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「持っているのも屈辱」トム・クルーズがゴールデングローブのトロフィーを返還したワケ

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

“オスカーの前哨戦”から、“ハリウッド一の憎まれっ子”に。ゴールデングローブ賞に投票するハリウッド外国人記者協会(HFPA)の凋落が止まらない。

 NetflixやAmazon、ハリウッドスターの広報担当者らが連続してHFPAボイコットを表明し、授賞式番組の成立が難しい状況になったのを受け、西海岸時間10日、ゴールデングローブ授賞式を放映するNBCは、2022年の番組を中止すると発表。ほぼ時を同じくして、トム・クルーズが、過去にもらったゴールデングローブのトロフィー3個をHFPAのオフィスに送り返したことが報道された。「7月4日に生まれて」「ザ・エージェント」で獲得した主演男優賞のトロフィーと、「マグノリア」で受け取った助演男優賞のトロフィーである。

 このニュースを受けて、アンチHFPA運動を積極的に展開してきたエヴァ・デュヴァネイは、「女性差別、ゲイ差別、人種差別的なやり方で排他やハラスメントをし、偏見をもつHFPAに抗議するため、トム・クルーズは、もらったゴールデングローブを箱に入れてHFPAの受付に送り返してくれた」と褒め称えるツイートをした。これに先立っては、今年「ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー」でグローブを受賞したマーク・ラファロが「この賞をもらったことを誇りにも感じず、嬉しいことにも思えない」というメッセージをソーシャルメディアで発信しているし、スカーレット・ヨハンソンもHFPAをボイコットしようと業界仲間に呼びかけている。それでも、このクルーズの無言の行動には、強烈なインパクトがあった。さすが長年のトップスターは、やることが違うと感じさせられる。

実は前から嫌われていた

 なぜ、突然にしてグローブの価値はこんなに下がったのか?実をいうと、決して「突然」ではない。ここに至る過程については「あのゴールデングローブ賞が消滅危機にある訳」に詳しく書いたばかりだが、排他的で、時代遅れで、常識に欠け、接待やプレゼントが大好きで、マナーの悪いHFPAには、長い間、みんなが辟易していたのだ。それでも、アワードシーズンで最初のメジャーな賞であるグローブをもらえればオスカーに向けてはずみがつくと思い、タレントのパブリシストやスタジオのパブリシストは、ぐっと堪え、90人もいないHFPAの会員にニコニコしてきたのである。

 90人もいない、非常に小さな団体であることもまた、彼らの強みだ。9,000人以上が投票するオスカーでは、投票者ひとりひとりにアピールし、投票に影響を与えるのは難しいが、90人以下ならずっとやりやすい。それで、スタジオは、HFPAの会員に豪華なギフトを贈ったり、試写の後に高級レストランで食事会を開いたりしてきたのである。HFPAの会員には、高齢で、もうリタイアしている人が多く(一度入れば永久会員である上、彼らは自分と同じ国から新会員が入ってくることをなんとしても阻止するため、必然的にそうなる)、映画の上映中、居眠りする人も少なくない。だが、それらの会員も、その後の食事会には当然出席し、お土産までもらって帰る。いつも何かをもらうのが当たり前になっている彼らは、ギフトの中身が気に入らないと文句を言ったりもする。

 問題は、取材中もたびたび起きる。HFPAは、それ以外の外国人記者とは別枠で自分たちの記者会見をもつのだが(彼らの取材は会見で、単独取材や少人数グループでの取材はない。毎回、会員がタレントと一緒にひとりひとり写真を撮る悪しき伝統があり、その写真を記事と一緒に掲載したりするせいで、個別取材だったかのような印象を与えるが、違うのである)、そこでタレントや監督は失礼な質問を浴びせかけられるのだ。

 業界仲間にボイコットを訴えかけた先日のメッセージで、ヨハンソンは「私は過去にHFPA会員からほとんどセクハラとも言える女性蔑視の質問を受けてきました。だから私はここ何年も彼らの会見を拒否してきたのです」と述べた。また、2003年には、ブレンダン・フレイザーが、HFPAの男性会員のひとりにお尻を触られたと訴えている。後に、雑誌の取材で、フレイザーは「しかも彼は指を動かし始めたんだ。すごく気分が悪くなった。まるで自分が小さな子供のように感じた。泣きそうになった」と、その時の気持ちを振り返っている。

