アウシュビッツのゾンダーコマンドの克明なメモ:デジタル技術で解読可能へ
ナチス時代に600万人以上のユダヤ人やロマらが殺害された。いわゆるホロコーストで、その中でもアウシュビッツ絶滅収容所では110万人以上が殺された。その殺害方法として日本でも有名なのがガス室での殺害だ。
収容所で労働力に適さないとみなされた老人や子供などがガス室で殺害された。そのガス室で殺害後に死体処理をしていたのもユダヤ人で、彼らは「ゾンダーコマンド(特殊任務)」と呼ばれていた。2015年に公開された映画「サウルの息子」は、まさに収容所でのユダヤ人ゾンダーコマンドを描いた作品だった。
収容所の様子を克明にメモ、36年後に発見
その収容所でゾンダーコマンドをしていたギリシャ系ユダヤ人のMarcel Nadjari氏が1944年当時収容所で書きとっていたメモが発見されたが、発見時には、もはや解読不能の状態だったが、デジタル技術の発達で、そのメモが解読することができた。メモは36年後の1980年になって、たまたまポーランドの学生によって発見された。
当時、収容所で囚人らが紙や筆記用具を持つことは禁止されていたから、どのようにしてMarcel Nadjari氏が紙とペンでメモをとっていたのかは不明だが、彼のメモから、当時の収容所やガス室での様子が鮮明にわかるようになったそうだ。
Marcel Nadjari氏がアウシュビッツに収容されていた時は26歳。両紙も妹もアウシュビッツで1943年に殺されていた。「家族を殺したナチスに復讐してやりたい気持ちはあったができなかった。私は両親や妹のためにも生きたい」とメモに残している。
当時、アウシュビッツにはゾンダーコマンドが2200人いたそうだが、彼らはナチスに協力してユダヤ人殺害現場を見ていたので、数カ月働いたら、彼らも順番にナチスによって殺された。
Marcel Nadjari氏は1944年に13ページのメモを第3死体焼却施設の近くの埋めていた。同氏はメモの中で「死体焼却施設は物凄く大きく、15の焼却炉があり、地下には2つの巨大な部屋がある。1つは脱衣所で、もう1つがガス室だ。人々は裸になり、一度に3000人がガス室に入れさせられる。そこでは6~7分で全員が死ぬ。まるでイワシの缶詰のように詰め込まれていた」と生々しい様子を記していた。
また、彼はガス室での仕事も、メモに残している。「2人のSS(親衛隊)が、いつもドイツ赤十字の車に乗って、ガスを持ってきた。彼らがガスを注入して30分後に、我々ゾンダーコマンドの仕事は始まる。我々は女性や子供の死体を引きずり出して、焼却炉まで運んでいった。焼却後の灰は1人の大人で約640グラムだ」と克明にメモに記しているそうだ。
彼のメモは、収容所内部の様子を克明に描いており、明らかに世界に向けて発信されたもので、当時発覚されていたら、確実に処刑されていただろう。多くのゾンダーコマンドが証拠隠滅のために殺されていたが、Marcel Nadjari氏はアウシュビッツからマウントハウゼン収容所に移送され生き延びることができた。戦前は商人だったが、戦後はニューヨークでテーラーとして過ごして、メモが発見される9年前の1971年に53歳で亡くなった。
デジタル技術で1年かかって90%まで解読可能に
メモは発見された時には、10%程度しか解読することができなかったそうだ。ロシアの歴史学者Pavel Polian氏が、メモの解読に乗り出した。同氏は「ホロコーストの核心について書かれた貴重なメモ」とコメント。さらに「Marcel Nadjari氏は140万人がアウシュビッツで殺害されていると精確に予測していたことに衝撃を受けた」と述べている。また同氏によると、Marcel Nadjari氏のメモ以外にも他にも4人のゾンダーコマンドが残したメモがあるそうだ。
Polian氏がアウシュビッツ博物館からゾンダーコマンドMarcel Nadjari氏のメモのアーカイブを受け取ったが、36年間埋もれていたメモは、解読するには、あまりにも酷い状態だったそうだ。そのことをロシアのラジオで述べると、IT専門家のAlexander Nikityaev氏が援助を申し出てくれた。そしてデジタルイメージ技術などを活用して、1年かかってメモを復元して90%まで解読できるようになったそうだ。それをドイツに住むIoannis Carras氏がメモに書かれたギリシャ語から英語に訳した。
世界最大の殺害工場と言われたアウシュビッツで70年以上前に書かれたメモがデジタル技術によって復元され、当時の様子を現在に伝えている。
▼収容所での特殊任務(ゾンダーコマンド)を扱った映画『サウルの息子』(2015年)。この映画の主人公はハンガリーのユダヤ人。