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賞のためなら手段も選ばず。ハーベイ・ワインスタインのオスカーキャンペーンを振り返る

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
オスカーキャンペーンを根こそぎ変えたハーベイ・ワインスタイン(写真:ロイター/アフロ)

 ハーベイのいないオスカー。昨年まで、それは、アクション映画のない夏や、かぼちゃのないハロウィンくらい、ありえないことだった。

 だが、3日後に迫った今年のアカデミー賞授賞式では、まさにそんなシュールリアルな状況が展開する。理由は言うまでもない。昨年10月の「New York Times」と「New Yorker」の暴露記事をきっかけに、長年にわたる彼のセクハラやレイプの実態が明らかになって、ハーベイ・ワインスタインが、事実上、ハリウッドを追放されてしまったからである。今週には、ワインスタインが弟ボブと創設したザ・ワインスタイン・カンパニー(TWC)が、いよいよ経営破綻に向けて手続きを進める方向であることも明らかになった。オスカーの週にこのニュースが流れるというのは、いかにも皮肉だ。

 ワインスタインが製作に関わった映画は、これまでに合計で300個以上のオスカーを稼いだと言われる。いかに優れた目とセンスを持っていたとしても、これだけの数を達成するのは難しい。それだけ、彼が戦略に長けていたということ。ワインスタインは、オスカーキャンペーンというものを根こそぎ変えてしまった人物なのである。

「プライベート・ライアン」と「恋におちたシェイクスピア」の大接戦だった年に「恋におちた〜」が取ったことや、それほど評価が高いと言えなかった「ショコラ」が作品部門にノミネートを果たしたことは、今も語り継がれる伝説。負けてたまるかとライバルも積極的になる中、公平を期すべく、アカデミーは、何度となくキャンペーン上のルールを細かく変更してきた。それでも抜け穴を見つけてはぎりぎりのことをやるのが、ワインスタインだったのだ。

 セクハラ暴露が起こる以前から、TWCはヒットに恵まれなくなっており、最近はオスカーでも以前ほどの勢いを見せていない。だが、昨年はまだ「LION/ライオン〜25年目のただいま〜」が複数部門で候補入りし、彼はあいかわらず、わがもの顔でレッドカーペットを歩いている。この作品に関しては、当時トランプが出した一部の国からの入国制限にからめて、インド人の子役を前面に出し、ほとんどが民主党派のアカデミー会員に訴えるキャンペーンを展開している。これはなかなか良いアプローチだったと思うが、あざといと見る人たちも、もちろんいた。だが、彼のあざとさは、こんなものではない。過去には、ずいぶんいろいろなことをやってきたのだ。オスカー前夜の今、彼のキャンペーンを振り返ってみよう。

昨年の「LION/ライオン〜」のキャンペーン広告。トランプが出したばかりの入国制限に触れ、民主党派がほとんどのアカデミー会員にアピールをした(写真/猿渡由紀)
昨年の「LION/ライオン〜」のキャンペーン広告。トランプが出したばかりの入国制限に触れ、民主党派がほとんどのアカデミー会員にアピールをした(写真/猿渡由紀)

ライバルの悪いネタを流すネガティブキャンペーン

 オスカーの歴史で最も醜いネガティブキャンペーンとして記憶されるのが、ユニバーサルの「ビューティフル・マインド」が受賞した2002年である。この年、作品部門には、ワインスタインのミラマックスによる「イン・ザ・ベッドルーム」も候補入りしていた(ほかの候補作は『ゴスフォード・パーク』『ロード・オブ・ザ・リング』『ムーラン・ルージュ』)。キャンペーン中、映画「ビューティフル・マインド」がジョン・ナッシュの良くない部分を省いているとの批判が出た時、ミラマックスは飛びつき、「L.A. Times」に、ナッシュがゲイだったことを指摘する記事を書くよう提案の電話をする。だが、「L.A. Times」は、ミラマックスがその電話をしてきた事実のほうを記事にしてしまい、ワインスタインは公にユニバーサルに対して謝罪をするはめになった。

 その翌年には、ロマン・ポランスキーの「戦場のピアニスト」がミラマックスの「シカゴ」と対決する。この時には、13歳の時にポランスキーにレイプされたというサマンサ・ゲイリーが突然にして数々のメディアに登場し、事件について語るということが起きた。英国アカデミー賞を「戦場の〜」が獲得した時に、ミラマックスのパブリシストがポランスキーを「レイプ犯」と呼んだ事実もあり、背後にはワインスタインがいると憶測されている。結果的に「戦場の〜」は、監督賞、主演男優賞、脚色賞は取ったが、作品賞は「シカゴ」に渡った。

 現在、アカデミーは、ライバルについて言及するネガティブキャンペーンを厳しく禁じている。

選挙運動顔負けの電話攻撃

 今や、アカデミー会員に向けて投票のお願いの電話をするのは、ルール違反である。たとえそれが、スクリーナー(DVD)がちゃんと届いているかどうかを確認するためのものであっても、してはならない。電話番号を確認するためならば許されるが、その際、特定の映画の名前を出すのは禁じられている。そんなルールが作られた理由は、ワインスタインにある。

