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視聴率は過去最低:「アテが外れた」オスカー授賞式の失敗点

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ユン・ヨジョンのスピーチはとても良かったが...(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 2021年のオスカーは、ふたつのことで歴史に名を残すことになった。視聴率が最低を記録したことと、主演男優賞受賞者のアテが外れて最も腰抜けなエンディングになったことだ。

 視聴率のほうは、いたしかたない。パンデミックが始まって以来、エミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞など授賞式番組はいずれも視聴率がガタ落ちしていて、オスカーも免れないのはわかっていた。だからこそオスカー授賞式のプロデューサーらは断じてヴァーチャルを避けようとしたのだ。

 しかし、ヴァーチャルかどうかにかかわらず、丸1年も映画館が閉まっていて、映画が生活から遠い存在になっている中では、映画の賞への興味がいつも以上に減っていることも、容易に推測された。オスカー授賞式番組の視聴率は、近年、下がる一方で、「ジョーカー」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」などヒット作が候補入りした昨年ですら、過去最低を記録していたのである。

 その最低だった昨年の視聴者数は、2,360万人(注:アメリカでは、視聴率をパーセンテージでなく人数で表示する)。それより下なのは覚悟していたとはいえ、一夜明けてわかった昨夜の結果はなんとわずか985万人だった。昨年に比べて、58%のダウンである。ハリウッド最大のお祭りがこれほどそっぽを向かれたとは、なんとも悲しいことだ。

 だが、裏を返せば、あのがっかりなエンディングを見た人がそれほどいなかったということにもなる。2017年のオスカーが、封筒取り違えで永遠に覚えられるように、今年はクライマックスに向けたせっかくの段取りが仇になった年として人々の記憶に残ることは間違いない。

「受賞確実」が存在しないことを知っているべきだった

 スティーブン・ソダーバーグをはじめとする3人のプロデューサーが、故チャドウィック・ボーズマン(『マ・レイニーのブラックボトム』)の受賞を最後にもってきて、彼の妻の受賞スピーチで感動のエンディングにしようと狙っているのかということは、まだ主演女優と主演男優の発表が終わっていないのに作品部門に移った時点で感じられた。普通ならば作品賞発表で締めと決まっているからである。

 その段階で、ツイッターにも視聴者からそのような憶測コメントが見られたが、その読み通り、作品部門の後は主演女優部門。堂々のフィナーレは、主演男優部門に与えられた。だが、プレゼンターのホアキン・フェニックスが封筒を開け、読み上げた名前は、「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスだったのである。ホプキンスは現在ウェールズにいて、時差的に真夜中になることもあってか、ロンドンの会場にも出席しないと事前にアカデミーに通達していた。おかげで、会場総立ちになり、涙のスピーチに拍手となる予定が、ホプキンスの写真を出してあっさり終了となってしまったのである。

「マ・レイニーのブラックボトム」で主演男優部門の受賞が確実視されていたチャドウィック・ボーズマン(Netflix )
「マ・レイニーのブラックボトム」で主演男優部門の受賞が確実視されていたチャドウィック・ボーズマン(Netflix )

 このアワードシーズン、ハリウッドでは、主演男優部門はボーズマンが当確とされてきたことから、プロデューサーらは「負けるはずのない賭け」だと思っていたのだろう。しかし、オスカーに「必ず」はないのである。封筒取り違えの2017年だって、「ラ・ラ・ランド」が当確と思われていた。2019年も、そこまですべて制覇してきたグレン・クローズ(『天才作家の妻 -40年目の真実-』)でなく、オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』)が受賞している。その前にも、シルベスタ・スタローン(『クリード』)が取ると思われていたのにマーク・ライランス(『ブリッジ・オブ・スパイ』)が取ったり、エディ・マーフィ(『ドリームガールズ』)が確実視されていたのにアラン・アーキン(『リトル・ミス・サンシャイン』)が取ったりした例がある。

 それに、確かにボーズマンはここまで圧勝してきたが、2週間前の英国アカデミー賞では、ボーズマンを制してホプキンスが受賞していたのだ。たった1回の逆転とはいえ、勢いがついていたのである。プロデューサーらは、そのサインを軽視していたといえる。

クリップなし、スピーチの時間制限なしは正解だったか?

