なぜ今、住民投票なのか。プーチン大統領の決意とは。タヴリダとエカテリーナ2世:ウクライナ戦争
現在、9月23日から27日まで、ドネツク・ルハンスク・ザポリージャ・ヘルソンで住民投票が行われている。
戸別訪問が主体だが、ドネツクで450か所、ルガンスクで461か所の投票所が開設される。ザポリージャ州は394か所、ケルソン州は198か所となると発表された。
最近では、住民投票は11月4日、ロシアの祝日「民族統一の日」に行われるだろうとの見方がもっぱらだった。
これは2005年に制定された比較的新しい祝日で、ロシア・ナショナリズムのシンボル的な祭日である。
(元は、ポーランドから解放されて、ロマノフ王朝が成立したことを記念する「カザンの聖母」の祭日だった。ソ連時代は、革命前の祝日は一切削除されていた)。
それが9月5日、ロシアが任命したヘルソンの行政当局の副責任者キリル・ストレムソフ氏は「治安情勢を鑑みて、住民投票を延期する」と発表したのだった。
それがまたまた一転して、急遽実施となった。
なぜこのような事態になったのか
既に語られているように、ウクライナの東部ハルキウ州奪還という事態に、ロシアが焦ったことが挙げられる。
アメリカの戦争研究所が言うように、4つの地方をロシアに併合してしまえば、「ロシアの領土を守る」ということで、徴集兵を配備することが可能になる。
これは専門家たちの一致した見方で、「この住民投票の原則は、これらの領土をロシア領にすることです」、「これらの地域の地位(ステータス)を変えることで、この紛争のゲームのルールを変えさせるのです」と、紛争分析の専門家であるミシェル・ゴヤ大佐も述べている。
「ロシアは、今これらの領土を攻撃すれば、我が国を攻撃することになる、と言って、これらの領土をある意味で聖域化します。ロシアを攻撃することは、強制的な宣戦布告になるのです」と説明する。その場合「祖国の土を守るため」、国家のあらゆる力が動員されることになるという。
それだけではない。「祖国の土」を攻撃するウクライナを支援する西側を、明確な敵とみなすことができるようになるかもしれない。
一方、ウクライナ側のルハンスク州知事のセルゲイ・ガイダイは、別の見解をフランスのBFM.TVに述べている。
この投票は、戸別訪問となっている。各家を一軒一軒訪ねているのは、賛成か反対かを判断するためではなく、調査をして軍籍名簿をつくっているのだ、と。
住民投票という名目のもと、彼らは戦線の大砲の餌として住民を動員するために、利用可能な男性の国勢調査のようなものを行おうとしているのだ、というのである。
なぜ今住民投票か
ところで、筆者には「なぜ住民投票を今行うか」というより、「なぜ今まで行わなかったのか」という疑問のほうが、頭を占めていた。
ロシアがクリミアと同じように住民投票を行うであろうことは、欧州ではとうの昔に予想されていた。
戦争が始まってから、筆者が記憶している最も古い発言は、ルハンスクのレオニード・パシチニク自称大統領が、3月27日に、ロシアへの復帰を求める住民投票を近く実施する可能性があると述べたものだ。
つまり、戦争のかなり初期から(あるいは戦争が始まる前から)、この住民投票はロシアの戦略の一部であったという見立てが可能だと思う。
ロシアはもっと早く行うことはできなかったのだろうか。それとも、この頃ーー首都キーウ奪取に失敗して軍を撤退させたころから、記念日好きのプーチン大統領は、11月の実現を目指していたのだろうか。
この答えはまだ明確に出ていないが、一つの回答は、それだけ本来ならば時間が必要な案件だったということだろう。
今、これらの占領地域で行われていることは、国家によって組織された暴力である。もともとソ連という一つの国だったし、ロシア人もウクライナ人も混ざっている地域なので、占領はよりいっそう難しい。
