Yahoo!ニュース

ミュンヘン五輪事件の犠牲者を東京五輪開会式で初の黙とう:イスラエルの長年の願い叶って高く評価

佐藤仁学術研究員・著述家
東京オリンピック開会式のイスラエル選手団(写真:ロイター/アフロ)

イスラエルは長年にわたって追悼を要求

東京五輪が2021年7月23日に新国立競技場で開会式を迎えた。オリンピックの開会式史上で初めてとなった黙とうが行われた。1972年9月に西ドイツで開催されたミュンヘン五輪でパレスチナ武装グループ「黒い9月」が、イスラエルに収容されていたパレスチナ人の解放を要求して銃撃戦となりイスラエルの選手5人とコーチ6人の合計11人が選手村で殺害されたテロ事件で「黒い9月事件」や「ミュンヘンオリンピック事件」と呼ばれている。西ドイツの警察官1名、テロリスト5名も死亡している。ミュンヘン五輪事件と、イスラエル諜報機関のモサドによる報復を描いたスピルバーグ監督によって製作された2005年の映画「ミュンヘン」で記憶に残っている人が多いかもしれない。

事件の犠牲者らは事件以降、国際オリンピック委員会らに対して、犠牲者への追悼を長年にわたって要求してきた。イスラエルのオリンピック委員会のサイトでは当時の事件についても詳細に紹介している。そして49年の時を経て、今回の東京五輪でオリンピックの開会式史上初めて、ミュンヘン大会の犠牲者を追悼し、黙とうが実現された。ネットでの評価も高い。

イスラエルのベネット首相もツイッターで「本日、オリンピックの開会式史上初めて1972年のオリンピックでの残虐な事件で犠牲になったイスラエル選手団11人に対して、公式に黙とうが捧げられました。この重要で歴史的な瞬間を大歓迎します。この事件が皆さんの記憶に残りますように」とヘブライ語で投稿していた。

▼ミュンヘンオリンピック事件で犠牲になったイスラエル選手団

写真:ロイター/アフロ

犠牲者の妻2人も開会式に参加「この瞬間を待ち望んでいました」

東京五輪の開会式には、ミュンヘンオリンピック事件で夫を殺害されたアンキー・シュピッツァー氏とイラナ・ロマーノ氏が出席。2人は「ついに犠牲者たちの正義が報われました。私たちは49年間戦い続けてきました。そして決してあきらめませんでした。涙が止まりません。この瞬間を待ち望んでいました」とコメントを寄せている。

イスラエルの文化スポーツ大臣のヒリ・トロッパー氏も「東京五輪は始まったばかりですが、すでに歴史的なオリンピックとなりました。49年の時を経て、ようやく11人の英雄たちが開会式で追悼されました。歴史的な正義が実現した瞬間でした」とコメントを寄せている。

またイスラエルや世界中のユダヤ系メディアでも大きく報じられていた。イスラエル現地のメディアのタイムズ・オブ・イスラエル(Times of Isarel)や、世界的なユダヤ人向けメディアのジューイッシュ・ニュース・シンディケート(Jewish News Syndicate)なども高く評価している。

▼東京五輪開会式に参加していたミュンヘンオリンピック事件の犠牲者の妻だったアンキー・シュピッツァー氏とイラナ・ロマーノ氏

(タイムズ・オブ・イスラエル提供)
(タイムズ・オブ・イスラエル提供)

イスラエル五輪委員会「ドイツ人のバッハ氏は約束を守ってくれた」

イスラエルのオリンピック委員会のイガル・カルミ氏は「2021年の東京五輪の開会式はとても素晴らしかったです。オリンピック組織委員会は11人のイスラエルの犠牲者と家族の49年間の長年の想いを今夜果たしてくれました。ドイツ人のトーマス・バッハ氏はミュンヘン五輪での犠牲者に対して黙とうを捧げるという約束を忠実に守ってくれました」とコメントを寄せている。

長年にわたってイスラエルは犠牲者への追悼を要求していたが、実現できなかった。事件から40年を迎えた2012年のロンドン五輪の時にIOCは開会式で黙とうを求めるイスラエルの要望を拒否していたことから批判されていた。2016年のリオ五輪の際にもバッハ氏の指揮のもとで追悼セレモニーは行われたが、開会式ではなかった。そして東京五輪の開会式でようやく、ミュンヘンオリンピック事件の犠牲者への追悼というイスラエルの長年の願いが実現した。

