異なる人たち(移民)と共生するための、二つの異なる思想ーフランス型とアメリカ型【前編】

06年、米首都で難民キャンプのデモをする国境なき医師団。99年ノーベル平和賞受賞(写真:ロイター/アフロ)

世界では、異なる人々がどんどん交ざっています。

肌の色、国籍、民族、宗教、歴史、価値観、タブー・・・全部が違います。そして摩擦が増えています。

「単一民族」と思っている日本人にとっては、まだ本当に始まったばかり、地方によっては始まってすらいないかもしれません。

今回は、そのように異なる人々ーー移民と共生するための、二大思想を解説したいと思います。

共生の難しさ

日本人が「周りに合わせることで調和を保つ」「空気を読む」ことが可能なのは、周りが自分たちと同じような人だからです。言葉も肌の色も、常識も習慣も、文化も歴史も、共有していると思っているからです。

でも民主主義が発展した先進国のほとんどでは、そのようなことはなくなっています。

身近な例で、食べ物を挙げましょう。

例えば、フランスでは多民族が集まる場所では、出されるご飯は、鶏肉かツナと相場が決まっています。豚肉はイスラム教徒が食べない、牛肉はヒンズー教徒が食べない、などとなると、もう鶏肉かツナくらいしかないからです。

ここで厳格なベジタリアンが自己主張すると、もはや出せるものが無くなります。バナナとりんごのコンポートとパンになるのでしょう。そして全員が「乏しい食事で、お腹いっぱいにならない」と文句をいうわけです。全員に気配りして、誰一人として満足せず、全員が不満になるのです。

大事にすべき信条も異なります。

ある集団は学校で「世界は神がつくった。預言者 or 救い主◎◎を敬いましょう」と教えたい。別の集団は「すべては◎◎大統領 or 首領様のおかげです。感謝しなさい」と教えたい。また別の集団は「神など存在しない。宗教は不幸の根源だ or 麻薬だ」と教えたい。

こんなに違うのに、一体どうやって共生するのでしょうか。

ここに共生の根本的な思想で、二つのやり方が生じます。

一つは「全部やめる」、もう一つは「全部認める」です。

フランスは「全部やめる」を選択した国、アメリカは「全部認める」を選択した国だと言えるでしょう。

自由と平等

民主主義に必要不可欠なのは「自由と平等」です。

フランス革命によって編まれた「人権宣言」。戦後に国連によって採択された「世界人権宣言」へとつながりました。

ここに「人間は生まれながらにして、自由で平等である」と謳われています。

ところが、理念的に自由と平等は、両立しない概念なのです。

自由を追求すれば、不平等が増します。

小泉改革は経済の自由を追求し、派遣を解禁したせいで、日本には格差社会が根付いてしまいました。ひどい不公正です。このような「階級」に似たものをつくることが、許されるでしょうか。

一方、平等を追求すれば、自由は抑圧されます。

運動会で「平等」を追求すると、全生徒がかけっこで限りなく1位になるように組まれます。ひどい抑圧です。スポーツが得意な子が、魅力と能力を発揮できる場所を奪っていいのでしょうか。

