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世の中はこの「アラジン」を必要としていたと信じる理由

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
今週金曜に日本公開される「アラジン」は、1992年のアニメーション映画の実写版

 7日(金)に日本公開される「アラジン」が、いろんな意味ですごい。まさか「アラジン」にここまで感心させられるとはと、何よりもまずそのことに筆者は驚いている。

 そもそも、「アラジン」の実写版を作ってくれなんて誰も頼んでいないよというのが、多くの人の本音ではないだろうか。ディズニーはこの後も名作アニメーションの実写化プロジェクトを多数抱えているだけに、そのこと自体へのシニカルな声も聞かれてきている。この春には、それらのひとつである「ダンボ」が、ティム・バートンという一見ぴったりの監督の手で作られたのに結果を出せなかったこともあり、ディズニー作品と最もほど遠い感じがするガイ・リッチーの「アラジン」に対して高い期待をもつ根拠は、はっきり言ってそれほどなかった。

 なのに、完成作を見てみたら、この「アラジン」は、古いものと新しいものが絶妙な形でブレンドされた、すばらしい娯楽作になっていたのである。作らなくてもいいのではと思われていたその映画は、今こそ作られるべきものだったのだ。今作には数々のメッセージが含まれているが、見てみるまで決めつけるなというのも、意図せずしてそのひとつになったと言えるかもしれない。

古き良きヒーロー像とロマンチックなストーリー

 今作の最大の魅力は、昔からある良い話、良いヒーロー像を、ポリコレ的なうざったさなしに、無理なく今の時代にふさわしい形でやってみせたことにある。もともと中東が舞台の物語なのだから、ポリコレも何も主人公がマイノリティであるのは当然なのだが、そういう映画が1億8,300万ドル(約200億円)もの予算をかけて作られるということ自体が斬新である(ちなみに、エマ・ワトソン主演の『美女と野獣』の予算は1億6,000万ドルだった)。

 その映画に登場する主人公は、子供がみんなあこがれるような、かっこよく、心優しいワルだ。運動能力にすぐれ、頭の回転が早く、とびぬけてチャーミング。一匹オオカミだが、人間ではない最高の相棒にめぐまれてもいる。そう、まさにハン・ソロである。ハリソン・フォードを代表とする白人男性たちの特権だったその手のキャラクターを演じるチャンスが、今回は、エジプト生まれ、カナダ育ちの無名俳優に与えられたのだ。そして、数多くの応募者の中からオーディションで選ばれたメナ・マスードは、最高のカリスマをもってこの役を名演してみせた。彼を見て、世界中の、いろんな人種の少年少女がきっと「ああなりたい」「ああいう人と恋をしたい」と思うことだろう。それは、社会の価値観を変える、小さいながらもパワフルな原動力となりえる。

アラジン(メナ・マスード)とジャスミン(ナオミ・スコット)は、出会った時からコネクションを感じる。アラジンの親友、猿のアブー(写真には出ていない)もふたりの恋を応援
アラジン(メナ・マスード)とジャスミン(ナオミ・スコット)は、出会った時からコネクションを感じる。アラジンの親友、猿のアブー(写真には出ていない)もふたりの恋を応援

 このふたりの恋もまた、究極にロマンチックだ。本来ならば出会うこともないであろうふたりが偶然に出会い、ひとめぼれと言うほどではないが速いスピードで惹かれていくというのは、これまた昔から恋愛物でよくあるパターンではある。でも、現実の社会で、アプリやらを通しての“出会い”が増える中、そんなシンプルで素直な恋の芽生えは、より輝いて見えるのではないだろうか。そうやって始まりからぐっと引き込む今作は、ナオミ・スコット演じるプリンセスをもっと見せていくうちに、なおさら魅力を深めていく。

「#TimesUp」の時代にふさわしいプリンセス

 筆者とのインタビューで、リッチーは、アニメーション版を愛する人々のノスタルジアにアピールすることを重視したと語っている。絵コンテをしっかり作ってそのとおりに撮影するなど、オリジナルに忠実であるよう心がけたとのことだ。そんな中でも、あえてやや変えたのが、プリンセスのジャスミンである。

