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スイスが「CPTPP(TPP11)」に加盟?:問われる5つの項目

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
スイスのベルン、ブリエンツ湖。アルプス山脈のブリエンツァー・ロートホルン山を臨む(写真:アフロ)

スイスが、真剣にCPTPPに加盟の是非を検討している。

CPTPPとは、またの名を「TPP 11(11カ国という意味)」。

12カ国加盟していたTPP(環太平洋パートナーシップ協定)から、トランプ大統領が就任して、アメリカが脱退。日本がアメリカ抜きでも推進しようとリーダーシップを取り、2018年に署名・発効した協定である。

スイス連邦参事会は、すでに3年前の2018年、「対外経済政策に関する報告書」で、スイスがCPTPPに参加すべきかどうかを慎重に検討することを確約している。

最近になって事態が動いたが、それは二つの危機感のためだった。

一つは、イギリスや中国を含むスイスの重要な貿易相手国が、CPTPPへの加盟を検討していると発表したこと、もう一つは、バイデン大統領の後押しもあって、アメリカでこの同盟への関心が再燃するかもしれないことだった。

ますます「環太平洋」から離れて行っている感がするが、昨年2020年12月2日に、ある議員が、加盟問題についてスイス国民議会に質問を提出した。そして2月に回答が出たのだった。一言でいうのなら「様子見」となった。

日本とスイスの関係

グローバル化時代を迎え、日本が初めて先進国と経済協定を結んだのは、スイスである。2009年のことだ。「日本・スイス自由貿易経済連携協定」のパートナーシップは、他の国に比べて長い実績がある。

当時日本は、韓国が積極的に自由貿易協定(FTA)を進めているために、出遅れて焦っていた。

スイスは、チリ・メキシコ・韓国などと同じように、積極的にFTA締結を進め、世界のFTA促進のモーターになった国の一つだ。

日本は、東南アジア諸国を中心に締結や交渉を重ねてきたが、先進国相手も欧州の国も、スイスが初めてだった。そのため「スイスとは、今後先進国と協定を結ぶ際のモデルになる、高いレベルの協定を目指す」と言われていたものだ。

いわば日本にとっては「スイスは先駆けたお手本」のようなものだった。

しかしあれから10年以上が経過、世界の様相は大きく変わった。EUの積極的な貿易協定締結の外交、アメリカ・オバマ政権の太平洋でのTPP(のちにCPTPP)、大西洋でのTTIPなどだ。

今は政治面では停滞や後退をしているが、「世界のルールづくり」のほうは速さは鈍ったが、後退する気配はない。

スイスにとって直撃だったのは、日本が2018年にEUと経済連携協定(EPA)を結んだことである。この大型の協定のために、スイスはEU加盟国に比べて、不利な立場に置かれるようになった。

例えば農業生産品。ハムなどの豚肉、チーズ、キャラメルやキャンディーなどの砂糖菓子。その他にも、皮革製品、スキーブーツやスポーツシューズなどの履物など。その他大型ビジネスとしては、政府調達のジャンルだ。

2019年に日EU協定は発効。当時、マリー・ガブリエル・イノイシェン=フライシュ経済担当国務長官は、CPTPPについて「さらに進めるかどうか、決めなければならない」と発言、スイスなどの国に比べて、日本などのプレーヤーに「実質的な操縦の余地」を与えているとした。

ただし、農業問題は難しい課題であることを認め、「でもアメリカがCPTPPに参加していないので、プレッシャーはそれほど強くない」と語っていた

世界のルールづくりで遅れをとる

スイスが不利なのは、EUが巨大な存在だからというだけではない。

2009年に締結された日本とスイスの経済協定は、発効後11年以上が経過している。そこで採用されている貿易ルールの内容が古くなって、時代遅れになってきているのだ。

どのように時代遅れなのかは、説明が難しい。専門的な内容になるからだ。

しかし、実はこれは究極的に大事なことなのだ。今日本のマスコミでは、TPP11やRCEPなど、経済協定を話すのに、政治面での話しかしない。でも、政治面と同じくらい、あるいはそれ以上に大事なのは、このルールの内容のほうなのだ。

世界は「誰が世界の貿易のルールづくりをするのか」で激しく争っている。「世界の貿易のルールづくりを制する者が、貿易を制する」といっても過言ではない。世界の二大巨頭はアメリカとEUだ(中国は、一部ジャンルでは挑戦が始まっているが、全体的にはこの力に乏しい)。

