Yahoo!ニュース

『やすらぎの郷』プロデューサーが明かす 野際陽子の「完璧な最期」【野際陽子物語】

笹山敬輔演劇研究者
テレビ朝日本社ビル(写真:イメージマート)

テレビ朝日のドラマ『やすらぎの郷』と続編『やすらぎの刻~道』は、数々の名優たちの遺作となった。八千草薫、梅宮辰夫、織本順吉らが、この作品で俳優生活を終えている。劇中でも登場人物たちの最期が描かれ、いつしか現実と虚構が混じりあうような不思議な感覚のドラマだった。

最初に流れた訃報が、野際陽子である。彼女にとっても『やすらぎの郷』が遺作となった。女優野際陽子の最期の日々を間近で見ていたプロデューサーの中込卓也に話を聞いた。

異例ずくめのドラマ制作

『やすらぎの郷』は2017年4月から半年間放送された昼の帯ドラマである。倉本聰が脚本を手掛け、主演の石坂浩二ら大ベテランの豪華キャストが話題を呼んだ。キャスティングには、名優たちが存分に活躍する場をつくりたいとの思いもあったという。ドラマ制作に30年以上のキャリアをもつ中込も、ここでは「鼻たれ小僧」だったと語る。

当初の構想段階から、倉本が絶対に出演してほしいと考えていたのが、浅丘ルリ子、加賀まり子、八千草薫とともに野際だった。役柄には彼女たちの役者人生が重ねられ、奔放な発言をする浅丘や加賀の役に対して、野際は一歩引いて物事を見る知的な元女優役だった。

出演のオファーは、主演の石坂よりも先に、その4人に行われている。中込が野際に話をすると、「衣装はどうしようかしら」とすぐに出演が決まった。その頃の野際は、2014年に初期の肺腺ガンが発見された後、摘出手術を受け、仕事に復帰していた。見た目も元気そうで、撮影は定期的な通院を考慮したうえで、無理のないスケジュールが組まれる予定だった。

ドラマの舞台は、テレビ界に功績のある者だけが入居できる老人ホームである。出演者の平均年齢は70歳を超えた。倉本は顔合わせの場で「みなさん、つながりは最後まで守ってください」と言った。一種のジョークで、最後まで元気でやってくださいとの意味だ。中込はある覚悟をもって制作に臨んだという。

80歳以上の方もたくさんいて、準備期間が1年以上ありましたから。誰かが亡くなるまでは考えなくても、途中でできなくなる人がいるかもしれない。ある程度は、覚悟しておかなければいけなかった。だから、出演者の健康を守ることが、制作面で何よりも重要でした。事務所の方には、「微熱がある」「咳が出る」「ちょっと風邪気味だ」、全部報告してくださいとお願いしました。コロナより前の話です。

通常のドラマ撮影は、朝から夜中まで行われる。だが、『やすらぎの郷』では、朝10時にスタートし、18時に終わった。また、週に2日を休日とし、余裕をもったスケジュールを組んでいる。すべて出演者の健康に留意してのことだった。

だが、クランクインからしばらくして、野際のガンが再発する。中込がその事実を知らされたのは、2017年の年明け早々だった。

野際さんの事務所から連絡があって、マネージャーさんと二人でお会いしました。そこで「再発が分かったので、事務所としては降板させてほしい」と伝えられました。すでに3ヶ月ほど撮影していましたが、放送前だったので、降板でも何とかなったとは思うんです。でも、「本人は何とおっしゃってますか」と聞くと、「本人はやれる限りやりたい、できれば最後までやりたいと言ってます」というので、その場で「最後までやりましょう」と決めました。もちろん、病状を見ながらですが、このドラマをやることが少しでも心の支えになればと思い、こちらから提案したんです。

このことを野際に伝えてほしいと頼み、その日は終わった。後日、マネージャーから連絡が入った。「やれるとこまでやらせてほしい」。それが野際の返事だった。

「いつでも撮れるようにしとくから」

病気のことは、倉本にもすぐには言わなかった。現場には病気を伏せたまま、スケジュール調整を行った。だが、次第に野際優先の撮影になり、周囲も薄々感づいてくる。3月に入り、中込が倉本に伝えると、「やっぱりな」と言われた。それ以降は、野際に負担が生じないように、出番を最小限に削っていった。セリフを他の共演者に回し、絶対に野際でなければならないシーンだけ最優先に撮影することにした。

