EU新体制、人事をめぐり欧州で何が起こったか(1):フランスとドイツ、勝者はどちらか。

6月21日の欧州理事会にて。何語で話しているのやら・・・。(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

欧州連合(EU)の主要機関で新しい人事が決まってから、早くも一週間が過ぎた。

欧州議会は、今までEUの舞台ではまったく存在感のなかったウルズラ・フォン・デア・ライエンが、突然に欧州委員会の委員長になることに不満である。

さらにドイツでは、ドイツ社会民主党が大きな不満の声をあげていて、メルケル首相の率いるCDU/CSUとの連立に大きな影を落としている。

フランスでは、特に問題もなく落ち着いている。

さて、この大きな大きな全ヨーロッパの人事で、一体欧州では何が起こっていたのだろうか。

これが面白いのですよ。

ドイツとフランスのにらみ合い

今回の人事の決着を一言で言うなら、第一の勝者はメルケル首相、次にマクロン大統領ではないだろうか。

長年、欧州委員会の委員長という、EUの実権トップの座を望んでいたドイツが、やっと成功したのだ。

そして、経済と金融で欧州をリードするドイツに「そうはさせまい」と望むフランスが、欧州中央銀行(ECB)のポストを掴んだ。

かつフランスは、ベルギーのシャルル・ミシェル首相を欧州理事会議長(通称EU大統領)に据えることに成功した。

引き分けという見方もできるかもしれないが、何と言ってもトップが一番大事に決まっていると筆者は思う。

良い勝負ではあるが、第一の勝者はドイツ、第二の勝者がフランスではないだろうか。

びっくりのドイツ出身委員長

もともとEUというのは「第二次世界大戦の惨禍を繰り返すまいと、平和のために構築された」――いえば聞こえはいいが、口の悪い言い方をすれば「ドイツ包囲網」であった。

いかにドイツの力を、囲い込みで抑えるか――それが課題だった。だから、欧州の統合や深化を進めていけばいくほど、(西)ドイツの出身の欧州委員会委員長が出るなんて、ありえない話だったのだ。

例外は一度だけあった。欧州経済共同体(EEC)の最も初期、「委員長なんてお飾り。権力なんてない」と思われた時代に、西ドイツから委員長が出たことがある。

(ヴァルター・ハルシュタインという人物で、実際には彼は1958ー1967年の任期中、欧州の統合に向けて尽力した)。

現代のEUの中には、常に絶妙なバランス感覚がある。まるで強大な国をリーダーに据えてはならないような、弱い者に注意を払って出来るだけ平等を実現しなければならないような、そういう感覚である。

筆者はソルボンヌで「欧州委員会 官僚会議 模擬」というのに参加したことがある。ドイツ担当のEU官僚(男性)が会議のイニシアチブをとったら、元EU高級官僚である教授に「ドイツ担当で、しかも男性が主導? ありえません」と注意された。

(ちなみに会議のテーマは、「日EUのEPAの交渉において、加盟国の合意を取ることができる内容をつくる」だった)。

これは官僚の話であるが、EU全体の雰囲気と、当然のことながら合致する。だから今回、女性二人が主要ポストに就いたのだ。実際、今のEUを動かしている基礎となるリスボン条約以降は、ポルトガル出身(バローゾ氏)にルクセンブルク出身(ユンケル氏)と、大国の出身者は委員長になっていない。

ところが、ドイツ人の委員長が誕生した。

特にリスボン条約以前は全部まとめて「過去」という見方、つまりEUがないところにEUが出来たのではなく、EUがあるのが当たり前の世代から見るなら、ドイツ人の委員長には本当にびっくりだ。

誰が就いただの、初の女性だのの前に、まず「ドイツ人」というのが驚きである。

欧州では冷戦が終わって、EUが東方に拡大した。東欧の国々は特に第二次大戦の記憶から、西欧の国々よりも一層ドイツに対して敵愾心をもっている国が多い。

それでも、ドイツ出身の委員長が誕生した。欧州では本当に戦後は終わったのだ、新しい時代なのだなあ・・・と思う。偶然にも、令和時代の始まりと同じ年に起こるとは。

それでは一体なぜ、ドイツ人の委員長が誕生したのか。

歴史は細部に宿るという。次回はこの部分を突っ込んで解説したい。

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今回のEU人事では、バランスを取るのに「痛み分け」「刺し違え」が目立った印象だ。

EUは27カ国(イギリス除く)。他の国々はどうなってしまったのか。特に東欧の国々はどうなった。

そして、ここまでドイツとフランスが主導するのなら、欧州議会選挙で市民が投票した結果は踏みにじられてしまったのか否か。

続く(明後日続きをアップ)