カリーニングラード、鉄道輸送の制裁が解かれる。なぜこうなったのか【あのニュースはその後】
緊張が高まっていた、ロシアの飛び地・カリーニングラード問題。
ロシア側からは、リトアニアに痛みを伴う対抗措置をとるとか、軍事紛争に発展しうるとか、物騒な脅しの文句が浴びせられていた。
<何が起きていたのか>:とうとう火薬庫に火がつくのか。ロシアの飛び地カリーニングラードとスヴァウキ回廊、リトアニアの列車問題
欧州連合(EU)は、7月13日新たな指針(ガイダンス)を発表した。
大変短くまとめて言うのなら「鉄道輸送は良いが、道路は禁止。武器はどのような手段であれ、一切輸送禁止」である。
ロシアというより「カリーニングラード」で必要とされる物資なのだから、許可するという判断になったように見える。
アメリカもこの指針を認めている。「我々は、EUが、加盟国がカリーニングラードに関するロシアへの経済制裁をどのように実施するかを明確にした発表を歓迎する」とプライス報道官は同日に述べている。
こうして7月26日、再開した鉄道の第一便が、ロシアからカリーニングラードへセメントを運んだ。今後EUは、双方向の流れを監視しなくてはならない。
ロシア国営通信RIA Novostiは、EUとロシアが、カリーニングラードを通過する物品をEU制裁の対象から除外することで合意したと報じたという。しかし、欧州委員会はこの情報を否定している。
「いいえ、これは全然事実ではありません。我々がロシアと何かを合意したり交渉したりしたというのは、嘘です」と、欧州委員会のフェリー報道官は、リトアニア公共放送へ文書回答した。
実際この路線は、ロシア国内線でリトアニア通過という位置づけであると言われていた。鉄道と道路は違うというEUの指針は、大陸の複雑さを表しているようだ。
リトアニアの複雑な立場
ただ、リトアニア国内では問題を引き起こしている。
そもそもEUの指針に従って、リトアニアは今回の措置を実行しようとしたのだ。
もし同国政府がブリュッセルに異議を唱えたら、それはロシアの「勝利」になってしまう。そのためだろうか、翌日の14日、リトアニア政府は、欧州委員会に異議を申し立てるつもりはないと発表した。
シモニテ首相は、火曜日に放送された公共放送でのインタビューで、「おそらく欧州委員会自身が、何かを明確にした後になって、どのような反応が起こりうるか、十分に考慮していなかったのでしょう」、「しかし、リトアニアは制裁発効時の指針に従いました」と説明した。
同国政府は、4月に、制裁によってEUへの持ち込みが禁止された、一部の物品の通過を禁止する欧州委員会の指針を受け取っている。
この指針の解釈を、政府が間違えたのではないかという声があり、与党と野党の間で問題が起きているという。
カリーニングラード独自のポジション
なぜこのような、ロシア寄りとも言える措置となったのだろうか。
核兵器の問題は、もちろん大きい。ニュースでは突然カリーニングラードが、おどろおどろしい核兵器の存在する飛び地と紹介されることが多かった。
しかし、それは本当に一面のことである。
今回のEUの措置は、ロシア寄りというよりは、カリーニングラード救済の側面が高いと思う。
そもそも、カリーニングラードには、ウクライナ人の子孫が多く住んでいる。
かつて、バルト海の海上貿易で栄えた、プロイセン領(ついでドイツ帝国)の地「ケーニヒスベルク」は、ヤルタ会談でスターリンに取られ、名前をカリーニングラードへと変えた。
第二次大戦後、残忍なソビエト化にさらされて、プロイセンの豊かな文化的継承をつぶす政策が行われ、ドイツ系住民が軍事的に追放された。
その後、ソ連全土から、家と牛とわずかな金銭の約束に惹かれてやってきた市民が住み始めたのだという。その中に、多くのウクライナ人がいたのだ。
ロシアの指導者たちは、長い間、この飛び地をどのように救済すればよいのかわからず、代わりにいくつかの独創的な取り組みを行った。
まず、経済自由区域(後に経済特区)を設け、税制上の優遇措置を講じて外国からの投資を誘致しようとした。プーチン大統領は、就任当初、この島をバルト海の香港にすると公言していたくらいだ。
また、カリーニングラード行政に大きな権限が与えられ、独自の政策がとれるようになった。
しかし、どちらもうまくいかず、カリーニングラードはさらに衰退の道をたどることになってしまった。
むしろヨーロッパ人
カリーニングラード人は、ロシア人であるというアイデンティティはもっているが、よりヨーロッパ的である。
それも当然で、ロシア本国は遠く、ヨーロッパのEUの国々に囲まれているのだ。特に若い世代ではそうである。
2012年から2016年にかけての、良好な関係がピークに達していた時期は、ポーランドとロシア当局の二国間協定により、国境のどちら側からでも隣国へビザなしで入国できるようになっていた(ウクライナ国境でも実施されていた)。
2015年には、カリーニングラードから100万人以上が隣国ポーランドとの国境を越えて、気軽に買い物に来ていた。
2016年にこの制度は終わりを告げ、お金のかかるヴィザ取得が必要になった。この措置が、2014年クリミア併合のすぐ後でなかったことも注目したい。欧州大陸における人の移動、人の交流に対する考えが反映しているだろう。
それでも、国境を越えて来る人達は、数は減ったが依然として少なからずいた。
買い物にはVISAカードやMASTERカードが使われていた。今はスウィフト停止の制裁で、使えなくなってしまったが。
しかも、カリーニングラードにはポーランドのヴィザセンターがあり、科学者や教師、学生、その他特定のカテゴリーの人々には、EU内のほとんどの国を自由に行き来できるシェンゲン・ヴィザを、無料で迅速に発給していたのだ。
そのためか、若い世代のほとんどの学生が、ヨーロッパを広く旅行した経験があるという。
彼らはソ連のつくったコンクリート共同住宅に住みながら、ソ連が否定してかなりを破壊した、かつてのプロイセンの豊かな「ケーニヒスベルク」の文化に魅了される。
それは彼らが生まれ育った土地の歴史的遺産であり、クールな大国ドイツやベルリンを投影するものなのだ。
彼らは何人(なにじん)なのだろうか。おそらくカリーニングラード人なのではないか。フィレンツェ人、アントワープ人、大阪人というのと同じように。
プーチン大統領が恐れること
飛び地カリーニングラードは、政治意識も、ロシア本土とは異なる。
2010年には、モスクワ出身のゲオルギー・ボス知事に対し、1万人が街頭で抗議の声を上げたこともある。ロシアではこのような大規模な抗議行動は珍しいものだ。その時、プーチン氏は柔軟性を発揮して、再任を見送ったほどである。
だからこそ、モスクワにとっては、カリーニングラードがウクライナの首都キーウと同じ、マイダン革命化するほうが、よっぽど可能性のある恐怖なのだとも言われる。
クリミア併合以来、この街には核弾頭搭載可能な弾道ミサイル「イスカンデル」が配備されている。ミサイルそのものの技術的な説明をよそに、小さな領土の中に核兵器が置かれていることは、住民にとって恐怖となっているに違いない。
EUや隣国にとっては、EU内部に存在する飛び地カリーニングラードをどのように扱うか、大きな戦略なしでは方針が決められないだろう。
戦争以降、そのような大戦略がEUで決定された形跡は見当たらない。が、核の恐怖だけではなく、EUとロシアの対立でいっそう厳しい物価高騰や失業の危機に苦しむカリーニングラード人という「ヨーロッパの市民」を、これ以上追い詰める措置は避けたのに違いない。