出演者の中では、石坂にだけ伝えている。野際と二人きりで長台詞のあるシーンがいくつも残っていたからだ。だが、入院の日程もあり、いつ撮影できるか分からない。それに対して、石坂は「いつでも撮れるようにしとくから」と事もなげに言った。その時点で台詞が全部入っていたのである。

病状が悪化してくると、野際は病院から酸素呼吸器をつけてくるようになった。だが、その姿を誰も見ていない。野際は車を降りるときに呼吸器を外し、楽屋に入ってからまたつける。スタジオの中では一切つけなかった。

撮影に使用していたTMCスタジオは、楽屋棟へ行くために一度、外に出なければならない。そのため、スタジオの中にある更衣室を特別に野際の楽屋にした。そして、その部屋は誰も開けてはならないというルールを設けている。野際が安心して呼吸器をつけられるようにとの配慮だった。本来なら助監督がする呼び込みも、中込が自ら行った。

石坂さんとの長台詞のシーンを撮影する前日には、監督に「できるだけワンテイクで撮ってくれ」と言いました。「何かが見切れたらCGで消すし、どっちかがトチってもそこから始めてくれ」と。作品の完成度よりも、野際さんを早く帰すことを優先しようと考えたんです。でも、いざ収録に入ったら、二人とも台詞が完璧なんです。15分のシーンが、本当にあっという間に終わりました。

ドラマの後半は、八千草演じる往年の大女優九条摂子が、「覚悟」と「納得」をもって死に臨む。5月7日、野際は石坂とともに九条の遺影を選ぶシーンを撮影し、翌日から入院した。誰もがもう一度戻ってくれると信じていたが、6月13日に病院で息を引き取った。そのとき、ドラマに必要なシーンは最低限、撮り終わっていた。

病床の野際は、最後まで現場に戻るつもりだった。マネージャーには、こんな相談をしていたという。「ちょっと痩せちゃったから、首を隠すには、とっくりのセーターを着た方がいいわね」。

画面いっぱいの雨

「あっ、雨が降ってる」――中込は野際の訃報を受け、翌日放送回に流す追悼テロップを準備していた。タイトルバックはもともと数パターン用意しており、ドラマの中で誰かが亡くなると雨が降る。中込は作業をしながら、次回は偶然にも画面いっぱいに雨が降っていると気づいた。主題歌を歌う中島みゆきの歌声とともに降るその雨は、まるで野際の死を悲しんでいるかのようだった。

番組の打ち上げの前に、野際の娘の真瀬樹里から手紙が届いた。そこには、「お母さんは、『やすらぎの郷』が楽しみで通っていた」と書かれていた。中込はみんなの前で読み上げながら、涙がとめどなく溢れてきた。

降板の申し出を受けたとき、やりましょうと提案させていただきましたが、本当にそれがよかったかどうか、分からないじゃないですか。もしかしたら、1日無理をして撮影に行ったことで、体調を悪くしたかもしれない。そういう迷いはありました。でも、野際さんはスタジオで一言も病気のことをおっしゃらなかったし、僕も聞きませんでした。スタジオに入って、本番でOKが出て、颯爽と楽屋に帰っていく。僕らはその姿しか見てないんです。僕は見せつけられたと思ってるんですけど、すさまじかったですね。本当にカッコイイ人でした。

『やすらぎの郷』は、年老いた俳優たちの「終活」がテーマの一つである。出演者たちも演技を通じて、自らの「終活」を意識していたのだろうか。そのことについて聞くと、中込は全く別の感想を語った。

みなさん、「終活」というよりも、現役であり続けることを意識して演じられていたんじゃないですかね。やっぱり、50年も60年も第一線で演じることを生業としてきた方々ですから。生半可なものじゃないですよ。

野際はそれから3ヶ月間、ドラマの中で生き続けた。野際は最期まで現役の女優だった。

(文中敬称略)

【この記事は北日本新聞社の協力を得て取材・執筆しました。同社発行のフリーマガジン『まんまる』に掲載した連載記事を加筆・編集しています。今回の続きとなる最新回は10月13日発行の『まんまる』に掲載しています。】

演劇研究者

1979(昭和54)年、富山県生まれ。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。専門は日本近代演劇。著書に『演技術の日本近代』(森話社)、『幻の近代アイドル史――明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』(彩流社)、『昭和芸人 七人の最期』(文春文庫)、『興行師列伝――愛と裏切りの近代芸能史』(新潮新書)。最新刊に『ドリフターズとその時代』(文春新書)。

笹山敬輔の最近の記事