 残念だったことは、ほかにもある。

 授賞式に先立ち、ソダーバーグらは、「今年の授賞式はそれ自体が映画のようになる」「いつもと違う年にいつもと同じやり方を通そうとするとうまくいかない」と、今年の授賞式は、画期的で、まったく違うものになると示唆していた。たしかに、授賞式直前の候補者へのインタビューはユニオン駅の外のオープンな場所で行われ、ビジュアル的にいつもと違うと感じさせた。また、最初のプレゼンターであるレジナ・キングがオスカー像を手に取り、駅の外から中に入っていくオープニングも、映画のようではあった。

 だが、その後は、駅構内のテーブルが置かれた一か所を離れず、せっかく一般利用者に迷惑を強いてまでこのロケーションを選んだのに(授賞式当日も、前日も、電車は予定通り走っており、利用者は遠回りをさせられている)、歴史あるバックグラウンドをほとんど活かさなかったのだ。また、もともと駅なのだから仕方がないが、雰囲気も地味なのである。候補者、参加者がテーブルに座るスタイルの授賞式には、ゴールデングローブ賞、放送映画批評家協会賞、映画俳優組合賞などがあるが、今回は人数も限られているだけに、それらを思いきりダウンサイズしたような感じになってしまった。

主演男優賞に輝いた「ファーザー」のアンソニー・ホプキンス(NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF  CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION  TRADEMARK FATHER LIMITED  F COMME FILM  CINÉ-@  ORANGE STUDIO 2020)
主演男優賞に輝いた「ファーザー」のアンソニー・ホプキンス(NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020)

 クリップ映像とスピーチについても、やや疑問を感じる。

 今回の授賞式では、それぞれの部門の候補者を紹介するにあたり、その作品の映像を見せるのではなく、プレゼンターによって、ひとりひとりのバックグラウンドが説明された。候補者の人となりを伝えるという意図は、物語を語るようでもあり、「映画のような」という趣旨に合っている。しかし、クリップ映像が出ないので、映画を見ていない人にはわかりづらいし、時間も余計に費やされることになった。

 長いといえば、スピーチも同様だ。例年ならば、オスカー授賞式のプロデューサーは、具体的な制限時間、タイムアウトになったら音楽が流れること、メモを読むのは視聴者がしらけるのでなるべく避けるようになどといったことを、事前に候補者に伝える。今年、それがなかったのは明らかだった。

 この夜は受賞者にとって人生で特別の夜なのだから、言いたいことを言わせてあげたいというのは、納得できる。しかし、聞かされる側にしたら知らない人の名前をだらだらと読み上げられ、感謝されることが続くと、正直、退屈だ。実際、今回の授賞式では、多くの受賞者が、ひたすら人の名前を読み上げている。トランプが大統領だった頃には政治的発言が多すぎて一部の視聴者に反感をもたれるとの批判もあったが、個人的にはそっちのほうがずっと興味深かった。そんな中でも、「ミナリ」のユン・ヨジョンのリラックスしたスピーチや、亡くなった娘さんについて語る「アナザーラウンド」のトマス・ヴィンターベアのスピーチは、心に残った。こういうスピーチがもっとあったらと思うが、もちろんそれはプロデューサーにはどうにもできないことである。

 さらに、後半の、クイズのような余興も必要だったのか、首を傾げてしまう。グレン・クローズがノリノリのことをやったのを楽しんだ人もいるようだが、あれがシナリオ通りだったとわかると、なおさら疑問をもつ。何より、あれが新鮮なことだとは、まったく感じられなかった。前からよくあるタイプのジョークである。

 パンデミックのせいで、この1年、あらゆる業種がこれまでと違うアプローチを考えることを強いられた。その過程では、うまくいくものもあれば、いかないものもあった。今回のオスカー授賞式も、まさにそんな試行錯誤の例だったといえるだろう。ここから大事なのは、今回学んだことを、アカデミーは来年にどう活かすのかということ。だが、来年に関していうならば、これからの10ヶ月の間に世界でコロナが収まり、以前のように世界から候補者がL.A.に集まってくれることを何よりもまず願いたい。授賞式のスタイル云々は、その次だ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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