沢山ある重要な貿易ルールのうち、一つがうまくいかないと、一国の何かの産業が衰退しかねないほど大事なのだ。

(どんなにルールが大事かの参考例。「EUへ関税ゼロ」で喜ぶイギリスへの、恐るべき罠「原産地規則」とは(わかりやすく):ブレグジット」

だからこそスイスは、日本に協定の改定を求めていた。

ところが、改定交渉は進んでいない。

スイスの改定交渉が成功していないのは日本だけではない。メキシコ(2001年以降発効)、韓国(2006年)、中国(2014年)とも成功していない。

理由の一つは、おそらく各国にとって、スイスとの二国間協定は、優先順位が低いのだろう。「面」となっている多国間の協定でもないし、一国で大きな国でもないし、近隣国でもないからだ。

そして今、「スイスがCPTPPに加盟したらどうだろうか」という意見なのである。

スイスがCPTPPで自問する5つの項目

昨年2020年12月2日に、ある議員がCPTPPに加盟に関する質問を、国民議会に提出した。

エリザベト・シュナイダー・シュナイター氏という国民議会議員(キリスト教民主党)だ。スイス・日本友好議員連盟代表である。今まで、スイスと日本の協定の改定を促進しようと頑張ってきた人だ。

具体的には質問は5つあった。面白いので紹介しよう。

1)スイスはCPTPPへの加盟を推奨し、目指すのか。

2)スイスはCPTPP加盟の基準を満たしているか。

3)スイスは、すでに締結済みの自由貿易協定の更新に苦慮している。CPTPPは解決方法になるだろうか。

4)イギリス、アメリカ、中国などの重要なパートナーがCPTPPに参加したら、スイスが受ける区別(差別)はどうなるのだろうか。

5)連邦参事会は、スイスの加盟が遅れた場合の影響を認識しているのか(支払う代価が上がり、操縦の余地が減るのでは?)。

これらの質問は、CPTPP加盟国ではない国が、同協定をどのように見ているのかを端的に表していると思う(例えば、韓国でも同じ議論があるはずだと思う)。

回答の内容は

2月3日に、連邦参事会(内閣)から回答があった

全体としては、積極的ではなく、むしろ後ろ向きである。様子を見るという姿勢だ。

回答では、以下の点を率直に認めている。

◎今のままでは、スイスの輸出企業の競争力にマイナスの影響を与える可能性がある。特にスイスが今協定を結んでいない国で、マイナスの影響がより顕著になる。

◎大規模協定に参加することで、ルールの統一や調和をはかることができる。特に原産地規則は、現在の二国間協定の場合よりも、現代的なクロスボーダーのバリューチェーン及び生産チェーンの要件を、よりよく考えることができるようになる。

これほど認めておきながら、それでも加盟申請を進めないのは、以下の理由だという。

●CPTPPは農産物の自由化のレベルが非常に高い。もし加盟したら、スイスもCPTPP加盟国と同じ程度に、農業市場を開放しなければいけなくなるかもしれない。それは譲歩の交渉になってしまう。

●スイスの機械産業、化学工業、時計製造業、特定の農産物の生産者は、特に日本の競争相手との関係で、マイナスの影響を受けるのが明らか。

●今までスイスが保ってきたルールを変える必要が出てくる。特許出願の猶予期間、地理的表示の保護に関する一定の制限、輸入国の側が原産地証明書の検査を行う、などである。

(この「輸入国による原産地証明書の検査」は、主流ではなくなってきているルールの一つだ。輸出する製品が、原産地ルールを守っているかチェックするのを、輸出する側の国が行うか、輸入した側の国が行うかという問題だ。後発の日EU協定やTPPは、両者とも同じく「輸入する側が行う」という方式だ。スイスが採用してきたルール「輸出する側の国が行う」は古くなってきてしまったのだ。それでもスイスは堅持したいようだ)。

スイス側はこの回答で、今まで条約の改定が進まなかったのは、「農産品や工業製品の市場アクセスの分野において、野心度に関する意見の相違が原因であることが多い」と述べている。

