「ジョーカー」監督は「ハングオーバー!」の人。お笑い人間の華麗なる大逆転

「ジョーカー」のトッド・フィリップス監督(写真:ロイター/アフロ)

 複雑でダーク、バイオレンスも過激な「ジョーカー」が、世界中で大ヒットしている。ホアキン・フェニックス演じる主人公アーサーのなんとも言えない笑いは強烈な形で耳に残るが、あれを見てつられて笑ってしまったり、本当に楽しい気分になったりする人は、誰もいないだろう。意外にも、それを生み出した監督張本人は、これまで純粋な笑いを得意にしてきた、コメディの天才だ。

 トッド・フィリップス作品として最も知られるのは、「ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」。これと続編2本、またロバート・ダウニー・Jr.とザック・ガリフィナーキス主演の「デュー・デート~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」のほかはほとんど日本未公開ながら、どれもウィル・フェレル、ベン・スティラーなど人気コメディアンが出演するコメディで、アメリカではヒットしている。3年前には、「War Dogs」で戦争を舞台にした作品に挑戦したが、主演はジョナ・ヒルで、やはりコメディの要素は残っていた。「ジョーカー」は、彼にとって、完全に新しい領域の作品だ。

「ジョーカー」はヴェネツィア映画祭で最高賞に当たる金獅子賞も受賞した。主演のホアキン・フェニックスは、来たるアワードシーズンに大忙しになりそうである(写真/Warner Brothers)
「ジョーカー」はヴェネツィア映画祭で最高賞に当たる金獅子賞も受賞した。主演のホアキン・フェニックスは、来たるアワードシーズンに大忙しになりそうである(写真/Warner Brothers)

 2011年、「ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える」の公開前に筆者がインタビューした時、フィリップスは、「シリアスな映画を作りたいという気持ちは、とくにない」と語っていた。「僕は、ファニーな人たちと一緒に仕事をするのが好きなのでね。毎日、仕事場に来て、お互いを笑わせるって、楽しいじゃないか。僕の人生が、十分暗いしさ(笑)。それに、観客から、『あなたの映画を見て気持ちが明るくなりました』と言われるのは、嬉しいものだよ。何か良いことをしている気分になる」と、フィリップス。しかし、「もしかしたら将来、何かダークなものを作る日も来るかもしれない。今は、人を笑わせる映画を作りたいと思っているけれど」とも付け加えている。その“将来”は、意外にも早く来たわけだ。

「グリーンブック」「バイス」の監督もコメディ出身

 コメディで成功し、シリアスな作品に移行して成功を収めた監督は、ほかにもいる。最近では、今年のオスカー作品賞を受賞した「グリーンブック」のピーター・ファレリー(『ジム・キャリーはMr. ダマー』『メリーに首ったけ』『愛しのローズマリー』)がそうだ。もっとも、実話で感動作とはいえ、「グリーンブック」はアメリカの映画館では上映中に何度も爆笑が起こるほどコメディ色が強く、彼らしいと感じさせる作品だった。「グリーンブック」で権威あるプロデューサー組合賞(PGA)を受賞した時、ファレリーは、これまでコメディばかりを作ってきたために「こんな賞は、もらうのが初めてなだけでなく、あることすら知らなかった」と、受賞スピーチで述べている。

 やはり今年のオスカーで大健闘した、ディック・チェイニー元副大統領の伝記映画「バイス」のアダム・マッケイも、「俺たちニュースキャスター」「アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!」などでキャリアを積んできた監督だ。彼がシリアスな映画を作る才能を見せたのは、リーマンショックの舞台裏を描く2015年の「マネー・ショート 華麗なる大逆転」。「マネー・ショート~」も、「バイス」も、真面目な題材をブラックなユーモアを加えて語る、個性あふれる傑作である。

クリスチャン・ベール主演の「バイス」は作品部門、主演男優部門ほか複数部門で今年のオスカーにノミネートされた(写真/Annapurna Pictures)
クリスチャン・ベール主演の「バイス」は作品部門、主演男優部門ほか複数部門で今年のオスカーにノミネートされた(写真/Annapurna Pictures)

 また、年末に北米公開を控える「Bombshell」のジェイ・ローチは、「オースティン・パワーズ」「ミート・ザ・ペアレンツ」の監督。「Bombshell」は、ハーベイ・ワインスタインより前にセクハラ告発を受けて退職に追い込まれたフォックス・ニュース・チャンネル創設者ロジャー・エイルズについての実話映画。出演はシャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマン、マーゴット・ロビーで、超豪華だ。賞狙いとされる意欲作だが、ローチは、4年前の「トランボ ハリウッドで最も嫌われた男」でもブライアン・クランストンをオスカー候補入りに導いた実績がある。テレビでも、政治を扱うHBOの「Recount」「Game Change」などを監督しており、彼がシリアスな映画を作ることにショックを受ける人は、もはや少ない。

彼らはなぜ、シリアスな映画を作るのか

 これらの監督は、さすがコメディをヒットさせてきた人たちだけあり、話をしても、とても面白い。彼らはみんな、今もコメディが大好きだと言うが、違った関心事や、豊かな知性、教養があるのである。ジャンルを移行した事情のひとつにはまた、ポリティカル・コレクトネスが強調される中、コメディは作りづらくなったということもあるようだ。

「ジョーカー」が公開される2ヶ月ほど前の筆者とのインタビューで、フィリップスは、「今は、これは言っちゃダメ、あれもダメ、というのが多すぎる。何を言っても問題発言にされてしまう。僕自身はコメディに対して腹を立てたことは一度もないんだが、君たちが落ち着くまで僕はほかの映画を作らせてもらうよ、ってわけさ」と語っている。マッケイも、昨年末のインタビューで、「90年代と2000年代、僕はコメディを作るのを大いに楽しませてもらった。あの頃は、今ほど世界がめちゃくちゃになりつつあるようには感じなかったんだよね。まだ、楽観的な視点から見ることができた時代だった。そうしたら世の中はどんどん変な方に向かってしまったんだ。物事が落ち着いたら、僕はまたあっちに戻るよ」と述べていた。ファレリーも、「今の時代だったら『メリーに首ったけ』を作らせてもらうことは無理だろう」と認める。

「グリーンブック」まで、ピーター・ファレリーは賞レースとは無関係だった(写真/2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC.)
「グリーンブック」まで、ピーター・ファレリーは賞レースとは無関係だった(写真/2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC.)

 かと言って、ポリコレは必ずしも悪いことではないとも、ファレリーは強調。「そこから世の中にとって良いことが生まれてきたのも事実」だからだ。そのとおりで、世の中とは、常に動いているもの。そして、芸術はそれを反映する。フィルムメーカーが、作り手として、また人間として成長するに従い、作るものが変化していくのも、ごく自然なことだ。彼らのユニークなフィルモグラフィーは、まさにそれを反映していると言える。その幅の広さが、彼らを真に興味深いアーティストにしているのだ。この後、この人たちはどんな作品を世に送り出していくのだろうか。それが何かはわからないにしても、きっと新鮮で、たくさんの驚きを与えてくれるものであることは、期待できそうである。