ミュンヘンは1923年にヒトラーがクーデター未遂事件の「ミュンヘン一揆」を起こした場所で、ミュンヘン一揆に失敗したヒトラーは獄中で「我が闘争」を執筆。ミュンヘンは当時ヒトラーの熱烈な信奉者の集まる中心地だった。1933年にはドイツで初の強制収容所がミュンヘン近郊のダッハウに設置され、ユダヤ人を使った非道な人体実験も多く行われた。そしてミュンヘンの国王広場ではユダヤ人商店や企業に対するボイコット、デモへの呼びかけが行われていた。1938年9月にはヒトラー、ムッソリーニ(イタリア)、チェンバレン(イギリス)、ダラディエ(フランス)の4首脳がミュンヘンに集まり、ミュンヘン会談を開いてチェコが正式に分割された。1936年にはヒムラーが「アラッハ・ミュンヘン磁器製造会社」を買収して「ドイツ文化建物保守保全会社」を設立し、ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所に隣接する土地に工場を移転してユダヤ人ら囚人の労働力を利用していた。そして戦後、西ドイツにとってミュンヘンで平和の祭典のオリンピックを開催するということは、西ドイツの戦後復興アピールだけでなく、過去の暗黒の歴史を克服したということを世界に示す絶好の機会になる予定だった。そして、ユダヤ人にとっても平和になったはずの西ドイツのミュンヘン五輪の選手村で、再びイスラエルの選手団が殺害される事件が起きた。このようにミュンヘンはドイツ人、ユダヤ人にとっては非常に複雑な想いがある都市である。

イスラエルのオリンピック委員会のカルミ氏が「バッハ氏が忠実に約束を守ってくれた」と語っていた。ナチスドイツが第2次世界大戦時に約600万人のユダヤ人を殺害したホロコーストの加害国のドイツ人のバッハ氏としても、イスラエルからの長年の請願であり、東京五輪の前にも何回も断念していた開会式での初の犠牲者の追悼をどうしても実現したかったことだろう。

今回の黙とうに対しては英国のユダヤ団体の「反ユダヤ主義に反対するキャンペーン」やホロコーストの記憶を後世に伝える団体の「国際マーチ・オブ・ザ・リビング」も「この時を長く待ち望んでいました」と高く評価している。

開会式前日に五輪関係者が20年くらい前にホロコーストをネタにしていたことで解任された。今回の東京五輪の開会式でミュンヘン五輪の犠牲者に対して初めて黙とうが捧げられたことはイスラエルや世界中のユダヤ人には高く評価されている。だが関係者が過去にホロコーストを揶揄したネタを披露していたことは決して許してはいない。ドイツではナチスの犯罪には時効はない。徹底的にナチスを追及して、戦後70年以上が経った今でも90歳台の当時のナチスの親衛隊や収容所の看守らがドイツ国内外で逮捕され、裁判にかけられて有罪判決を受けている。世界中のユダヤ人は絶対にナチスドイツと、"ただユダヤ人というだけの理由で"600万人のユダヤ人が殺害されたホロコーストを矮小化することを永遠に許さないという強い信念を持っている。そして将来にわたって二度とホロコーストを繰り返さないために、欧米ではホロコースト教育が義務化されているところも多い。ドイツでも親戚にナチス党員がいたことは現在でも絶対的なタブーだ。20年前の日本での出来事だから許されるという発想は全くない。菅総理は「言語道断(英語では“outrageous and unacceptable”と報じられている)」と述べていたが、イスラエルや世界中のユダヤ人はもっと強烈な言葉で怒りと呆れを表現して強く批難している。

▼五輪史上初の黙とうを高く評価するイスラエルのベネット首相のツイート

ミュンヘン五輪事件を題材にした映画「ミュンヘン」

2005年にはスピルバーグ監督によってミュンヘン五輪事件と、イスラエル諜報機関のモサドによる報復を描いた映画「ミュンヘン」が製作された。

ホロコーストを題材にした映画「シンドラーのリスト」を手掛けたスピルバーグ監督は1994年に設立された南カリフォルニア大学ショア財団研究所(USC Shoah Foundation)に多額の寄付を行った。彼はユダヤ人だが、アメリカに生まれたため、彼自身はホロコーストを経験していない。

ショア財団研究所では、20年以上にわたって、ホロコーストに関するあらゆるデータや生存者の証言を集めてデジタル化して保存したり、録画した証言をYouTubeで全世界に配信したりしている。またホロコーストだけでなく、アルメニア、ルワンダやグアテマラの大虐殺など55,000以上の証言を集めている。またデジタル化された映像をホロコーストの教育に活用している。

▼映画「ミュンヘン」オフィシャルトレイ―ラー

▼映画「ミュンヘン」について語るスピルバーグ監督

▼東京オリンピック開会式のイスラエル選手団

写真:ロイター/アフロ

写真:ロイター/アフロ

▼黙とうを捧げるバイデン米大統領夫人

写真:ロイター/アフロ

▼ミュンヘン近郊のダッハウに設置されたナチスドイツ初の強制収容所は現在でも国内外から多くの人が訪問している。

写真:ロイター/アフロ

写真:ロイター/アフロ

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

佐藤仁の最近の記事