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ジョニー・デップが負けたイギリスでの裁判は、最初から不公平だった

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:Splash/アフロ)

 アンバー・ハードによる判決無効と裁判やり直し要求が却下され、ジョニー・デップの名誉毀損裁判がいよいよ本当に終結しそうだ。この後、ハードが835万ドルをどこかから用立てて控訴するのか、あるいは腹を括って自己破産するのかが注目されるところだが、6週間にわたるライブ中継を通じ、自分の目で証拠を見て、自分の耳で証言を聞いた世界中の人たちにしてみれば、これ以上どうあがいたところで彼女に勝ち目がないのは明白である。

 それだけに、「なぜイギリスでの裁判でデップが負けたのか」という疑問が聞かれるのは、当然のことだろう。ハードやハードの弁護士も、ヴァージニア州の裁判で判決が出た後も、イギリスでの裁判を持ち出しては、「あちらでは勝ったのに」と負け惜しみを言い続けていた。

 ただし、イギリスでの裁判で勝ったのはハードではない。あの裁判は、デップが自分のことをDV男呼ばわりしたタブロイド紙「The Sun」の出版社ニュース・グループ・ニュースペーパーズ社(NGN)と、その記事を書いたエグゼクティブ・エディターのダン・ウートンを相手に起こしたもの。ハードはNGNとウートン側の証人にすぎない。また、ヴァージニア州の裁判は陪審員裁判だったが、イギリスの裁判は判事ひとりの判断によるものだった。状況はかなり違っているのである。

 ハード側は、ヴァージニア州の陪審員がソーシャルメディアやデップのスターパワーに心を惑わされたと批判し、あたかも法律のプロである判事が判決を出したイギリスの裁判のほうが正しかったかのようなことを言っている。しかし、それは一生懸命仕事をしてくれた陪審員たちに失礼なだけでなく、完全に間違い。イギリスであの裁判にたずさわったアンドリュー・ニコル判事は、本来、あの案件を引き受けるべきではなかったのだ。彼には、デップに負けてもらわなければならない、いくつかの事情があったのである。

判事の息子は被告の仕事仲間

 ニコル判事は、NGN、およびハードと複数の線でつながっている。

 まず、彼の息子ロバート・パルマーは、Tax Justice UKという団体のエグゼクティブ・ディレクターで、「The Sun」と同じ系列のラジオに何度も出演したことがある。ウートンは、パルマーが出演していた頃、このラジオで仕事をしていた。つまり彼らは仕事仲間だったと考えられる。

 また、ニコル判事の妻カミラ・パーカーの友人であるキャシー・レットの元夫で、法廷弁護士のジェフリー・ロバートソンは、かつてニコル判事が勤めていた法律事務所のオーナーだった。ニコル判事とロバートソンは、法律に関する本を共著してもいる。さらに、そのロバートソンを恩師と仰ぐジェニファー・ロビンソンが、この裁判でハードの弁護士を務めているのだ。ハードは、裁判が行われている間にレットが開いたディナーパーティにも出席している。

イギリスでの裁判の最終日、一緒に食事に出かけるハードと弁護士のロビンソン
イギリスでの裁判の最終日、一緒に食事に出かけるハードと弁護士のロビンソン写真:Splash/アフロ

 そんな人間関係が背後にあるニコル判事は、どんなにハードに不利な証拠が出てきても、たいしたことがないと無視をし続けた。たとえばヴァージニア州の裁判でも再生された、ハードがデップに「私はあなたを殴ったんじゃないわよ。叩いたのよ」「ジョニー、世界に言いなさいよ。僕はDVの被害者です、って」「ええ、私が暴力をしかけたわ」と言う音声についても、「暴力を認めるこれらの発言にあまり重きを置くべきではないと私は見る。これらの会話は法廷で宣誓のもとに真実だけを語る証言とは違う」と一蹴している。そう言いつつ、法廷での証言に対しても、デップに有利なものは聞き入れていないのだ。

 そのひとつは、ハードが違法と知っていながらオーストラリアに愛犬を持ち込んだ件についての証言。デップの不動産を管理していたケビン・マーフィーは、このイギリスの裁判で、ハードに偽証を強要されたと証言している。それを知ったオーストラリアの検察は再びこの件を調査しようと動き出したというのに、ニコル判事は、マーフィーの証言が「ハードという人の信頼性を損なうものではない」と判決文に書いているのだ。

 デップが「パイレーツ・オブ・カリビアン」5作目をオーストラリアで撮影していた時に、ハードにウォッカのボトルを投げつけられて指先を切断する大怪我をしたことについても、ニコル判事は完全にハードの言い分を信じ、映画「London Fields」の共演者ビリー・ボブ・ソーントンとの浮気を疑い、「嫉妬したデップがアルコールとドラッグを多用した結果だ」と述べている。そのように、すべてにおいて、ニコル判事は、デップの証拠を拒絶し、ハードの証拠を受け入れているのである。

「判事の不正行為を見直せ」。オンラインで署名運動

 また、ニコル判事は、判決文の中で、ハードが離婚で手にした700万ドルを寄付したことにも触れ、そういった人物がゴールドディガー(金目当ての女)だとは思えないとも述べた。だが、実際のところハードが寄付をしていないのを知っていたデップは、判事がハードの嘘に影響を受けたとして控訴をしたのだが、それもまた却下されてしまったのである。これをもって、デップの今後の道は絶たれてしまった。

 しかし、ヴァージニア州の裁判を見た上で、ニコル判事とイギリスの被告との個人的なかかわりを知った人々の間では、今、イギリスでの裁判をやり直すべきだとの声が上がっている。「ニコル判事の不正行為を公式に見直そう」というオンラインの署名運動も始まり、現在までに1万6,000人が賛同した。その嘆願書には「ジョニー・デップVS『The Sun』の名誉毀損裁判が行われた時、ニコル判事は訴訟関係者及び彼らの弁護士とのつながりを隠していた。ニコル判事と訴訟関係者(アンバー・ハード、彼女の弁護士、『The Sun』の新聞グループ、彼らの弁護士)との関係を捜査し、利害関係がなかったかを探るべきだ。判事に利害関係がないと確認する権利は誰にでもある。裁判の過程が完全に信頼できるものであることは、絶対に必要だ」とある。

 一度締められた件の裁判を再び行うのは非常に稀だが、絶対に無理というわけではないらしい。事実、2019年にもそういったケースがあったという。それが許されるためには、「正義がなされるために必要」「普通とかけ離れた状況で控訴を認めるのがふさわしい」「ほかの対処手段がない」という3つの条件のどれかに当てはまらなければならないそうだ。デップの場合、そのどれにも当たるのではないか。海を越えた向こう側でも真実が勝つ日が来ることを願うばかりである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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