自由100%は、能力があり、運に恵まれ、生まれた場所に恵まれた人には、楽園です。でも、そうでない人には苦痛となりえます。

平等100%は、すべての人が安心して暮らせるという意味では、楽園です。でも能力がある人や、自分に能力があるかどうかチャレンジしたい人には、苦痛となるでしょう。

このように、自由と平等は、理念的には両立しないものなのです。

現実の民主主義国家では、自由100%と平等100%の間のどこかで、バランスをとっています。実際の社会はグレーで、濃いグレーから薄いグレーまであるとも言えます。

かつてアメリカとソビエト連邦は、冷戦時代に二大勢力として争いました。

アメリカは「自由」の旗手、ソ連は「平等」の旗手でした。米ソだけではなく、世界が二つに分かれて争いました。

これは「資本主義と共産主義の戦い」と言われますが、もっと思想的には「自由と平等の戦い」だったと思います。

「資本主義と共産主義の戦い」は、アメリカの私企業、ソ連の国営企業の争いでもありました。

結局、ソ連は抑圧がひどすぎて、また怠惰が蔓延して、崩壊してしまいました。

フランス型民主主義

そして現代。

アメリカといえども、自由100%ではありませんが、限りなく自由寄りです。これは「違いを全部認める」という基本方針です。

そしてフランスは、平等100%ではありませんが、平等のほうに寄っています。これは「違いを全部やめる」という基本方針です。

具体的にはどういうことでしょうか。今回は、フランスのほうを説明しましょう。

フランスでは、民族、人種、あるいは宗教の統計などをとることが、法律で禁止されています。

(例外的に行うことができるのは、特別な機関が特別な許可を得た場合だけです)。

国籍を問うのはいいのです。でも、国籍だけでは、その人の属性はわかりません。例えば「アメリカ人」「インド人」と一口に言っても、様々な民族や宗教、肌の色、言語の人々がいます。

それに、国籍は外国人にならある程度有用でしょうが、フランス国民にはまったく機能しません。当然ですが、フランスに住んでいるほとんどの人がフランス国民です。彼らには特別な例外をのぞけば、民族、人種、あるいは宗教の統計などは取れないのです。彼らの属性は唯一「フランス国民」「フランス市民」だけです。

わからなくていいのです。そのような質問をすること自体が、フランスでは「人種差別」であり、「フランス市民の平等」を阻害するものと考えられているのです。

今でも強烈に覚えていることがあります。

フランス人の友人が、欧州連合(EU)内の留学システム「エラスムス」で、イギリスに留学することになりました。イギリスはアメリカに近い考えの国です。「アングロサクソン流」と言ってもいいのかもしれません。

大学登録をネット上のプラットフォームで行ったのですが、その際に父親と母親の出身を問う質問があったのです。国籍だけではありません、黒人か白人かまで、詳しく聞いていました。(ちなみに大変詳細な選択肢では、イギリスの旧植民地の名前がずらりと並んでいました)。

その時友人は「信じられない! イギリス人は人種差別主義者だ!」と叫びました。

日本人の私は、友人の気持ちもわかる一方で、「ただの統計では・・・」とも思いました。

このように、フランスは「全部やめる」を選択したのです。属性は関係ない。全員「平等な市民」であることが大事なのです。

そのために、義務教育の公立学校では、宗教を意味するものを身につけることが禁止されています。キリスト教の十字架、イスラム教のスカーフ、ユダヤ教のキッパ(帽子)などです。高校も準じています。(大学は成人なので問題なし)。

また公務員も、宗教のものを身につけるのは、一切禁止されています。「平等」を守るために、全部禁止しているのです。

国の大きな役割

平等の環境を実現するには、国の役割が大変重要で、大きくなります。

例えば1882年から、子供の教育は「義務・無料・非宗教」と定められています。

かかるお金は、課外活動に参加すれば、ものによっては負担が必要、給食費は親の収入により無料になります。教科書は貸与です。

フランスでは3歳から18歳まで公立に通った場合、学習費は平均8690ユーロ(約108万円)でしかありません。

参考記事(共同通信:筆者執筆):【世界から】義務教育開始を3歳に引き下げたフランス その狙いと日本が学ぶべき点は

さらに、子供は、たとえ親子が非正規(非合法)の滞在であっても、学校に行く権利があります。「教育は平等に人間の権利」だからです。

前に、中国から来た移民群に対して、子供をなんとか学校に行かせようとするNGOのルポがありました。

中国人移民は、みんな同じ街から来ている人たちでした。中国で、貧しい労働者が、四畳半くらいの所に寝台車のように向かい合わせ3段で、6人が寝ているというようなシーンを見ます。それをそのままフランスでやっているのでした。衛生上も問題があります。

