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平手打ちの後、ウィル・スミスは本当に会場からの退出を命じられていたのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
主演男優賞を受賞し、涙のスピーチをしたウィル・スミス(写真:ロイター/アフロ)

 世界中を騒然とさせた出来事が、ようやくひと段落しつつある。現地時間8日、映画芸術科学アカデミーは、オスカー授賞式でクリス・ロックに平手打ちしたウィル・スミスに、今後10年間、アカデミー主催イベントへの参加禁止を命じたのだ。スミスも、すぐにその決定を受け入れている。

 スミスへの処分を発表する声明の中で、アカデミーは、「第94回アカデミー賞は、私たちのコミュニティの人々によるすばらしい仕事を祝福する場でした。しかし、それは、ミスター・スミスによる、受け入れ難い、有害なふるまいのせいで、影を薄めることになってしまいました」と述べた。同時に、自分たちの対応についても、「テレビ中継の間、私たちは会場で適切な対応を取りませんでした。そのことを謝罪したいと思います」と、公に非を認めている。

 あの平手打ち事件の後のアカデミーの動き(もっと正確に言うなら、動かなかったこと)については、アカデミーの内部からも外部からも大きな批判が出ていた。一番よく聞かれるのは、なぜあの直後にスミスを会場から退出させなかったのかという疑問の声だ。もしメイクアップアーティストや撮影監督などが同じことをやったらすぐ退場させられたはずだと、トップスターで、その夜、主演男優賞を取ることが確実視されていたスミスは特別扱いされたのだとの不満も出ている。

 その後に出てきたアカデミーや授賞式のプロデューサーらのコメントも、混乱を深めるばかりだった。スミスに退場を求めたが本人が出ていかなかったとアカデミーが述べたかと思うと、授賞式のプロデューサーを務めたウィル・パッカーは、ロックがスミスに退場してほしくないと言ったせいでスミスは会場に残ったのだと言っている。アカデミーは、「退場を求めた」のが誰なのかはっきり語っておらず、ロックの関係者によると、パッカーの話は真実ではない。

 だが、今になって、そのあたりの詳しい事情が少しわかってきた。「L.A. Times」が報じるところによれば、平手打ちからスミスの受賞スピーチまでのなりゆきは次のような感じだ。

あの会場で、誰がいつ何を言ったのか

 平手打ち事件の後、会場の警備に当たっていたロサンゼルス警察は、ロックに駆け寄り、被害届を出すかと聞いた。ここでもしロックがイエスと言っていたら、警察はその場でスミスを逮捕していた。しかし、ロックが「僕は大丈夫ですから」と拒否したため、警察は何もしなかった。

 一方で、アカデミーのCEOであるドーン・ハドソンと、プレジデントのデビッド・ルービンは、CM休憩が始まると、すぐ客席を立って舞台裏に駆けつけ、スミスのパブリシスト(広報担当者)に、彼を退出させるようにと言った。だが、その会話を聞いた人によると、それは決して強い口調ではなく、「ウィルには退出してもらったほうがいいと私たちは思います。ウィルがどう思うか、聞いてみてくれますか」という感じだったらしい。

 その間、会場内では、デンゼル・ワシントンとタイラー・ペリーがスミスの席に歩み寄り、会話をして、一緒にお祈りをした。次のCM休憩中、スミスのパブリシストが彼のところへやって来て、「アカデミーはあなたに出ていってもらうのがいいと思っているようです。あなたはどう思いますか?」と聞いた。その問いに対し、スミスは、まもなく主演男優賞が発表され、自分が受賞者として舞台に上がることを念頭に、「僕は謝罪したい。この状況を正せると思う」と答えた。しかし、それを聞いたパブリシストは、ハドソンとルービンに「彼は今、(出て行く)準備をしています。ちょっと時間がかかるかも」と、スミスが退場しようとしているかのような報告をしたのである。