さらに興味深いのは、「他の締約国がCPTPPに加盟すると、より多くの国と合意に達する必要があるため、スイスの加盟交渉がさらに困難になる」と述べていることだ。

つまり「他の国が加盟交渉すれば、どうせ遅くなるから、焦る必要はない」という意味に見える。

さらに、もし今後アメリカが前と同じ条件でTPPに戻るのなら、アメリカと二国間協定を結ぶ道があり、スイスにとってはそちらのほうが重要で、すでに米国との対話の中でその実現可能性を検討しているという。

というわけで、CPTPP加盟の選択肢は放棄したわけではないが、当分の間は実現しそうにないということになった。スイスは明らかに二国間協定を好んでいる。今までどおり、なかなか進まない改定の交渉をしていくことになるのだろう。

EUとの摩擦で袋小路になってきた?

確かに、コロナ禍で世界中が停滞していることもあり、当面はこれでも大丈夫かもしれない。ただ、長い目でみると、どうだろうか。スイス経済は、少しずつ沈んでいく可能性はあるのではないか。本当にそれでいいのだろうか。

実は、スイスはEUとも問題を抱えている。EUは、スイスの「よいとこ取り」を嫌がるようになっているのだ。

スイスは、EU加盟国ではない。でも、EU域内の国と同等の市場アクセスを確保してきている。さらに、EUとの間で関税、ヒトの自由移動、環境、研究開発、各種規制の相互承認など、多数の分野別の協定を締結している。

しかし、EU内の各分野の規制やルールは随時改定されていく。そのたびに、スイスと交渉しなくてはならないのだ。

EU側としては、同じにしてくれないと、公正性や平等な競争条件が保たれない。といってもスイスがEU側の規制改定を受け入れるとは限らないのだ。英国のEU離脱の影響もあって、スイスにだけ特権を認められないという状況や気運も生じた。

よく英国の離脱方法で「ノルウェー型」とか「トルコ型」は語られたが、「スイス型」は全然言われなかった。「EUが承知するわけない。不可能100%」という共通認識があったためだと思われる。

EUはスイスに、EUの法令をダイナミックに反映できるような「制度的条約」の締結を迫るようになった。2014年からスイスとの間で交渉が続けられてきたが、なかなか進まない。

スイスでは産業界は賛成しているが、主要政党はほとんど反対という状況になっている(最近、あちこちの国で似たパターンが多い)。これでは進むわけがない。

イギリスに接近するのか

そんななか、2019年6月末でEUにおいて、スイス証券取引所の同等性認定の期限が切れてしまった。そのため、スイス株はEUで売買ができなくなった。今後、スイス株取引はロンドンのシティに行くことになった。

これは、EU離脱のために、欧州第1位の証券市場の地位を、アムステルダムに奪われてしまった英国にとって朗報となった。

それまでもスイスは、ブレグジットを決めた英国との関係を深めるために、2016年10月に「マインド・ザ・ギャップ・ストラテジー」なるものを発表していた

それでは、これからはスイスと英国が関係を深めるのかと思いきや、そう単純でもない。

「欧州貿易自由連合」という、スイスとノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインがつくっている組織がある。ここに英国が再加入する可能性があるのかどうか。

スイスのギィ・パルムラン大統領は、英国の経済規模を考えると、連合のなかで支配的になりすぎて、リスクが高いと難色を示しているという

独自の路線

どうもスイスという国は、独自路線を好む国なのだと感じさせる。欧州大陸のど真ん中に位置し、高い山々に囲まれており、第二次大戦というあれほどの大戦争でも、中立を守り抜いた国である。

EUという大巨頭に囲まれ、このままでは英国と同じように、じわじわと経済が衰退していくかもしれない。でも、少なくとも日本と違って、近隣国と軍事衝突の危険は全くありそうにない。

これも一つの道、一つの個性的な国のあり方なのかもしれない。ただ、EUの発展が驚異すぎて、歴史的視点で見た場合、こういうやり方は存続することができるのかどうか。存続するのでも、衰退するのでも、どのような経緯をたどるのかは、注目に値すると思う。

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《追伸》

英語版ウィキペディアのCPTPPの項目で、アメリカがTPP脱退後、日本がCPTPPの成立にリーダーシップをとったことが全く書かれていない。英語版は、他の言語の雛形となるものだ。執筆アクセス件をもっている方は、ぜひ加筆していただけませんか。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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