その奥に子供たちがいるのです。親子ともども、フランス語はまったく通じません。子供は当然学校に通わず、裏の方で大人の仕事を手伝っています。

NGOの人たちが、子供たちをなんとか学校に通わせようと親を説得するのです(通訳を介して)。大人は非正規(非合法)滞在者ばかりなので、嫌がります。でも、子供が「フランス市民教育」を受ければ、子供をとおして大人はフランスに統合・同化する道が探れます。実際、そのような親の教育も、学校で行うプログラムがあります。

医療についても同様です。

新型コロナウイルスでは、保険証さえ見せれば、いつでも無料で検査を行う態勢を整えています。

また、非正規滞在者が対象の健康保険も存在します。「医療は平等に人間の権利」という考えです。

「国境なき医師団」という世界的NGOがフランスで生まれたのは、このような思想や制度と無関係ではありません。

この「非正規滞在者専用の健康保険」の登録者で、大体の非正規滞在の人数を知ると言われています。でもNGOが「そんなわけないだろう。実際にはもっと多い。すべての非正規滞在者に健康の保障を!」と主張しており、これも論争になっています。

私はまだフランスに来たばかりのころ、様々な制度を知って「ソ連みたい」と思いました(知識として知っている「ソ連」ですが・・・)。

このように非宗教性を徹底して、平等を実現する思想や原則を「ライシテ」と言います。

日本語だと「政教分離」か「世俗主義」等と訳しますが、ぴったりする訳語はありません。一番近い訳語は「政教分離」でしょうが、それ以上の意味があるのです。

移民保護の現場

さて、移民を保護しようとする団体は、大きく分けて三種類あります。

一つ目は、宗教色がない人権保護団体。主に中道左派の人たちが活動しています。これが一番多い。

二つ目は、キリスト教系の人権保護団体。キリスト教左派です。これが次に多い印象です。でも信者じゃなくても入れます。

三つ目は、もっとかなり左によっている、極左的ともいえる人権保護団体。それほど多くないが強力です。

この三つの区分けは、欧州共通と言えるでしょう(特に西欧と北欧)。

といっても、人道目的や人権のためには、極左の人と、キリスト教聖職者が手を取り合うこともあり得るのが、フランスです。どちらもライシテが浸透している社会の「フランス市民」だからこそ、起こり得るのでしょう。

(余談ですが、おそらく日本ではほとんど理解されていないのが「キリスト教左派」じゃないかと思っています。キリスト教左派の人々は、世界的NGOや、欧州連合(EU)建設の大きな力となっています。多くの日本人が漠然と思い描く欧州のキリスト教徒のイメージは、かなり右というか、極めて歴史的というか、かなり古典的で古い感じさえします。欧州の現在を反映していないイメージのような印象です)。

宗教、民族、肌の色、文化伝統、思想信条・・・これらの違いは対立をもたらしますが、それだけじゃない。それらを超える何かがある、何かでつながっています。

ある活動で出会った、移民のイスラム教徒が言いました。職業は配管工だそうです。

「私がフランスに到着したとき、食べるものを買うお金もなくてね。でもNGO『カトリックの救助』の人たちが、いつもご飯を無料で提供してくれた。彼らは必ず『お腹いっぱい食べましたか? もう食べられませんか?』と何度も聞いてくれるんだ」「イスラム教とキリスト教の違いなんて関係ないよ。今でも感謝している」。

その時私は、キリスト教がイスラム教が、と知識だけで頭で考えている自分を恥じました。一番大事なのは、人間としての温かい心と、実際に行動をすること。「これがヒューマニズム(人間主義)なのだ」と感得した思いがしました。

「自由」を尊重するアメリカ

一方、アメリカはどうでしょうか。

アメリカは「人種のサラダボウル」と呼ばれます。

つまり一つの器(サラダボウル)に入っているが、決して溶け合うことも混ざり合うこともないという意味です。

フランスでは国の役割が大きいのに対し、アメリカでは私立の役割が大変大きくなります。

長くなりましたので、ここで一度置きます。

後編「アメリカの自由とは」に続く(公開は、アメリカ大統領選が落ち着くまでお待ちいただけますか)。