたでしょうね?と聞いた私に対し、天才ジョッキーは次のように答えた。

 「物理的にはそう思えるかもしれませんけど、海外で学んだから勝てたというレースも沢山ありますからね。ずっと日本にいたら逆にもっと時間がかかっていたかもしれませんよ」

今年はフルフラットに騎乗してサウジアラビアで日本人騎手初勝利を挙げた
今年はフルフラットに騎乗してサウジアラビアで日本人騎手初勝利を挙げた

 4200勝達成翌日の10日には盛岡競馬場で行われたクラスターカップをマテラスカイによって制した。勝利騎手インタビューでマイクを向けられると「馬は落ち着いていたけど、僕が久しぶりにお客さんの前での競馬だったので緊張した」と笑わせた後、歓声は聞こえましたか?と問われると真顔になって言った。

 「やはり、お客さんに見に来ていただいてこそ競馬かな、と思いました」

 翌朝「さすがのコメントでしたね」と伝えると、彼は答えた。

 「本音ですよ。やっぱりファンの皆さんに見てほしいし、見てもらっている中で乗りたいです」

 本来なら通常だったはずの競馬に、1日も早く戻って来てほしいと願う気持ちの分かる口調でそう言った。そしてそれは海の向こうの競馬に懸ける想いでもあると思われた。

 「そうですね。海外でも普通に乗りたいですね」

10日にはマテラスカイでクラスターCを優勝(撮影;横川典視)
10日にはマテラスカイでクラスターCを優勝(撮影;横川典視)

海の向こうからも祝福の声

 勿論、ただ渡航をしたいという願望ではない。常に向上心を持ち続けている男だから、海外遠征も自らが上手くなるための手段だと考えている。以前、海外での騎乗について次のように語っていた事がある。

 「トリッキーな競馬場も多いし、日本にはないタイプのジョッキーも沢山います。そういう中で乗る事は、自分の中のひきだしを増やしてくれます」

 日本の競馬場しか知らないと仰天するようなコースが、世界中にあるのは事実だ。また、L・デットーリを始めとした世界の名手がユタカタケに一目置いているのもまた事実である。海外の名手と切磋琢磨した経験が、4200分のいくつかに貢献しているのは間違いないだろう。

 彼に影響を与えたある外国人騎手との間には、こんな逸話がある。18年10月にJRA通算4000勝を達成した武豊はその直後、フランスへ飛んだ。サンクルー競馬場で行われたレースを勝利すると、敗れたジョッキーから声をかけられた。

 「『これが4001勝目だね!!』と言われたので『それは違う』と答えました」

2018年、サンクルー競馬場で勝利した武豊(中央赤帽)と、敗れたペリエ(左の桃帽)
2018年、サンクルー競馬場で勝利した武豊(中央赤帽)と、敗れたペリエ(左の桃帽)

 武豊は当時、笑いながらそう言った。この声をかけてきたのが日本でもお馴染みのオリビエ・ペリエだった。今回のメモリアル勝利を耳にしたペリエは、当方に「ユタカに伝えて」とメールを送ってきた。そこには次のような文面が記されていた。

 「4200勝はアメージングだね。ユタカさんはワンダフルなジョッキーでスーパースターで、僕の大切な友達でもある。だからこの記録達成は僕にとってもハッピーな出来事さ。そして、これからもラブリーな未来と新記録更新がやって来る事を信じているよ」

 私からも改めて祝福した際の4200勝ジョッキーの言葉を最後に記して今回の記事を〆よう。「おめでとうございました」と伝えた当方に、現役でいながら伝説となっているジョッキーは言った。

 「まだまだ行きますよ!!」

画像

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

平松さとしの最近の記事