根強い人種差別が賞に与える影響

 それらの出来事は、特定の会員による特定の行動と片付けられるかもしれない。しかし、HFPAはまた、構造的な、根強い人種差別でも批判されている。今年になって急にHFPAバッシングが勃発するきっかけを作った「L.A.TIMES」の記事では、HFPAの会員にはひとりも黒人がいないことが暴かれ、そこから炎上が起きた。L.A.在住の外国人フリーランス映画ジャーナリストに黒人がきわめて少ないというのは現実なのだが、2013年に、ある黒人女性記者が入会を試みた時にも、同じ言語の国の会員が阻止し、HFPAは入れてあげなかったのである。また、2016年からアカデミーが本気で多様化を進めてきたのを見ているはずにもかかわらず、彼らは他人事として受け流してきた。「L.A.TIMES」の記事の後ですら、オーストラリア人会員が「そもそも黒人を記者として雇わない出版社が悪いんだ」と責任転嫁する発言をテレビで行い、業界を呆れさせたのだ。

 そもそも、アカデミーが多様化をはかったのは、投票者に白人の高齢男性が圧倒的に多いせいで、候補入りする作品が一定のタイプに偏ってしまうことを是正するためだった。それらの努力が実り、投票者の顔ぶれが変わったからこそ、昨年、韓国映画の「パラサイト 半地下の家族」が作品賞を受賞したのである。だが、その必要性すら感じないグローブは、黒人キャスト中心の映画やテレビドラマは、会見さえ「いらない」と断ってきた。それらの映画は、試写を組んでも来てもらえない。必然的にそういった映画は候補入りを逃す。グローブは、オスカーに向けてのはずみをつける位置にあるのに、黒人中心の作品は、対等にスタート地点に立たせてもらえないのである。黒人女性キャストのコメディ映画「Girls Trip (日本未公開)」を監督したマルコム・D・リーは、「彼らは『Girls Trip』を見てもくれなかった。それがすべてを語っている」とツイートしている。

業界全体がボイコットに拍手

 西海岸時間10日、NBCが次のグローブ放映の中止を発表する直前にHFPAボイコットを発表したワーナーメディアは、声明の中で、「我々は(HFPAの)記者会見に大幅な変革を求める。黒人キャストや黒人クリエーターの作品は、どんなに価値があるものであっても、記者会見を開いてもらうのに苦労してきた。それらの作品はノミネーションでもしばしば無視されてきている。また、会見で、私たちのタレントは、人種的に無神経、女性差別、ゲイ差別な質問を受けてきた」と述べている。さらに、「本当に長いこと、私たちのチームや、ほかの業界関係者は(HFPA会員から)美味しいことをおねだりされたり、プロ意識に欠ける要求をされたりしてきた。それに対して不満をつぶやいても、この業界は今までただそれに耐えるだけだったことを後悔する」と、やりたい放題させてきた自分たちの非も認めている。

 しかし、これからはそうではない。HFPAは今もまだ「内部改革する」と主張し、業界を説得しようとしているが、見せかけだけではもはや誰も納得しない。求められているのは、完全な生まれ変わり。それ以下では、このままボイコットが続くだけだ。

 そうなってもHFPA以外の関係者はまるでかまわない。彼らはむしろ、自分たちが変化を起こせたことを喜んでいるのである。マーク・ラファロは、「時間をかけ、正しいことをしてくれてありがとう」と、来年のグローブの放映を取りやめたNBCにツイートで感謝の言葉を送ったし、ションダ・ライムスは「すべてのステップが重要。カメラの前にいる人、後ろにいる人、スタジオ、配信会社、PR会社が一丸となって、軽視、排他されてきたアーティストの経済的な将来のためにビジネスモデルを変えようとしている」、デュヴァネイは「これは業界の黒人、有色人種のアーティストにドミノ効果を与えるでしょう。これを実現させるために立ち上がってくれたアクティビスト、アーティスト、パブリシスト、エグゼクティブのみなさん、ありがとう」と強いメッセージを送っている。それらのツイートには、多くの人が「いいね」を押した。これからの数日、HFPAのオフィスにはどれだけのトロフィーが戻ってくるだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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