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「実母に500ドルで売られた」デミ・ムーアの辛すぎる生い立ち

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
デミ・ムーア(56)は、最近、自伝本を出版した(写真:REX/アフロ)

 デミ・ムーアが「ゴースト」で流した涙は、映画史に残る、ピュアで美しい涙。だが、カメラの回らないところで、彼女はずっと、辛く、苦しい涙を流し続けてきた。

 先月アメリカで出版されたデミの自伝本「Inside Out」は、ブルース・ウィリスやアシュトン・カッチャーとの結婚の内情が赤裸々に語られるとのことで、発売前から話題を呼んだ。中でもとくに、アシュトンの提案で2度スリーサムをしたこと、彼女がアシュトンとの子供を流産していたことなどは、メディアがこぞって取り上げている。しかし、本当に衝撃なのは、それより前の、彼女の生い立ちだ。

 デミを産んだ時、母はまだ高校生。父が不倫をするたびに、母は相手と引き離すために引越しを強要し、デミと弟は、最低でも年に2回は転校をしたという。ギャンブル好きの父がマフィアに金を借りたせいで、怖い目に遭いそうになったりもした。光熱費、電話代などの取り立ては日常茶飯事。依存症も常に彼女の周辺にあり、母は重度のアルコール依存症、母方の祖父もデミが10歳の時、酔っ払って運転し、事故を起こして亡くなっている。デミ自身も、違った時期に、アルコール、コカイン、処方薬などの依存症に陥った。

デミ・ムーアの自伝本「Inside Out」(amazon.com)
デミ・ムーアの自伝本「Inside Out」(amazon.com)

 女優のギャラの新記録を打ち立てたり、妊娠中にヌードで「Vanity Fair」の表紙を飾ったり、「G.I.ジェーン」で見事な筋肉美を見せつけたりしたデミは、90年代、トレンドセッターの役割を果たしてきた。ブルースとの離婚後、一線を退いた後にも、16歳年下のアシュトンとのロマンスで、ゴシップを沸かせている。そんな華やかな履歴の陰には、思わぬ部分があった。彼女の自伝本から、その一部をご紹介する。

不倫につきまとわれた人生

 父が不倫しては母が激怒するのを、デミは子供の頃から目の前にしてきた。だが、悪いのは父ひとりではない。母は幼い頃に、自分の父(デミの祖父)の不倫現場を目撃しているし、母自身も心療内科にかかった時、担当医と不倫をして父に離婚を言い渡しているのだ(結局、彼女は不倫相手と別れ、夫のもとに戻ってきている)。

 デミ自身もまた、浮気をされたり、したりしてきた。最初の結婚相手となるミュージシャンのフレディ・ムーアと知り合った時、彼女は別の男性と同棲していたし、フレディは既婚者だった。しかも、結婚式の前日、デミは別の男性と肉体関係をもっている。次にデミはエミリオ・エステベスと婚約するも、これまたエミリオが浮気して婚約破棄に。彼女の3度目の夫アシュトンは、6回目の結婚記念日の直前に男友達とサンディエゴに出かけ、そこで別の女性と関係をもっている。そのニュースを、デミは、控え室でヘアメイクをしてもらっている時に携帯で知るという屈辱を受けた。

日本の雑誌のヌード撮影でモデルデビュー

 父とくっついたり離れたりを繰り返す母と、デミはしばらくふたり暮らしをしている。デミの最初のエージェントも、母が一時つきあった音楽業界関係者の男性の紹介で得たものだ。彼女のテレビデビューは、せりふひとことだけの、13歳の売春婦役。そこから先になかなか進まなかったが、あるきっかけでモデルデビューをすることになり、そこから女優への道が拓けた。そのモデルの仕事は、日本の雑誌のためのヌード撮影だ。

 当時、デミはフレディとつきあうようになったところで、この仕事を紹介してくれたのも、音楽関係者だった。この写真は日本にしか出回らないから誰にも見られる心配はないし、日本の法律上、ヘアヌードはないと言われ、彼女は、年齢を偽り、引き受けることにする。何より彼女はお金が必要だった。しかし、それはやはり決して心地良い仕事ではなく、彼女は、もうこういう仕事はやらないと決める。

 だが、その次にフランスの雑誌「Oui」のモデルの仕事が入り、撮影をまかされたのが有名なファッションカメラマンだったことから、モデルとしてのブレイクにつながった。この後、彼女は、エリート・モデル・マネジメントと契約するに至る。「モデル業を通して、私は初めて成功の味を少し知ることになった」と、デミは書いている。

15歳の時、知人男性にレイプされる

 デミがL.A.で母と暮らしていた時、まだ30代前半だった母は、男を引っかけるためにも、よくデミを連れてバーに出かけた。ふたりでいるほうが声をかけられやすいし、「娘なんですよ」と言って、「まさか。姉妹かと思っていた」と言われるのが、母は好きだったようだ。

 そんな中で、母娘は、サンセット通りにあったミラベルというレストランのオーナーに出会う。学校の前までベンツで迎えに来ては家まで送ってくれたりするその男性に、デミは多少、気味の悪さも感じていたが、母は彼を気に入っていたし、彼女も態度に出すことはなかった。ところがある日、デミがひとりで帰宅すると、中に彼がいたのである。母の姿は、どこにもない。自分よりも体が2倍以上大きく、歳も3倍以上の男に太刀打ちできるはずもなく、15歳のデミは、なすがままにさせられてしまった。

 それから1週間もしないうちに、母娘は近くの別のアパートに引っ越すことになり、引越しのためにその男性がベンツを出してくれることになる。ふたりきりになると、彼はデミに「実の母に、売春婦として500ドルで売られるって、どんな気分だい?」と聞いてきた。その言葉は、その後何年経っても、ことあるごとにデミの脳裏に蘇ってきたという。依存症、不眠症、摂食障害など、後に彼女を苦しめるさまざまなことは、その時のPTSDだとも、彼女は考える。

父は自殺、母は自殺未遂の常習犯

 デミと住むアパートで、母はしょっちゅう自殺を試みた。そのたびに救急車が呼ばれ、ひと騒動起きるため、近所でデミは「あの人の娘」として知られるようになる。デミも、学校から帰るたびに、中で母が死んでいたらどうしようと不安を覚えたが、その一方で、母は本当に死にたいわけではないとも知っていた。母は、人の、とくにデミの父の注意を引きたかっただけなのだ。

 その父は、デミが17歳の時に自殺をはかり、本当に死んでしまった。彼は当時36歳。実は、彼はデミと血が繋がっていない。その事実を、彼女はかなり長いこと知らされていなかった。

自分だけが知らなかった、自分の出生の秘密

 デミが父と信じてきたその男性ダニーは、母の2番目の夫。母はその前に2ヶ月だけチャールズという男性と結婚していた。デミは、彼との間に授かった子だ。ダニーを含め、家族はみんなそれを知っていた。母との別居にあたり、ダニーが弟だけを連れて行ったのも、真実がわかったことで、デミは納得ができている。

 それでも、デミは、ダニーが自分を娘として愛してくれていたと信じる。「彼の目を見て、あなたは最初から最後まで私の父だったのよ、私はあなたを愛しているのよと言ってあげるべきだった」と、本の中で、彼女は後悔の思いをつづっている。

デミ・ムーア/1962年ニューメキシコ州生まれ。代表作に「セント・エルモス・ファイアー」「ゴースト/ニューヨークの幻」「幸福の条件」「G.I. ジェーン」など。「素顔のままで」では、当時女優としては新記録の1,200万ドルのギャラを獲得した。2番目の夫ブルース・ウィリスとの間に3人の娘をもつ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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