Yahoo!ニュース

山口智子が語る「元姑」野際さんは50代の生き方を教えてくれた【野際陽子物語】

笹山敬輔演劇研究者
(写真:アフロ)

野際陽子と山口智子はどこか似ている。自由で凛とした生き方が、同時代に生きる女性たちに新しいスタイルを提示し、多くの共感を得てきた。また、二人とも海外に目を向け、野際は女優の仕事を中断して一年間のパリ留学に出掛け、山口は世界中を旅しながら、音楽映像ライブラリー『LISTEN.』をプロデュースしている。重なるイメージを伝えると、山口は「初めて言われました」と意外そうにした。

二人の初共演作『ダブル・キッチン』で激しい嫁姑バトルを繰り広げてから、まもなく30年が経つ。山口は、最近になってようやく分かってきたことがあるという。

出会った頃の野際さんと同じ年代になりました。当時はあまりに未熟で考える余裕もなかったけれど、いかに野際さんから影響を受けてきたか、今やっと分かるようになりました。野際さんは、年を取ることは全く怖くないし、むしろ楽しいことなんだよって、役を思い切り楽しむ姿を通してバンバン発信してくださっていた。世界に対する好奇心やトキメキを忘れず、意欲的に面白がって生きていくかぎり、人生は年を重ねるほどに素晴らしさを増していくと。だから今、私はその確信のもとに、人生を心から謳歌しています。

そして現在は、山口が若い世代に年を取ることの楽しさを発信している。野際から受けた影響とはどんなものだったのか、山口に女優として/女性としての野際陽子について聞いた。

将来の夢はキイハンター

幼い頃、山口は『キイハンター』が大好きだった。親に「大きくなったらキイハンターになる」と宣言すると、警備会社にでも行くのかと笑われた。だが、彼女は大真面目だった。野際が長い髪を振り乱して回し蹴りする姿が、カッコよくてたまらなかったのだ。今になって思えば、それは大人の女性に対する憧れが芽生えた瞬間だった。

その後、成長して青春時代を過ごすなかで、その気持ちもすっかり忘れていた。女優になって初めて出会ったとき、野際は50代だった。いつのまにかカッコいい女から鬼姑に姿を変えていた。

すごいチャレンジ精神ですよね。50代って、まだまだ若いと思いたい微妙な年頃。若さや外見に固執するか、年齢を受け止めていくかで迷う狭間の時期。でも野際さんは、ただ美しいだけの俳優なんて笑い飛ばすくらいの意気で、楽しみながら鬼姑を演じてらした。心から尊敬します。

『ダブル・キッチン』は、二世帯同居をする花岡家のドタバタ騒動を描いたホームコメディである。撮影を通して、花岡家は「本当の家族みたい」になっていった。スペシャル番組でハワイロケをした際は、夏休みの家族旅行のようだった。一緒にワイキキビーチへ遊びに行き、みんなで写真を撮った。撮影が終わってからも、ドラマで使ったホテルの部屋にもう一泊できることになり、出演者は雑魚寝しながら、夜中までおしゃべりを続けた。

私にとって『ダブル・キッチン』は故郷(ふるさと)ですね。自分がそこから生まれ出て、また帰って行く場所のような。私は本質的に一人で行動する人間なのですが、あのときのみんなとは、今にいたるまで家族のような関係が続いています。だから、盆暮れ正月には無性に会いたくなる。

それからも出演者は定期的に集まり、食事に行った。野際が持つ葉山の家に泊まりに行ったこともある。誕生日には、野際と互いに手紙とプレゼントを贈り合った。

私がバッグ好きなので、よくバッグを選んで贈ってくださった。私はけっこう目先の流行に惑わされやすいタイプですが、野際さんが選ぶバッグは、長い目でみて価値が増すもので、年を重ねるほどに、野際さんのセンス抜群の審美眼に感動しています。

『ダブル・キッチン』のメンバーとは、たとえ何ヶ月、何年会わなくても、いつもそこにいてくれる安心感があるという。それはやはり、家族だからである。山口はこう表現した。「“心の戸籍で繋がってる”という感覚です」。

一人で立つことのワクワク感

野際が戦後の日本を自立した女性として生きたように、山口もまた地に足をつけて生きている。山口の考える女性の自立とは何だろうか。

まず、“自分で立つ”ということは、なんて幸せなことだろうと思います。一人で立つことは、義務的に重い荷物を背負うのではなくて、これから進む道を自分で選んでいいんだという、果てしない自由への扉の前に立った大きな喜び。自身で選び取る未来への出発点。自分の心に問いかけながら、右か左か、東か西か、選択できる幸福。「選べる」って思うだけでワクワクしますよね。野際さんは、そんな自由な冒険心溢れる遊び心いっぱいでした。

そのために、野際はつねに学ぶ姿勢を忘れなかった。山口は、野際の魅力の一つに知性があるという。

知識ばかりの頭でっかちな知性ではなくて、女性としての優しいエレガンスが匂い立つような、美しい知性に溢れていました。BBCやCNNなどのニュースを欠かさずチェックして、日頃から耳で英語に馴染むことを実践されていたり、人知れず頑張り屋さんの一面があったと思います。

山口にとって野際は「お母さん」であるとともに、「女性としてのカッコよさを初めて教えてくれた人」だった。野際はけっして声高に語らない。だが、彼女の知性が、共演する女優たちにいつの間にか影響を与えていった。彼女たちのなかで、野際は今も生きている。山口は語る。

野際さんはきっと別の世界で、また新しいチャレンジを面白がっていらっしゃるのではないでしょうか。ふと心に思い浮かべると、今も野際さんと繋がっていることを強く感じます。

(文中敬称略)

【この記事は北日本新聞社の協力を得て取材・執筆しました。同社発行のフリーマガジン『まんまる』に掲載した連載記事を加筆・編集しています。今回の続きとなる最新回は9月8日発行の『まんまる』に掲載しています。】

演劇研究者

1979(昭和54)年、富山県生まれ。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。専門は日本近代演劇。著書に『演技術の日本近代』(森話社)、『幻の近代アイドル史――明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』(彩流社)、『昭和芸人 七人の最期』(文春文庫)、『興行師列伝――愛と裏切りの近代芸能史』(新潮新書)。最新刊に『ドリフターズとその時代』(文春新書)。

笹山敬輔の最近の記事