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「アベンジャーズ/エンドゲーム」大ヒットが意味する映画のこれから

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ホークアイを演じるジェレミー・レナー(写真:ロイター/アフロ)

 終わりのゲームは、まだ終わる気配を見せない。

 先週末、世界興収12億ドルの史上記録を立ち上げた「アベンジャーズ/エンドゲーム」は、この週末もまたもや余裕の1位に君臨することが確実。北米では、この週末が終わるまでに6億ドルを突破する見込みで、これまた新記録だ。アメリカ時間3日(金)時点での世界興収は、17億8,500万ドル。史上最高の「アバター」(27億8,800万ドル)には遠いが、「アバター」は34週間をかけてこの数字を達成している。数週間後、「〜エンドゲーム」がどこまで行っているかが見ものである。

 この爆発的ヒットは、何を意味するのだろうか。誰の目にも明らかなのは、映画館はまだ死んでいないということ。Netflixが本格的にオスカー侵略を始めようとし、ディズニーやワーナーも自社のストリーミングサービスを立ち上げようとする中、映画館離れへの不安は、以前にも増して深刻になっている。今年最初の四半期の北米興行成績が昨年同時期に比べて落ち込んだのも、暗い気分を後押ししていた。

 そこへ来ての、この快挙だ。見たいもののためなら、人は争うようにして映画館に来るということが、これで証明されたわけである。だが、これが、古くからのシネフィルを喜ばせるかというと、別問題だ。

「〜エンドゲーム」はテレビドラマの最終回のようだった

 ハリウッドのメジャースタジオが作るのは続編やリメイク、リブートばかりという批判がたびたび聞かれるようになって、かなり久しい。その間、その傾向は強まるばかりだったが、20本もの作品が積み重なってクライマックスを迎える「〜エンドゲーム」の大成功で、このやり方が正しいのだと決定づけられてしまった。さらに、これはまた、高視聴率を上げたテレビドラマの最終回のようなものでもあったのである。そこまで一生懸命見てきたら、最後がどうなるのか気になるのは当たり前だし、友達に遅れて見るわけにはいかない。だから、人はこぞって最初の週末に映画館に押し寄せたのだ。

 テレビと言えば、ホークアイやロキを主人公にした話は、この後、ディズニーのストリーミングサービス「Disney+」で展開する予定である。彼らのその後は、スモールスクリーンで続く。マーベルはこれまでにもテレビで「エージェント・オブ・シールド」を放映してきているし、スモールスクリーンと行き来するのはとくに目新しいことではない。マーベル同様ディズニーの傘下にある「スター・ウォーズ」もそうだ。これまでもアニメ番組「クローン・ウォーズ」があったし、この秋「Disney+」で配信される「マンダロリアン」は、「ジェダイの復讐」の後の時代の話を語り、ストーリーの隙間を埋めてくれる。先月シカゴで開催された「スター・ウォーズ・セレブレーション」で見た「マンダロリアン」の映像は、スモールスクリーン用とは思えないレベルだった。話のつながりという意味でも、クオリティという意味でも、違いはどんどん狭まってきているということ。どちらかを見ることでもう一方を見たくなる、あるいは見た時により楽しめるようになるという、相乗効果もある。そうやって、ビッグスクリーンとスモールスクリーンの垣根は、どんどん薄まっている。

シリーズ化しづらい映画はそのままストリーミングに

 もちろん、これはワーナーもDCコミックでやっている戦法である。ユニバーサルも、古典モンスターを集めた「ダーク・ユニバース」シリーズを立ち上げようと試みた。だが、DC映画はマーベルに比べると評価にムラがあるし、「ダーク・ユニバース」シリーズは1本目の「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」が大コケして、早くも頓挫してしまっている。つまり、真似をすれば誰でもできるというわけではないということ。それでも、「うちだって」という動きは、これからますます増えていくだろう。

 代わりにもっと苦戦を強いられることになるのが、すでに存続の危機にさらされている中規模予算の人間ドラマだ。昨年はワーナーの「クレイジー・リッチ!」が大ヒットし、ロマンチックコメディを見たい人はまだたくさんいるということが証明されたが、だからといってスタジオが喜んで昔のようにこのジャンルを積極的に作ってくれることにはならない。自社のストリーミングを立ち上げている彼らは、そのためのコンテンツが必要なだけに、むしろこういったプロジェクトは最初からそちらに回されていくだろうと思われる。

 こういった作品の受け皿をすでに果たしてきているのがNetflixだ。たとえば昨年ヨーロッパ各国で劇場公開され、日本でもこれから公開が予定されているリリー・ジェームズ主演の恋愛映画「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」は、アメリカでは最初からNetflixだった。Netflixはまた、「クレイジー・リッチ!」の獲得にも積極的で、ワーナーが出そうとしている予算よりもっと出してあげるとオファーしている。ディズニーやワーナーが自社映画を自社ストリーミングに引き上げることで開く穴をオリジナルで埋めようとするNetflixと、スタジオにはもう売り込みすらさせてもらえないフィルムメーカーらのマッチングは、これからますます増えていくと思われる。

オスカー狙いの低予算映画はまだ劇場で公開される

 しかし、オスカーとなると、話は別だ。Netflix作品である「ROMA/ローマ」が作品賞を取らなかったことに業界人が胸をなでおろしたことにも見られるように、映画界最高の栄誉をストリーミングと分かち合う心意気を持たない人は、業界にかなり多い。20世紀フォックスの買収が成立した直後に「プラダを着た悪魔」などを作ってきたフォックス2000のレーベルを廃止したディズニーですら、オスカーで大活躍する低予算のアート系映画レーベルのフォックス・サーチライトは存続させている。ユニバーサルの系列であるフォーカス・フィーチャーズもあいかわらず大活躍だし、もっと小さなところでは、「バイス」「ビール・ストリートの恋人たち」などを製作したアンナプルナ、「レディバード」「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」などのA24も、勢いを失う気配はない。

 つまり、これからアメリカでは、これまでにも顕著だった、1年のほとんど(とくに夏の終わりまで)はシリーズ物、リブート、アメコミ物だらけで、賞狙いシーズンの秋半ば頃から低予算の暗い大人向け映画が大都市限定で出る、というパターンが前にも増して強まるということ。その中間にあたる作品はストリーミングに直行するので、それ以外の時期に2時間で完全に最初から最後まで話が語られる映画を見たいならそこへ、という構図が定着する。

 となると、映画館の生きる道は、テレビやストリーミングでも展開する巨大なユニバースの一部か、オスカー狙いの手段となることだ。そのどちらにも当てはまらないものは、基本的に映画館のお呼びではない。それが、ハリウッドの未来である。それは、ある程度わかっていたこと。「〜エンドゲーム」は、それを否定する人たちにとっての終わりのゲームだったのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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