ネットで求められる「短文」での情報発信:人は「言葉に喜びを見出す」が同時に「言葉に苦しめられる」

(写真:アフロ)

神奈川県の鎌倉市立図書館のツイートが話題になっていた。

もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。

出典:鎌倉市図書館のTwitter(2015年8月25日)

つらいきもちをかかえているあなたへ 

図書館はあなたの居場所になりたいと思っています。心のすみっこに「としょかん」をおいてね。

図書館にはいろいろな本があるよ。疲れた心によりそうような本が見つかるかも。

出典:鎌倉市図書館のTwitter(2015年8月26日)

これらのツイートに対しては数十件の意見も寄せられたようで、不登校助長の観点から、市教育委員が一時削除を検討していたことが分かったというニュースもあり、更に話題になっていた。

■18歳以下の子供の自殺者が一番多い「9月1日」

平成26年度版『自殺対策白書』によると、18歳以下の子どもの自殺は、4月や9月など「長期の休み明け」に突出していたことが明らかになった。内閣府が1972年~2013年の42年間の18歳以下の自殺を「日別」で整理した。そして「9月1日」が131人で最も多かった。(次いで、4月11日99人、4月8日95人、9月2日94人だった)

9月1日は言うまでもなく夏休み明けで、日本の多くの学校で2学期が初まる日だ。鎌倉の図書館もそれを意識してのツイートだったのだろう。子供だけでなく多くの大人たちも、このツイートに心を打たれていた。

■「短い文章」が招く誤解

最近はLINEなどSNSによる言葉の暴力や無視による「いじめ」が多いことは有名である。

しかし、明らかに「いじめ」を目的とした攻撃や無視ではなくとも、そのようなソーシャルメディアでの「思い違い」や「ちょっとした発言」で傷ついてしまう子供も多い。書いた方は特に「いじめ」を意図して書いた訳ではないだろうが、受け取った本人にとっては辛い気持ちになってしまうこともある。

例えば、グループチャットで、「今度〇〇に遊びに行こうよ」とあって、A君が「B君はなんで行くの?」と書いた時、A君は「B君はどのような手段で行くの?電車?それともバス?」を意図して書いたとしても、受け取ったB君は「どうしてB君も一緒に行くんだよ・・」と受け取ってしまい、自分は仲間外れにされていると勘違いして疎外感を感じてしまうかもしれない。

このようなことは面と向かって話している会話では、このような受け取られ方はないだろう。実際の会話の中でのコンテクストから読み取れるからだ。しかしソーシャルメディアやチャットなど「文字」だけのやり取りでは、誤解とトラブルを招きかねない。

 

LINE、Twitterなどが普及し誰もが簡単に情報発信やコミュニケーションができるようになった。

「短い文章」でのコミュニケーションが生活の一部になっている現代、「短い文章」でのコミュニケーションのリテラシーとその影響力を知っておく必要がある。

■求められる「短い文章」での情報発信リテラシー

鎌倉の図書館のツイートの文章に救われる人もいる一方で、ネットでの発言で苦しむ人もいる。言葉は使い方によって、相手に希望と勇気を与えるが、間違った使い方をして誤解と苦痛を生じかねない。

LINE、Twitterなどが普及して、誰もが利用できるようになった現在に求められているのは「短い文章」での書き方だ。「短い文章」で簡潔に相手に伝えることと、その表現行為がネットを通じてパブリックになった時に、それによって傷つく人もいるし、自分にとっても不利になることを学んでおかないといけない。

「短い文章」でのコミュニケーションは大人でも難しい。日本語はいろいろなニュアンスで取れる言葉なので、「書き手」の意図がちゃんと伝わらないためにトラブルになるケースも多い。

さらにネットでは対面では言えないような酷いことも書けてしまう。ネットの掲示板や友人のTwitterに「不用意な発言」、有名人に対する誹謗中傷を書き込んでしまうこともあるだろう。そのような「不用意な発言」によって傷つく人がいることを忘れてはいけない。有名人も人間であり、家族や友人もいて、それを見てどう思うかを考えてから発言をすべきで「書き手」の想像力が求めれる。

情報リテラシーの教育は、「受け手」としての観点が強い。これからは特に短文の「書き手」としての教育も必要だろう。「短い文章」は「作文」とは違った構成と想像力が必要になる。ネットでのコミュニケーションにおける「短文作成能力」がますます求められている。

人は「言葉に喜びと希望を見出す」が、同時に「言葉に苦しめられる」ことを忘れてはならない。