「地元の指導者の誘拐や失踪、教師と校長の強制的な再教育が、侵略に続いています」と、パリ政治学院で欧露関係を専門とするアナスタシア・シャポッキナ講師は述べている。
これらの措置は、ドンバス地域(ドネツク・ルハンスク)では2014年から既に始まっていた。大量の「扇動者たち」が送り込まれていたし、ドンバス戦争は既に8年も続いている。
特にドネツク地方は、複雑でもある一方で、キーウとの対立も鮮明になってしまっていた。
かつては鉱山の街として栄え、鉱山労働者の労働英雄が称えられる地域だった。崇拝されて今は見捨てられたプロレタリアたちは貧しい。
今でも死と近い危険な仕事で、月給は150ユーロだという。過去には、それすら支払われず、現物支給の時代もあった。
地元のヤヌコビッチ(後のウクライナ大統領)に代表される親ロ派政治家・オリガルヒなどによる懐柔、ロシアのプロパガンダが功を奏した。
彼らの憎しみは今やキーウの人たちやオリガルヒに向けられているという。
彼らは自分たちが、過去の遺物、国の民主的発展の障害と軽蔑されていることを知っているのだ。軽蔑してくる人たちが憧れる欧州連合(EU)などというものは、はるか遠くの、自分たちとは関係ないものに過ぎない。過去に対する郷愁に満ちている。
でも彼らは、ウクライナだロシアだというアイデンティティ以前に、生活の向上を何よりも望んだのだったと言われる。
ドネツク地方では、住民投票のやり方の不正はともかく、本当に親ロ派が勝つだろうと推測される。なぜなら、親西欧的で教育を受けた若者たちは、ほぼみんな8年の間に逃げてしまったからだ(そんな一人に、筆者はパリで出会ったことがある)。
タヴリダの歴史が与える影響は
今回の投票では、8年も戦争をしてきたドネツク・ルハンスクと、残り二つの地域であるザボリージャ州とヘルソン州では、分けて考えたほうがいいだろう。
前者の二州が、自称ではあるが独立を宣言しており、ロシア・シリア・北朝鮮から承認されているのに対し、後者の二州は、まだ自称独立の過程を経ていない。
しかし、それだけではない。
気になるのは、9月2日に行われたロシアのレバダセンターによるロシア人世論調査である。
ここで「ザポリージャとヘルソンはどうなるべきか」という質問に、ロシアに併合が45%、独立国家にするが21%、ウクライナのままが14%、無回答が19%だったのだ。「独立国家」の選択が気になっている。
かつてザポリージャとヘルソン、そしてクリミア半島は、「タヴリダ」と呼ばれる行政地域だった。18世紀後半にロシアのエカテリーナ2世が、オスマン・トルコ帝国から戦争で獲得した領土だ。
当時、タタール人が多いクリミア半島と異なり、ザポリージャとヘルソン地域には、ドイツ語話者やイディッシュ語話者(ユダヤ)も住んでいた。
ロシア革命(1917年)が起こった混乱の時代には、1918年に1ヶ月にも満たない本当に短期間だが、ザポリージャとヘルソンの地域は一国家として独立したことがある。ウクライナ、ロシア、クリミア(半島で独自の動きあり)から独立した「タヴリダ・ソビエト社会主義共和国」である。
当時ウクライナは、タヴリダ全域(ザポリージャ・ヘルソン・クリミア)を自国の領土だと主権を主張していなかった。
超短期独立国は消滅し、ドイツに依存する軍事政権であるクリミア地方政府にかわられた(後にソ連領となった)。
この地域の歴史の特性は、今後の推移に何か影響を与えるだろうか。どうしても気になるので書き留めておきたい。
プーチン大統領の覚悟とエカテリーナ大帝
現在、ザポリージャからは続々と人々が脱出している。ロシア占領地域ではないザポリージャの地域には、避難民センターがつくられている。
彼らは様々な証言を行っている。
戦争反対で街頭でデモを行った人たちの大半は、容赦ない抑圧体制にやられ、去ったり消えたりしたと語る人。投票に参加しなければ年金が差し止められると脅された人。
