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デミ・ムーア以外にも。毒親に悩まされたハリウッドセレブ

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
子役として働き、家計を支えていたシャイア・ラブーフ(写真:ロイター/アフロ)

 シャイア・ラブーフの自伝的映画「Honey Boy」(日本でも公開予定)が、今週末、アメリカで公開になる。

 今年初めのサンダンス映画祭でデビューし、秋のトロント映画祭でも公式上映されたこの映画は、ラブーフ自身が脚本を書き下ろしたもの。依存症から立ち直りを強いられている20代の俳優オティスが、自分の過去を振り返る形で展開するもので、ラブーフはオティスの父を演じている。L.A.の安モーテルに住む父子の収入源は、子役として活動するオティスの出演料。父はオティスにろくろく学校も行かせず、オティスの母親から電話がかかってくるとオティスが見る前で暴言を吐き、オティスにも言葉や肉体の暴力を与える。

 この少し前には、デミ・ムーアが、自伝本「Inside Out」で母から受けた数々のひどい扱いについて告白したばかりだ(「実母に500ドルで売られた」デミ・ムーアの辛すぎる生い立ち)。ムーアの母は、子供の学業にいっさい関心がなく、子供の目の前で夫と怒鳴り合いの喧嘩をするなど日常で、未成年の時から平気でタバコを吸わせたりもした。ムーアが女優として成功し、ブルース・ウィリスと再婚すると、昔の写真や情報を、本人に相談することなくゴシップ雑誌に売っては金儲けをしている。

小学生の娘に「学校とナイトクラブ、どっちに行きたい?」

 毒親に悩まされたハリウッドセレブは、ほかにも何人かいる。ギネスブックから“世界一有名な子役スター”と呼ばれた「ホーム・アローン」のマコーレー・カルキンは、代表的な例だろう。

「ホーム・アローン」の後も、「マイ・ガール」「ホーム・アローン2」などヒット作への出演が続いた彼は、「リッチー・リッチ」で、当時、子役としては前代未聞の1本800万ドル(現在の換算レートでおよそ8億円強)の出演料を得るまでになる。だが、カルキンのマネージャーを務める父は、外ではキレやすく、やりづらいことで知られ、家庭内でもカルキンに肉体的、精神的虐待を加えていた。そんな中で「リッチー・リッチ」が大コケすると、業界にそっぽを向かれてしまい、両親の関係も破滅。両親はカルキンが築いた財産をめぐって醜い争いを展開し、カルキンは自分が稼いだ金を守るために両親を訴訟した。

 その時15歳だったカルキンは、以後、父と疎遠なままだが、ドリュー・バリモアは、もっと早い14歳で両親と法的に関係を切っている。バリモアの母は、小学生の娘に、学校に行っていじめられたいか、それともスタジオ54に一緒に行って遊びたいかと聞くような人だった。9歳のバリモアはそこでドラッグを覚えるのだが、娘が依存症になるとどうしていいかわからず、精神病院に放り込んでいる。子育てにまるで関心のなかった父も、アルコール依存症で暴力をふるう人だった。

 リンジー・ローハンも、トラブル続きの家庭で育っている。父はインサイダー取引やDUI(飲酒またはドラッグを摂取した状態で運転すること)、暴力などで何度も刑務所入りをしたし、母もDUIで逮捕されたことがある。母は夫のDVについてマスコミで語っているが、彼女も彼女で、まだティーンエイジャーだった娘とハリウッドのナイトクラブを徘徊したことで公から批判された。ローハン自身も、DUIや万引きなどで、何度となく警察のお世話になっている。

 ジェニファー・アニストンは、モデルだった母から、ルックスをけなされて育った。そのせいで劣等感から逃れられなかったと、アニストンは何度かメディアで語っている。だが、ばかにしていた娘がテレビ番組「フレンズ」で全米の大人気者になると、母は、本人の承諾なく昔の話をいろいろと暴露し、さらには本まで出版して、利益を得ようとした。そのことに激怒したアニストンは、ブラッド・ピットとの結婚式に、母を招待していない。

憎い親でも、完全には捨てられない

 そんなアニストンも、ピットとの離婚後、母に対して歩み寄る努力を行ったそうである。それでも長年の溝を埋めるのは容易ではなかったようで、ジャスティン・セローと再婚する時にも、彼女は母を呼ばなかった。母も母で、死ぬ時に、娘には何もあげないという遺書を残したそうである。

 だが、意外なことに、報道によると、アニストンは、そんな大嫌いな母が必要とするお金を、死ぬ間際まで出してあげていたそうなのだ。ムーアも、母が末期ガンだと知った時、母のそばに駆けつけ、息を引き取るまでずっと見守ったと、自伝本に書いている。バリモアも、「私はまだ母を(経済的に)支えています。彼女がちゃんと生活できるとわかっていたいからです。でなければ、私は機能できません」「私を産んでくださったことに対して、私はこの女性に感謝しています」と自伝本「Wildflower」でつづった。

 そしてラブーフは、「Honey Boy」の最後で、オティスに、「僕は父さんについての映画を作るよ」と言わせている。ラブーフが、本当に父に対してそう言ったのかは、わからない。しかし、33歳のラブーフには、それをやる必要があったのだ。その映画が完成し、公開を迎えても、彼の中で、この話は、これからもきっと終わらないのである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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