 アニメーション版のジャスミンも、肩書きでなく人柄でパートナーを選ぶ、ちゃんとした価値観と自分をもった若い女性だった。しかし、この実写版で、彼女は、恋だけでなくキャリアも求め、手にしてみせる。彼女の心の中には、思うこと、言いたいことがたくさんたまっており、それを表現するシーンのために、「Speechless」という、アニメーション版にはなかった新曲も作られた。「#MeToo」「#TimesUp」運動で女性たちが発言するようになった今だけに、とてもタイムリーに感じられるが、この曲が書かれたのは、それらの運動が起こるより前だったそうである。

 しかし、強さをもつジャスミンは、レディとしての部分を捨てることもしない。先月日本公開されたドキュメンタリー「RBG 最強の85才」の中でも、ルース・ベイダー・ギンズバーグ米連邦最高裁判事が、「独立心をもちなさい、でもレディであり続けなさいと母に教えられた」と語ったばかりだが、そんなお手本が立て続けにスクリーンに登場するのは、素敵なことだと思う。

意外な作品でスランプから脱却したリッチーとスミス

 日本よりひと足先に公開された北米で、今作は首位デビューを果たした。今作の成功で、リッチーとジーニー役のウィル・スミスは、スランプから脱却することができている。リッチーは最近作2作「コードネームU.N.C.L.E.」「キング・アーサー」がいずれも赤字だったし、世界のトップスターとしてボックスオフィスを荒らしまくったスミスも、アンサンブル物の「スーサイド・スクワッド」を除けば、最後にヒットを出したのは2012年の「メン・イン・ブラック3」だった。近年は、「コンカッション」「素晴らしきかな、人生」など、ダークなドラマで演技力を見せることに力を入れてきたのだが、それらをオスカー候補入りにつなげることもできておらず、この2年ほどは休みを取っている。

どんな願いもかなえてあげられるジーニーだが、自分は魔法のランプに閉じ込められていて、自由になることはできない。ウィル・スミスは、そこに自分の置かれた状況との共通点を見たという
どんな願いもかなえてあげられるジーニーだが、自分は魔法のランプに閉じ込められていて、自由になることはできない。ウィル・スミスは、そこに自分の置かれた状況との共通点を見たという

 その間はまるでジーニーのように感じていたと、スミスは記者会見で明かした。人のお願いをなんでもかなえてあげる力をもつが、ジーニーは魔法のランプに閉じ込められていて、自分を自由にすることはできない。「僕自身も、ウィル・スミスというものに閉じ込められている気がしていた」というスミスは、「この2年の間に少しずつウィル・スミスというものから離れ、自分自身を見つけて、自由を得られるようになってきた」と告白。そして今、彼は、以前にも増して、スターである自分がどんな物語を世の中に送り出すのかを意識し、それを基準に出演作を選ぶようになったとも語った。それが「アラジン」だったのである。

 一方で、5人の子供と、ディズニーのプリンセスが好きな妻をもつリッチーにとっての動機は、家族みんなで見られる映画を作ることだった。ミュージカルというジャンルの経験はないが、それに関しても、「今の自分にはその領域に挑む準備ができていると感じていた」という。

 そんな姿勢でのぞんだ結果、この意外な作品は、待ち望んでいた成功を彼らにもたらすことになった。それは決して、魔法のランプにお願いをかけるというような、安易なやり方で得られたのではない。そこもまた、今作を通じてリッチーが伝えたかったメッセージだ。「宝くじを当ててやろうという姿勢で生きるな。自分がもつものを、どうにか自分で受け入れつつ、生きていくべきなんだ」と、筆者とのインタビューで、リッチーは今作に込めた思いを語っている。そう、ミュージカル映画を作る才能は、リッチーがすでにもっていたものだ。それを開花させる機会が、これまで訪れなかっただけにすぎない。人は誰も、自分でも気づいていない潜在的な能力をそなえているのである。自分でそれを探し、磨くことなくして、誰がそれをやってくれるだろう。この映画は、カメラの裏でもまた、決して古くならない大事なことを、新しい形で語ってくれるのだ。

L.A.での記者会見に集まったキャストと監督。右から順にリッチー、スミス、マスード、スコット(筆者撮影)
L.A.での記者会見に集まったキャストと監督。右から順にリッチー、スミス、マスード、スコット(筆者撮影)

「アラジン」は7日(金)、全国公開。

場面写真:2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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