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武豊が語るダービーでディープインパクトを襲った唯一のピンチとは

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2005年の日本ダービーを優勝したディープインパクトと武豊騎手

天才騎手の語るキズナがダービーを勝てた思わぬ理由

 2013年の日本ダービー(G1)を制したのは武豊騎乗のキズナ(栗東・佐々木晶三厩舎)。日本のナンバー1ジョッキーにとって実に5度目となるダービー制覇となった。

2013年の日本ダービーを勝利した直後のキズナと武豊
2013年の日本ダービーを勝利した直後のキズナと武豊

 彼がこの馬に初めて跨ったのは2歳のラジオNIKKEI杯2歳S。初騎乗となったこのレースではエピファネイアの3着に敗れた。武豊は当時を次のように述懐する。

 「良い馬とは思ったけど、正直、この時点ではダービーを勝てるほどの能力があるとは感じませんでした」

 3歳の初戦となった弥生賞(G2)は5着。後方から良く伸びて勝ち馬との差は僅か0秒1。この6日後に武豊はドバイワールドカップの前哨戦に騎乗しており、その際、ドバイで弥生賞の話題になったのをよく覚えている。皐月賞(G1)と同じ舞台のG2で目立った末脚を使ったため「今後に目処の立つ好い内容だったのでは?」と聞いた私に対し、天才ジョッキーは希望と絶望が混ざったような複雑な表情で答えた。

 「確かにそれはそうなんですけど、皐月賞の出走権を獲れなかったのは痛いですね……」

 実際、皐月賞には出走出来なくなった。しかし、禍福は糾える縄の如し。G1に臨めなかった事がかえって吉と出る。“仕方なく”毎日杯(G3)を使うとこれを快勝。ダービーまでの期間が開いてしまうのをおそれ京都新聞杯(G2)にも出走すると連勝した。この結果に、武豊は語った。

 「毎日杯と京都新聞杯に乗れた事で、キズナにはどういう競馬の組み立て方が合っているかを把握出来ました。もし皐月賞に出走していたらダービーは違う乗り方で違う結果になっていたかもしれません」

 違う結果とはすなわち勝てていなかったかもしれないという事。まさに人間万事塞翁が馬。何が良い方へ向かうかは人智では計り知れないものなのである。

キズナの日本ダービー(中央白帽)
キズナの日本ダービー(中央白帽)

史上最強馬と臨んだ三冠レース

 思えばキズナとタッグを組んだのもそもそもが前任者の大怪我による乗り替わりだったわけだが、声がかかったのは偶然ではなかった。これ以前にもダービーを4勝するなど、実績を残して来た日本一のジョッキーである事はもちろんだが、キズナの父・ディープインパクトのパートナーであった事実も、武豊に白羽の矢が立った理由の一つだった。

ディープインパクトと武豊
ディープインパクトと武豊

 ディープインパクトについては細かい説明は不要だろう。通算成績は14戦12勝、2着1回。凱旋門賞(フランス、G1)こそ失格となってしまったが、国内の成績はほぼパーフェクト。05年にはシンボリルドルフ以来史上2頭目となる無敗の三冠馬となると、翌06年にはジャパンC(G1)や有馬記念(G1)など更に4つのG1を制覇。JRAタイ記録となる7つのG1に勝利した名馬で、それから干支がひと回り以上経った現在でも彼を“史上最強馬”という人は数多い。かく言う主戦ジョッキーも次のように語る。

 「もちろん自分の中でも特別な馬です。デビュー前の調教で初めて跨った時点で『ついに出た!!』って思えた馬で、実際に周囲の人達にはその思いを伝えていました。彼の走りを『飛んだ』と表現したけど、それも大袈裟に言ったつもりはなく、感じたままを言ったまでです。本当にそれくらいに思える馬でした」

 それほど抜けた馬ならピンチと思えるシーンは全くなかったのだろうか?

 三冠初戦の皐月賞では、スタート直後に大きく躓いた。せいぜいそれくらいか?と問うと、次のような答えが返ってきた。

 「そうですね。後から考えるとあれは最大のピンチだったかもしれません。1番人気で落馬したノーリーズンの菊花賞(02年)が頭を過ぎりました。もしあそこで落ちていたら三冠馬にはなれなかったわけですからね」

皐月賞を制した時のディープインパクトと武豊
皐月賞を制した時のディープインパクトと武豊

 ここでひと息入れた後、三冠最後の関門、菊花賞でもピンチがなかったわけではないと続けた。

 「菊花賞は前半に行きたがったので『このままでは厳しい』と思いました。ディープインパクトのパワーで行きたがるわけだから抑えるのは大変でした。普通の馬であれだけ掛かったら最後はスタミナ切れになっていたでしょう」

快勝したダービーでの思わぬピンチとは……

 さて、では日本ダービーはどうだったのだろう? 3歳の頂上決戦となる東京2400メートルでディープインパクトは単勝1・1倍の圧倒的1番人気に推された。経験豊富な武豊をしてもプレッシャーがかかっただろう。それが何某かのピンチにつながりはしなかったのか? 武豊は言う。

 「もちろんそれなりにプレッシャーは感じました。『これで負けたらどうなっちゃうんだろう?』と考える事もありました。ただ、パドックでディープに跨った時に『大丈夫』と思えました。少しイレ込んではいたけど、あとは一つ一つ丁寧にこなしていけば大丈夫だと思えたんです」

 そして、実際に思い描いた通りのルーティーンをこなすようにした。パドックでの周回。馬場入り。返し馬。輪乗り。クライマーがハーケンの位置を一つずつ確かめながら打ちつけて頂上を目指すように、それぞれの段階ごとに確認事項を頭に入れてディープインパクトを頂上に導く作業をした。ゲートイン。スタート。道中のコンタクト。一つ一つを丁寧にこなすという意味では全て同じだった。こうして最終コーナーをカーブし、追うと……。

 「飛んだ」

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 つまり日本ダービーではピンチらしいピンチはなかったのですね?と改めて聞くと「はい」ときっぱり。しかし、ここで何かを思い出すように「あ!」と言うと「あえて言えば……」と笑いながら語り出した。

 「あえて言えば、最大のピンチは待避所にいた時ですかね。輪乗りの際、何故か寝転がろうとしたんです」

 さぁ、これからダービーという矢先、待避所に敷かれた砂の上で砂浴びをしそうになったという。史上最強馬がそんな仕種を見せたのは後にも先にもこの時ただ一度きりだった。

 「よりによってダービーで単勝1・1倍の時に何をしてくれるんだ!っていう感じでした。『ちょっと自分の立場を分かってくれよ~』って思いましたよ」

 武豊は電話の向こうで苦笑交じりに述懐した。

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 レコードとなる20万近い観客が駆けつけたダービーにも参戦した武豊は、無観客となる今年、共に弥生賞を制したサトノフラッグ(美浦・国枝栄厩舎)に騎乗する予定だ。最有力視されているのは皐月賞1、2着のコントレイルでありサリオスなので、キズナやディープインパクトとは異なる立場になるが、果たして5度のダービー優勝ジョッキーがディープインパクトの仔でどんな騎乗を見せてくれるのか。注目したい。

今年のダービーでコンビを組む武豊とサトノフラッグ(写真は弥生賞勝利時)
今年のダービーでコンビを組む武豊とサトノフラッグ(写真は弥生賞勝利時)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

*今回の原稿は過去の取材を元に改めて電話で伺う形での執筆となりました。お忙しい中、対応くださいました武豊騎手に感謝いたします。

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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