 そこへ、授賞式のプロデューサーであるパッカーが、スミスが会場を追い出されようとしていると聞き、大反対をする。パッカーは、「クリス・ロックはそれを望んでいない。クリスは、今の状況をさらに悪化させることはしたくないとはっきり言った」と強く主張(しかし、前述したように、実際のところ、ロックはスミスを退出させるかどうかについて意見は言っていない)。そして、主演男優部門発表の前の最後のCM休憩中、パッカーはスミスに歩み寄り、「僕たちは君に出ていってほしくない。君にとどまってほしい」と言ったのだ。それはパッカーの個人的な意見だったのだが、スミスと、その場にいたスミスのパブリシストは、アカデミーが「出ていかなくていい」と言っているのだと受け止めた。

 テレビインタビューで、パッカーは、スミスが受賞スピーチの中でロックに謝罪してくれることを期待していたと述べている。「『さっき自分がやったことは本当に間違っていた。クリス・ロック、ごめんなさい。』彼がそう言ってくれることを、僕は願っていた」と、パッカー。だが、スミスは、受賞スピーチでアカデミーとほかの候補者には謝罪したものの、ロックには謝らなかった。また、自分の行動を深く反省する言葉も言っていない。インタビュアーに、「今となっては、その前にウィル・スミスが授賞式を出ていってくれていたらよかったと思いますか」と聞かれると、パッカーは、「僕が思っていた、あの状況をましにするスピーチをしてくれないならば、うん、そう思うね」と、スミスを会場にとどまらせたことを後悔すると認めている。

今後ウィル・スミスはどうなるのか

 スミスに与えられた、10年間のオスカー出入り禁止の処分については、「妥当」「甘すぎる」「厳しすぎる」など、さまざまな意見が聞かれる。だが、オスカー授賞式に出席できなくても、候補入りや受賞はできるし、アカデミー会員でないことは、仕事をする上で何も支障を与えない。あの意外な行動で、ナイスガイのイメージに傷はついてしまったが、30年以上も世界の観客や仕事仲間に愛されてきた彼のキャリアがこれで完全にだめになることは、おそらくないだろう。今は主演作2本の製作にストップがかかるなど影響が出ているとはいえ、時間が経つうちに、ハリウッドの対応も変わっていくのではと思われる。そもそも、ハリウッドはカムバックストーリーが好きだ。どん底からまたトップに舞い上がってきたスターの例は、過去にもある。

「New York Post」も、「スミスは大丈夫」と述べるコラムを掲載した。見出しは、スミスのデビュー当時の名前“Fresh Prince”をもじって、「Refresh Prince」だ。

「彼はきっと、オプラ(・ウィンフリー)みたいなインタビュアーを相手に、プライムタイムの番組で、子供時代のトラウマとか、結婚生活の中でのトラブルなどを涙ながらに語って許しを請うだろう。やがて時間が経ち、スミスは(ハリウッドの)アンダードッグとなる。そして2033年、シャイロ・ジョリー=ピットに主演女優賞(のオスカー像)を手渡して、見事な復活を果たしてみせるのではないだろうか」(シャイロ・ジョリー=ピットは、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの血の繋がった娘)。

 一方でイギリス人コメディアンのリッキー・ジャーヴェイスは、「模範囚として6年で出てこられるといいね」とツイートをした。アカデミー関連のイベントには約束通り10年出入り禁止になるだろうが、ハリウッドはもっと早くスミスを受け入れるだろうということだ。ところで、ジャーヴェイスは、すべてのきっかけとなった、ジェイダ・ピンケット=スミスの髪型をネタにしたロックのジョークについて、「全然たいしたことない」と語っている。2020年のゴールデン・グローブ授賞式で、会場にいるセレブたちをネタにドギツいジョークを連発したジャーヴェイスは、もし自分がロックの立場だったらとの問いに、「僕だったら彼女の髪型じゃなくて、彼女のボーイフレンドをネタにしていたね」(スミスとの夫婦関係を一旦停止していた2020年、ピンケット=スミスは若い男性と交際していた)と、毒舌コメディアンの余裕を見せている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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