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ギリシャでホロコースト時代にユダヤ人を救った元医者 75年以上の時を経て「諸国民の正義の人」授与

佐藤仁学術研究員・著述家
キアキヂス氏の孫に「諸国民の正義の人」(ギリシャのイスラエル大使館提供)

偽のキリスト教徒の証明書を手に入れ看護婦として戦後まで働いた

第二次世界大戦時にナチスドイツが支配下の地域でユダヤ人を差別、迫害して約600万人のユダヤ人、ロマ、政治犯らを殺害した、いわゆるホロコースト。そのホロコーストの時に、自身の危険を顧みずにユダヤ人を救った非ユダヤ人にイスラエルから贈られる「諸国民の正義の人」という賞がある。日本人ではリトアニア大使でユダヤ難民にビザを発給した杉原千畝氏に1985年に贈られている。

そして2021年8月に、ギリシャのバシリキ・キアキヂス氏とディミトリイオス・キアキヂス氏に「諸国民の正義の人」が贈られた。ギリシャのイスラエル大使のヨッシ・アムラニ氏がディミトリイオス・キアキヂス氏の孫に「諸国民の正義の人」のメダルを贈った。ギリシャ人でこの賞を授与するのは362人目。

ナチスドイツに支配されたギリシャではユダヤ人は差別され、ゲットーに収容され、その後にはアウシュビッツ絶滅収容所などに移送されて約6万人のギリシャ系のユダヤ人が殺害された。ギリシャにいた83%のユダヤ人が殺害された。現在、新形コロナウィルスのワクチンでお馴染みのファイザー社のCEOのブーラ氏の両親もギリシャ系のユダヤ人で辛うじてホロコーストを生き延びることができた2人だった。

ディミトリイオス・キアキヂス氏は小さな病院を1941年に開設したしたばかりの医者で、1942年にテッサロニキを旅した時に、ユダヤ人のドンナ・ロードリッグ氏に会った。そして彼女を病院で働かせて面倒をみた。1943年に本格的なユダヤ人狩りが始まり、ユダヤ人らが絶滅収容所へ移送されそうになると、キアキヂス氏は、地元のレジスタンス運動員らの協力を得て偽物のキリスト教徒の証明書を手に入れた。そして山のふもとにある小さな村の病院に送って、そこで戦争が終わるまでドンナ・ロードリッグ氏は看護婦として働くことができた。1943年3月に864人のギリシャ系ユダヤ人がトレブリンカ絶滅収容所に移送され、その時にロードリッグ氏の親戚は全員移送されてしまった。だが、ロードリッグ氏は最後までユダヤ人でことがナチスドイツや当局に発覚することなく生き延びることができた。戦後に、アウシュビッツ絶滅収容の生存者だった方と結婚して1996年に他界するまでギリシャのテッサロニキで生活していた。

当事者にとっては思い出したくもない過去 進む記憶のデジタル化

戦後70年以上が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。また、ホロコーストの犠牲者の遺品やメモ、生存者らが所有していたホロコースト時代の物の多くは、家族らがホロコースト博物館などに寄付している。

ホロコーストを生き延びることができたロードリッグ氏も1996年に他界している。彼女が生きていれば、もっと早いうちにキアキヂス氏は「諸国民の正義の人」を授与していたかもしれない。だがホロコースト時代にユダヤ人を救った人も、救われたユダヤ人も戦後になってから、当時のことをほとんど話さなかった。当時は、お互いが違法なことをしていたこともあり、また他のユダヤ人は救えなかったこと、周囲の人たちを騙していたことに対する心苦しさや葛藤がある。人道的な思いでユダヤ人を救っていた人たちも戦後になってから周囲から「ユダヤ人からいくらもらっていたんだ?」と嫌がらせや悪口を言われることも多かった。特に欧米では当時も現在も反ユダヤ主義が根強い。そのためナチスドイツのユダヤ人絶滅政策に賛同する人も多かった。そのためユダヤ人を救うことは「村の裏切り者」というレッテルを張られることもあった。

戦後、70年以上が経過して、彼らの行為が人道的だということで評価されて、海外のメディアでは「お涙頂戴もの」として報じられているが、実際にユダヤ人を救った人や救われたユダヤ人たちにとっては、触れたくない、思い出したくない暗黒の時代だった。

ホロコースト生存者の高齢化が進み、近い将来には確実にゼロになる。そのため欧米やイスラエルの大学や研究機関が、ホロコーストの歴史を継承するために、記憶のデジタル化を急ごうとしている。だが、ホロコースト生存者も、当時のユダヤ人を救った人たちも、当時のことを積極的に語ろうとしてくれる人は少数だ。

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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