住民投票の発表以降、ロシア軍は18歳から35歳の男性が占領地から出るのを阻んでいる。半年以上も家から出ずに隠れていた。軍用靴を履いていただけで逮捕され拷問された若者がいたが、周りの者は怖くて助けようとしない等々、現場の生々しい声が、報道から聞こえてくる。
現地に滞在し続けた人には、ロシアのパスポートが発行されるのだという。
これほどの非人道、国際法違反がなされても、占領地がロシアに併合されれば、潮目は変わるに違いない。
クレムリンは26日、何十万人もの予備兵を動員したことについて「誤り」があったと認めた。ペスコフ報道官は、「(動員)令に違反したケースがある」と述べ、「間違いが正される」ことを望むと付け加えた。
一方で、24日には、脱走や戦闘拒否をした兵士に最高10年の懲役を科すという修正案に、大統領は署名した。
核兵器使用を主張する超極右と、戦争や動員に反対する人々の間で、プーチン大統領は揺れて、ジレンマに陥っているのだろうか。
おそらく違うだろう。そこにあるのは、挫折の後に頭をもたげた強い意志であり、この大きな荒波を渡りきろうという冷徹な目と忍耐であるに違いない。
かつてメルケル独首相は、尊敬する人物はロシアの女帝エカテリーナ2世だと述べた(彼女はロシア皇帝ピョートル3世と結婚したドイツ人)。
まさに今、プーチン大統領が奪取しようとしている地域は、エカテリーナ「大帝」が、二度に渡るオスマン・トルコ帝国との戦争を戦い抜いて、ロシア領とした場所である。ロシアがクリミアをも取得し、黒海の制海権を握ったのは、彼女の統治の時代であった。
プーチンや保守派から見たら、女帝エカテリーナがロシアのものとした土地を、今取り返そうとしているのだ。
この「大帝」には、一つの信念があったという。
一つのことをやると決めたなら、たとえ間違いがあっても、やり方がまずくても、最後までやりとげるべきである。優柔不断は愚か者のすることである、というものだ。
プーチン大統領が行おうとしているのは、まさにこれなのだと思う。
もしかしたら、女帝がプガチョフの反乱(農民大蜂起)に耐えながら第一次露土戦争を戦い抜き、ドニエプル川と南ブーフ川の間の領域を手中に収め、同時に反乱をも鎮めた事例にならっているのかもしれない。
ただ、プーチン大統領はあと10日で70歳だ。ロシア人男性の平均寿命を超えている。病気説もたえず流れているし、9月5日にウラジオストックで行われた東方経済フォーラムでは、何だか歩行が変だった。
そのような高齢の人間に、たづなを緩めずに最後まで戦争を乗り切ることができるのか。
そして、ゴールをどこに定めているのか。首都キーウはあきらめても、オデッサはどうだろうか(これもエカテリーナ2世が獲得して建設した港だが)。
そして西側諸国はどう対応するのか。欧州にとっても日本にとっても、自分の安全が脅かされる事態である。
それに、このような蛮行を許したら、世界のあちこちに「ミニ」プーチン、「ミニ」ウクライナが登場しかねない(しかも「ミニ」じゃないかもしれない)。
アメリカは、EUは、そして日本は、どうロシアに対峙しようというのだろうか。
プーチン大統領は強い。行っていることは皇帝的で、人権蹂躙で国際法無視だが、その強さと冷徹な頭の良さには感嘆せざるをえない。しかし、その非道と冷酷さに、民主主義は立ち向かって勝たなければならないはずだ。
平和と協調を誇り旨とするEU+日本という鳩の集団に、鷹一匹。ジレンマに陥っているのは、ウラジーミル・プーチンの側ではない、我々のほうである。
西側のゴールはわかっている。プーチン大統領を、ミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領・初代セルビア大統領のように国際法廷にかけることだ。問題はどうやってそこに到達するかである。
彼の強さの前に覚悟を迫られているのは、我々西側のほうなのだと思う。