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チェコのテレジン収容所の国際赤十字視察から79年・デジタル化されるナチスのプロパガンダ写真や動画

佐藤仁学術研究員・著述家
国際赤十字の視察員が撮影したテレジン収容所の子供の写真(ヤド・バシェム提供)

「ユダヤ人は良い生活をしている」プロパガンダのために映画も製作

第二次世界大戦時にナチスドイツが支配下の地域でユダヤ人を差別、迫害して約600万人のユダヤ人、ロマ、政治犯らを殺害した、いわゆるホロコースト。チェコに建設されたテレジン収容所は他のナチスドイツが建設した強制収容所とは異なっていた。ナチスドイツはテレジンを欧州にいるユダヤ人の著名な学者、作家、音楽家、芸術家などが集まっている文化的な場所であると喧伝していた。だが実際にはアウシュビッツ絶滅収容所などへの通過点だった。1941年11月にヒトラーがテレジン収容所をモデル収容所にしたことから、ドイツ語ではテレジエンシュタットという名前もついている。そしてナチスドイツが自らの大量殺戮の事実を隠すために、ユダヤ人でも安全に暮らしていることをアピールしていた。もちろん虚実である。

ナチスドイツが国際社会に対して喧伝するような良い待遇をユダヤ人が受けているかどうか疑問を持ち始めた国際赤十字がナチスドイツにテレジン収容所の視察を要求してきた。ナチスドイツはデンマークの赤十字から1人、スイスから2人の視察員を受け入れた。その視察が行われたのが1944年6月23日で、今年2023年で79年目である。

国際赤十字の視察は厳しい監視下におかれ、視察員も収容者のユダヤ人に勝手に話しかけてはならなかった。字是に決められたルートだけを見て回されて、いかにも素晴らしい生活をしていることを伝えようとした。視察員が来る前に、視察員らが回る場所の悪しきものは全て取り払われて綺麗に塗り替えらえた。そのような綺麗に塗り替えられた場所で綺麗な恰好をさせられたユダヤ人をナチスドイツが撮影もした。年配者や病人など国際赤十字の視察員の目について突っ込まれると困るようなユダヤ人ら7503人は1944年5月16日から18日の3日間でアウシュビッツ絶滅収容所に移送されてテレジンには戻ってこなかった。

国際赤十字の監視のために、突然に収容所の中に銀行、カフェ、お菓子屋、美容院まで登場した。国際赤十字の視察員が通る道はユダヤ人らによって綺麗に磨き上げられていた。これらの偽の銀行などの「セット」は視察員が帰ると全て破壊された。

またユダヤ人がいかにも素晴らしい生活をしているかを伝えるために、ユダヤ人映画監督クルト・ゲロンにテレジンを舞台にした映画を作るように命じた。テレジンに残っていたユダヤ人3万人が、なんらかこの映画に関わっていた。映画の中では「楽しそうに暮らしているふりをしている」ユダヤ人らがコンサートをしたり、サッカーの試合を楽しんだり、図書館で本を借りて読んだり、編み物をしたりするシーンがある。

コンサートやサッカーの観客もユダヤ人収容者で、ユダヤ人を表す黄色い星はつけているが、こぎれいな服を着ている。これらの洋服はナチスドイツが略奪してきたり、殺害する直前のユダヤ人から奪った物で、いずれ戦災に苦しむドイツに送られるため倉庫に大量にあった。だが靴だけはほとんどがドイツに送られていたので、ユダヤ人が履く靴は足りなかった(靴には黄色い星がついていなかったことと、ドイツで靴が不足していたので、略奪するとすぐにドイツに送られていた)。そのため足元が見えないように工夫して撮影させられたというエピソードもある。プロパガンダ映画に出演させられて笑いたくもないのに笑顔をさせられたユダヤ人のほとんどがアウシュビッツ絶滅収容所などに移送されて殺害されてしまった。

▼テレジン収容所でのコンサートでオペラを披露するユダヤ人の子供らを撮影したプロパガンダ動画

▼テレジン収容所で平和に幸せそうに暮らすユダヤ人を撮影したプロパガンダ動画

▼テレジン収容所でサッカーの試合を楽しむユダヤ人らを撮影したプロパガンダ動画

貴重なプロパガンダ動画もデジタル化されて後世へ

イスラエルの国立ホロコースト博物館であるヤド・バシェムでは約480万人のホロコースト犠牲者のデータベースがあり、それらは世界中からネット経由で閲覧することもできる。約600万人のユダヤ人が殺害されたが、残りの120万人は名前が判明していない。第2次世界大戦が終結して約80年が経過し、ホロコースト生存者の高齢化が進んできた。生存者が心身ともに健康なうちにホロコースト時代の経験や記憶を証言として動画で録画してネットで世界中から視聴してもらう「記憶のデジタル化」が進められている。

当時はスマホも当然なかったし、テレビもなかった。映画で動画を撮影して当時のテレジンの様子をナチスドイツは自分たちのプロパガンダとして利用していた。ナチスドイツが撮影させたプロパガンダ動画は現在でもデジタル化されてヤド・バシェムで保管されている。それらのデジタル化されたプロパガンダ動画や写真は現在でもテレジンを紹介する際の動画としてテレビなどメディアでも多く使用されている。またホロコースト教育の教材にもなっているし、歴史学やメディア学などの授業でも多く使用されている。全てが虚像であるテレジン収容所でのプロパガンダ動画だが、ナチスドイツの記録としてとても貴重な動画である。

ヤド・バシェムでは、ホロコースト当時の写真のデジタル化とオンラインでの展示も進めている。現在のようにスマホで誰もが簡単に撮影できる時代ではなかった。カメラも貴重なものだった。1枚1枚の写真に全てのユダヤ人の思い出が詰まっている。さらにヤド・バシェムではホロコースト犠牲者の身元確認とデータベース構築も進められているが、ナチスドイツによって完全に消失したユダヤ人集落などもあり、全ての犠牲者の名前や写真を収集してデータベースに格納することは難航している。また写真だけは辛うじて残っているが、それが誰の写真なのか全くわからないものも多い。

戦後約80年が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをヤド・バシェム、ホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化している。

▼ナチスドイツはユダヤ人映画監督クルト・ゲロン(中央)もテレジンを舞台にした映画を作るように命じた

▼国際赤十字の視察員が撮影したテレジン収容所の笑顔の子供の写真

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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