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後藤浩輝と三浦皇成が訪れたイギリス。当時の逸話から分かる残された者の課題とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2010年のイギリス遠征時、一緒に調教に跨る後藤浩輝(左)と三浦皇成

2010年、海を渡った2人の日本人騎手

 海の向こう、イギリスではロイヤルアスコットの開催がいよいよ本日からとなる。私はその取材をするため、1週間以上前にイギリスに入り、馬の街で知られるニューマーケットに滞在した。

 そんな中、ロイヤルアスコット開催のメインといって良いプリンスオブウェールズS(G1)に出走を予定しているザビールプリンスを取材するためロジャー・ヴェリアン厩舎を訪れた。開業した直後やポストポンドが活躍していた当時の彼の厩舎にも行った事があるが、現在は当時と違う場所に厩舎を移している。その新しい場所は以前、クライヴ・ブリテン調教師が使っていたヤード。同師はジュピターアイランドでジャパンCを勝った(1986年)ほか、サイエダティ(94年安田記念7着)、キャンディデート(2007年ジャパンCダート15着)など、たびたび来日経験があるので覚えておられる方も多いのではないだろうか。現在は調教師を引退したため使用しなくなった厩舎に、ヴェリアンが代わって入ったのだ。

 久しぶりにこの敷地を訪れて10年近く前のある出来事を思い出した。

 2010年の夏。イギリスへ渡った2人の日本人騎手がいた。

 1人はデビュー3年目、弱冠二十歳の三浦皇成。新人だった08年に武豊の持つ新人騎手のJRA最多勝記録を更新する91勝を挙げる。翌09年には初めてイギリスへ遠征。かの地での初騎乗を初勝利で飾ってみせた。そして、更に翌年となった10年には、滞在期間を延長。約2カ月にわたり、ニューマーケットで馬と暮らした。

2009年、初の英国遠征で海外初騎乗初勝利を飾った三浦
2009年、初の英国遠征で海外初騎乗初勝利を飾った三浦

 ほぼ同じ頃、海を越えたのが当時36歳の後藤浩輝。元から海外志向が強く、アメリカでの長期修行の経験もあった彼にとって、この時のイギリスは7年ぶり。長期滞在という意味では実に8年ぶりの遠征で、約1カ月をこの地で過ごした。

 三浦はサー・マーク・プレスコット調教師の下で働いたのに対し、後藤はピーター・チャプルハイアム厩舎で汗を流した。そんな2人が、同時に調教を手伝っていたのが、冒頭に記したC・ブリテンの厩舎だった。親日家で、当時の厩舎には日本人スタッフがいた事から、2人の日本人ジョッキーは一緒に調教に跨る機会も多かったのだ。

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当時の逸話から分かる残された者がすべき事

 後藤の過ごした1カ月は、三浦が滞在した2カ月とまるまる被っていた。当時、私自身、約1カ月彼らと一緒に過ごさせていただいたので、沢山の印象に残る出来事があった。毎日のように家や競馬場へ移動する車の中で競馬の話をしたのも思い出深いが、中でもよく覚えているのが、ウォーレンヒルの丘を登りながら話し合った事だ。

 「日本の競馬はスピード化が激しいけど、その反面、理想形とされている『馬混みで折り合わせて最後に抜け出す』という形はヨーロッパに近い。そういう意味でこちらに来た事は間違いなく勉強になる」

 後藤がそう言うと三浦は次のように返した。

 「僕はデビューしてまだ3年目だけど、その中でもイギリス遠征というのは最も充実した時間になっています」

 また、それぞれ、互いが現地でどう思われているかを語るシーンもあった。

 後藤は言う。

 「『コウセイってどんなジョッキーなんだ?』と聞かれたから、日本では(武)ユタカさんの持つ新人最多勝記録を更新した事を伝えると、皆『おぉ~!!』って感心していた。だからもっと頑張って成績を残さないとダメだよ」

 一方、三浦は笑いながら次のように言っていた。

 「『何を勝ったんだ?』と聞かれるんだけど、後藤さんと違ってG1を勝っていないと言うと『後藤の方が良いジョッキーなのか?』って言われました」

 そんな沢山の会話の中で、三浦が失敗談を話した時の事だ。

 「出されている指示を間違ったため、すごく叱られた事がありました。それに対して僕は間違って『ノープロブレム』って答えちゃったんです。そうしたら今まで叱っていた人も呆れたように笑って、どこかへ行っちゃいました」

 そんな三浦の言葉に微笑した後、真面目な顔になった後藤は言った。

 「海外っていうのはそういう日本では考えられない失敗がしょっちゅうあるもの。だからこそ1回や2回でなくて、何度も来るべきなんだ」

 それに対し、三浦も答えた。

 「そうですよね。初めてグッドウッド競馬場へ行った時は途中で道に迷って、到着したのが発走の40分前で慌てました。でも、1度、行った事で次からはそんな失敗もなくなる。実際、去年も来た事で、今年は何事もだいぶスムーズに行動出来るようになっていますからね」

 だから何度も来なくちゃいけないと思っていたと続けた。

 しかし、実際にはどうか。現在でも29歳と、当時の後藤より若い彼だが、その後、長期に及ぶ海外遠征はパッタリと途絶えてしまった。当時の遠征以降、競馬に対しては、あれほど濃厚な時間を過ごした時間が、彼にはあったのだろうか……。

 ご存知のように2015年2月、後藤は突然、命を絶ってしまった。あんなに喜びを感じていた海外遠征も、今は出来ない。その直後の3月に三浦はピンポイントの参戦でドバイへ行った。ディアドムスでUAEダービーに騎乗し、次のように語っていた。

 「こうやって海外へ来ると競馬に対し新たな発見があって、刺激になります。是非また海外での修行をしてみたいです」

2015年、ディアドムスとドバイのUAEダービーに参戦した三浦
2015年、ディアドムスとドバイのUAEダービーに参戦した三浦

 あれから4年が過ぎた。後藤が生きていたら何度、海外へ渡っていただろうか……。6月16日現在で関東リーディング2位と活躍する三浦だが、更なる躍進をしてもらうためにも是非また競馬漬けの日々を送ってもらいたい。9年前と違い、彼らがいなくなり、2度と後藤の戻って来ないニューマーケットの景色をみて、ふと次のように思った。

 「ここに帰って来られるのは、皇成、君一人しかいないんだぞ……」

ニューマーケット、ウォーレンヒルで語り合った2人
ニューマーケット、ウォーレンヒルで語り合った2人

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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