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デミ・ムーアがブルース・ウィリスの誕生日を祝福。離婚から20年以上、今なお確かな家族愛

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
1996年のブルース・ウィリスとデミ・ムーア(写真:ロイター/アフロ)

 昨年、失語症を理由に俳優業を引退し、先月、前頭側頭型認知症という新たな診断を受けたと発表されたブルース・ウィリスが、久しぶりに姿を見せた。彼の元妻デミ・ムーアが、最新の写真を何枚かインスタグラムに投稿したのだ。

 写真は、ウィリスの68歳の誕生日を祝うもの。写っているのは、ウィリス、ムーア、ふたりの間に生まれた娘たち、ウィリスの現在の妻エマ・ヘミング、ウィリスとヘミングの娘たちだ。写真には、ハートマークとともに、「昨日のブルースの誕生日の写真をもっと」というメッセージが添えられている。さらに、みんなに「ハッピー・バースデー」を合唱してもらい、パイの上のキャンドルの火をウィリスが吹き消す動画も、インスタグラムとツイッターに投稿されていた。

デミ・ムーアのインスタグラムより
デミ・ムーアのインスタグラムより

 ムーアとウィリスが離婚したのは、2000年。だが、それからもふたりは友好な関係を続けてきている。2005年にムーアがアシュトン・カッチャーと再再婚した時(ムーアはウィリスとの前に一度結婚歴あり)、ウィリスは式に参加したし、2009年にウィリスがヘミングと再婚した時も、ムーアはカッチャーを同伴して式に出席した。パンデミックの最中には、ムーアと娘たちがウィリスと一緒にロックダウンを過ごす写真がインスタグラムで公開されている。ここまで仲が良い元夫婦はなかなかいない。

出会い、電撃結婚、そして3人の娘の親に

 結婚していた頃、ハリウッドで最強のパワーカップルだったウィリスとムーア。ふたりが出会ったのは、ウィリスが「ダイ・ハード」(1988)、ムーアが「ゴースト/ニューヨークの幻」(1990)に出て大スターになる前の1987年だ。

 運命の場所は、エミリオ・エステベスが出演する「張り込み」(1987)のプレミア。2ヶ月ほど前にエステベスと別れたにもかかわらず、彼に同伴してプレミアに出席したムーアは、共通の友人を通じてウィリスを紹介された。アフターパーティでムーアはウィリスのテーブルに呼ばれ、その後、彼に誘われるままにコメディクラブに寄って、一緒にショーを見る。帰り際にウィリスはムーアの電話番号を聞き、ペンがないと慌てるもどこからか探してくると、自分の腕に書き込んだ。

 翌朝、彼は早速ムーアに電話。ムーアがその日は親戚に会いに行く約束があるというと、一緒についてきた。よく知らない人の親戚に会うなんて普通なら気が重いだろうに、楽しそうにしているウィリスに、ムーアは心を動かされる。ウィリスはギャンブルが好きで、ある週末、ムーアとウィリスはラスベガスに小旅行をした。そこでウィリスは「ここで結婚しちゃおうよ」と言い出し、迷ったものの、ムーアも合意。長女ルーマーちゃんを妊娠したのはその夜だとムーアは信じている。

デミ・ムーアのインスタグラムより
デミ・ムーアのインスタグラムより

 しかし、出産からしばらく経つと、ウィリスの様子がおかしくなり始めた。出会いから結婚までの短い間、ムーアはたまたま撮影がなかったが、ムーアがまた仕事で忙しくなると、こんな調子でどうやって家族を成り立たせていけるのかと、ウィリスが疑問を持つようになったのだ。「ハドソン・ホーク」(1991)のロケのため、ヨーロッパに向かう前、ウィリスは「もう結婚していたいのかどうかわからない」と言い捨てて、家を出て行く。お互いと2週間以上は離れないようにするという約束をしていたにもかかわらず、自分がこの映画を撮影すると知っていて、ムーアが「夢の降る街」(1991)の撮影を入れてしまったことは、さらにウィリスを怒らせた。

 だが、ヨーロッパから帰ってきたその夜にふたりは関係を持ち、次女スカウトちゃんを妊娠する。そのことにウィリスは大喜びした。それから2年半後、ムーアは三女タルーラちゃんを妊娠。名付け親はムーアが親しくしていたメグ・ライアンだ。この名前にウィリスは最初、反対だったが、最後には説き伏せられた。

離婚後も娘たちを第一優先

 そんな夫妻が別れを決めたのは、病を患っていたムーアの母が亡くなる直前のことだ。母のそばに付き添うムーアを支えるべく、ウィリスは娘たちを連れてはるばるやってきてくれたが、そこで夫妻は母が死んですべてが落ち着いたら破局を公表しようと決めたのである。もはやふたりは、お互い多忙なスケジュールを娘たちのためにどうやりくりするかを話し合うだけの関係になっていたからだ。

 まだ幼い娘たちへの影響を極力抑えるために、離婚後も、夫妻はできるだけ前と変わらない生活をするよう努力をした。住む場所も、ムーアと娘たちは、ウィリスが結婚前に購入し、家族でよく時間を過ごしたアイダホ州の家、ウィリスは同じ敷地内のゲストハウス。それに慣れてくると、ウィリスはそこから16キロメートルほどのところにある家を購入し、移り住んだ。娘たちは、それらの家を頻繁に行き来しながら育っている。両親が離婚をしても、家族であることには何の変わりもなかった。

 そんな離婚をしたことを「誇りに思います」と、ムーアは回顧録「Inside Out」に書いている。「ホリデーや誕生日をどちら(の親)と過ごすのか、娘たちが選ばなければいけないことは一度もありませんでした。私たちはどちらも、自分のことは置いておいて、それらの時間を彼女らと過ごしました。もし私たちが身勝手なやり方をしたならば、今の彼女らのようには育たなかったと思います」。元夫婦ということより、娘たちの親であることを第一にしたウィリスとムーア。娘たちに注がれたたっぷりの愛は、今、同じように美しい形で返ってきている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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