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生まれて来なかったはずの馬でG1を優勝した藤沢和雄調教師。同馬の今後に懸ける期待とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
スプリンターズS(G1)を制したタワーオブロンドンと藤沢和雄調教師

22年前のスプリンターズS制覇

 9月29日に行われたスプリンターズS(G1)はタワーオブロンドン(牡4歳、美浦・藤沢和雄厩舎)が制した。

 管理する藤沢和雄調教師にとってはこれが2度目のスプリンターズS制覇。本来、生まれてこなかったはずの馬での優勝は、前回とは違った感慨があっただろうか。

スプリンターズS(G1)を勝利したタワーオブロンドン。鞍上はC・ルメール騎手
スプリンターズS(G1)を勝利したタワーオブロンドン。鞍上はC・ルメール騎手

 1997年、藤沢はタイキシャトル(現在の表記に直して当時3歳)をこの短距離G1に送り込んだ。

 同馬はこの時点で7戦6勝、2着1回。直前のマイルチャンピオンシップ(G1)で、自身初のG1制覇を成し遂げたばかりだった。

 デビューからの主戦は岡部幸雄(当時、騎手)。名手を背に良績を残したが、直近の二走はその鞍上を横山典弘に譲り、岡部は同じレースに出走した同厩のシンコウキングの手綱を取っていた。当時、その理由を藤沢は次のように語った。

 「どちらが強いという問題ではありません。シンコウキングは少し癖があって乗り難しい馬なのでベテランの岡部ジョッキーに乗ってもらう事にしました」

 代打を任された横山典弘は、このプレッシャーのかかる場面にもかかわらず、しっかりと役割りを果たす。2戦連続で勝利して再びバトンを岡部に戻したのが、このスプリンターズSだった。

 こうしてG1連勝を狙い再度大舞台に駒を進めたタイキシャトルだが、今度は藤沢の姿が決戦の地となる中山競馬場になかった。同じ日に香港で行われた香港ボウル(G2)にシンコウキングが挑戦。伯楽はかの地へ飛んでいたのだ。

 今から22年前の話である。インターネットも現在ほど整備されていない時代。それどころか当時の香港・シャティン競馬場は携帯電話の使用すら禁じられていた。藤沢は公衆電話の列に並び、タイキシャトルのスプリンターズS制覇を耳にしたのだった。

フランスに遠征した際のタイキシャトルと藤沢師(左)
フランスに遠征した際のタイキシャトルと藤沢師(左)

藤沢の熱意で紡がれた血

 さて『シンコウ』の話が出たところで、もう1頭、同じ安田修オーナーのシンコウエルメスの話をしよう。

 先述したタイキシャトルの偉業から1年前の96年。藤沢厩舎のシンコウエルメスは岡部を背にデビューした。既走馬相手という事で5着に敗れたが、キラリと光る末脚は見せており、次走は順当に勝ち上がれると思われた。しかし好事魔多し。2戦目を前にした調教中に同馬は故障をしてしまう。それは獣医師がひと目見て「予後不良仕方なし」と診断する重症だった。

 しかし、そこで立ち上がったのが藤沢だった。シンコウエルメスは父サドラーズウェルズ、母ドフザダービー。兄姉にイギリスのダービー馬ジェネラスとオークス馬イマジンがいる良血馬。藤沢はその『命を助けてもらえないか?』とJRAの獣医師に懇願。その熱意に押された医師は3時間に及ぶ大手術を決行。

 「術後も医師団がわざわざアメリカの大学の先生に連絡を取りながらケアーしてくれたお陰でエルメスは一命を取り留める事が出来ました」

 藤沢は当時そう語っていた。

 この話をどこかで耳にした人も多いだろう。そう、2004年のエリザベス女王杯(G1)を3着したエルノヴァや16年の皐月賞(G1)を制したディーマジェスティの時に紹介させていただいた。

 エルノヴァはシンコウエルメスの直仔だった。また、ディーマジェスティはシンコウエルメスの仔エルメスティアラがディープインパクトとの間に産み落とした仔であった。

 更にシンコウエルメスはアイルランドのダーレーで繋養されると、スノーパインを産む。スノーパインは競走馬としてフランスのA・ファーブル厩舎からデビュー。7戦して2勝した後、繁殖に上がる。そして、Raven’s Passとの間に牡馬を受胎した状態で日本に運ばれ、ダーレー・ジャパン・ファームでその子を出産する。こうして生まれたのが今回スプリンターズS(G1)を優勝したタワーオブロンドンなのであった。

スプリンターズSを優勝したタワーオブロンドンの口取り式
スプリンターズSを優勝したタワーオブロンドンの口取り式

 レース後、藤沢にシンコウエルメスの血でG1を勝てて良かったですね?と声をかけると、彼は自分の手柄ではないとばかりに次のように答えた。

 「うん。JRAの獣医さんに感謝だね。彼等が頑張ってくれた事が今回のG1勝ちにつながったよね」

そう語る藤沢の前を歩くタワーオブロンドンは裸馬。本来、優勝馬に着せられるはずの馬服を「今日は思った以上に暑いので」と着用させないところにも、藤沢の優しさが窺えた。

 また、見事にG1制覇へ導く手綱捌きをしたクリストフ・ルメール騎手に、レース後、このシンコウエルメスと藤沢の話を知っていたか?と問うと、彼はかぶりを振った後、答えた。

 「それは初めて聞きました」

 そして、一度つぐんだ口を再び開くと次のように続けた。

 「でも、フジサワ先生なら何も驚く事ではありません。先生は本当に馬に対して愛情を持っていますから」

タワーオブロンドンの藤沢和雄調教師とC・ルメール騎手のコンビ
タワーオブロンドンの藤沢和雄調教師とC・ルメール騎手のコンビ

 G1ホースとなったタワーオブロンドンに関し、オーナーサイドからは「海外も視野に入れて今後の路線を考える」という話が出た。タイキシャトルは98年、フランスでジャックルマロワ賞(G1)を優勝し、短距離馬としては史上初となるJRA年度代表馬に選出された。果たして藤沢の熱意で紡がれた血が、厩舎の先輩と同じように世界へ羽ばたける事を期待しよう。

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(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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