 電話は、たいしてお金がかからない。そのため、初期にはとくにこの方法に頼った。当時無名だったビリー・ボブ・ソーントンの「スリング・ブレイド」(1996)が候補入りした時、「スクリーナーは届いたか」「ビリー・ボブの演技は素晴らしかったと思わないか」など何度もミラマックスから電話がかかってきて、結局彼に入れたというアカデミー会員のコメントを、当時「New York Times」が掲載している。

 ノミネーション時期がホリデーシーズンで、アカデミー会員が、ハワイやアスペンなどで休暇を過ごすことを理解していたワインスタインは、それらの場所で試写を組んだりもした。また、監督やスターを試写やパーティに呼び、アカデミー会員とおしゃべりをさせるという手も、たびたび使っている。「ライフ・イズ・ビューティフル」のロベルト・ベニーニなどは、オスカー授賞式前、丸1ヶ月をL.A.で過ごし、業界に大勢友達を作って、見事、主演男優賞を受賞しているのだ。「恋におちたシェイクスピア」の時には、グウィネス・パルトロウが相当あちこちに顔を出した。

 現在、アカデミーは、ノミネーション発表後に、映画のキャンペーン目的でディナーやランチなどのイベントを行うことを禁じている。

お金をかけ、知恵をしぼった広告合戦

 先に挙げた「LION/ライオン〜」のように、投票者の心を惹きつける独自のアプローチを考え出すのも、ワインスタインの得意とするところだ。「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」の時は、当時無名だったマット・デイモンとベン・アフレックが、幼なじみで売れない俳優だという部分を強調した。結果、ふたりは脚本賞を受賞。「そうなんだ、かわいい話じゃないか」と思ってもらえたことが功を奏したのだろうと、後日、アフレック自身も認めている。

「愛を読むひと」の時には、ホロコーストを体験したユダヤ系作家エリ・ヴィーゼルから賞賛を取り付け、そのコメントを広告に使った。そして見事、今作でケイト・ウィンスレットはキャリア初のオスカーを受賞している(ただし、ワインスタインとの仕事が最悪で、『俺がオスカーを取らせてやる』などと恩を着せられたことにも不満だったウィンスレットは、二度と彼とは組まないと決めたと語っている)。

今年の「ゲット・アウト」のキャンペーン広告。このように、批評家のコメントを広告に使うのはルール違反ではないが、アカデミー会員のコメントの使用は厳禁だ(写真/猿渡由紀)
今年の「ゲット・アウト」のキャンペーン広告。このように、批評家のコメントを広告に使うのはルール違反ではないが、アカデミー会員のコメントの使用は厳禁だ(写真/猿渡由紀)

 そのように、影響力のある人のコメントを使用するのも、彼の得意技だ。「ギャング・オブ・ニューヨーク」の時には、「サウンド・オブ・ミュージック」のロバート・ワイズ監督に絶賛コラムを書かせ、それを広告に使用したのだが、後になって、このコラムを書いたのはミラマックスのパブリシストだったことが発覚する。ワイズは原稿の最後にサインをしただけだったのだ。さらに、ワイズはアカデミー会員で、仲間内でもある。この後、アカデミーは、会員のコメントをキャンペーンに使うことを禁止した。

 ワインスタインは、それらの広告を「New York Times」や「L.A. Times」に出す上でのお金も惜しんでいない。「プライベート・ライアン」と熾烈な闘いをした「恋におちたシェイクスピア」のために、ミラマックスが使ったお金は500万ドル以上と推定されている。当時、インディーズのオスカーキャンペーン予算はせいぜい25万ドル、メジャースタジオでも200万ドルというのが相場だった。ワインスタインがどんどんお金を注ぎ込むため、「プライベート・ライアン」を製作したドリームワークスもお金を使わざるをえなかったと、後にデビッド・カッツェンバーグは認めている。

 つまり、ワインスタインは「New York Times」にとっても重要な広告主だったわけで、2004年に当時同紙の記者だったシャロン・ワクスマンがワインスタインのセクハラについての記事を書こうとした時にストップがかかったのも、それが関係しているとの説がある。だが、「New York Times」のエグゼクティブ・エディター、ディーン・バケットは、その説に断固として抗議。「私は2004年にはまだここにいませんでしたが、ワインスタインが重要な広告主だからといって、『New York Times』が記事を握りつぶすとは思えません」と声明を発表している。当時の編集者もまた、「ワクスマンさんは、その時、自分の記事が立派だと思ったのかもしれませんが、彼女が取っていたのは、匿名で語ってくれたひとりの女性のコメントだけ。私たちが最近公開した記事とは比較になりません」と語った。昨年10月、「New Yorker」に先立ってワインスタインのセクハラを暴露したのは、「New York Times」。以後も、「New York Times」は、数々の続報を掲載している。現在、ワインスタインは、セックス依存症の更生のため、アリゾナで静かに生活している。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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