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なぜフランシスコ法王は北朝鮮に招待されるのか。韓国の文大統領、トランプ政権、米朝会議との関係は。

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
2003年南北の市民代表団が共に第58回解放記念日を祝った際の北のカトリック教会(写真:ロイター/アフロ)

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、フランシスコ・ローマ法王を平壌に招待するという。

韓国の青瓦台(大統領府)が9日、発表した。

金委員長は、韓国の文在寅大統領と先月実施した首脳会談で、フランシスコ法王の訪朝を要請したという。文大統領は、13日から欧州を各国訪問し、17日・18日にはバチカンを公式訪問するが、その際に法王に金委員長の意向を伝える予定。

青瓦台報道官は記者会見で「大統領はバチカンを訪問して、朝鮮半島における和平と安定への支持を再確認する」「大統領は法王と面会する際、金氏が法王を熱烈に歓迎する意向を伝える」と語った。

なぜ? 一体なぜこうなったのだろう。

北朝鮮では、宗教は徹底的に弾圧され、「宗教の自由がありますよ」と見せるための偽りの教会があるだけだという。当然、北朝鮮とバチカン(ローマ法王庁)は、正式な外交関係は結んでいない。だから、文大統領がローマ法王に金書記長の意向を伝えるというのだが・・・。

どのような経緯だったかはこれから判明していくかもしれないが、一つ大きなヒントがある。

韓国の文大統領は、敬虔なカトリック教徒であるということだ。

以下は、フランスのカトリック系新聞『ラ・クロワ』に、今年の3月に掲載された記事を元に構成したものである。

儒教に打ちのめされて

文氏の両親は1950年、朝鮮戦争のとき北から南へ逃れてきた。戦争収容所で生活していたこともある。そして1953年、釜山で未来の大統領は生まれた。

子供のころ、彼はひどい貧困を経験している。カトリック教会を小さなバケツをもって定期的に訪れ、アメリカ人が配布する小麦粉、コーン、粉ミルクの配布を受けていたという。まるで戦後の日本のようだ。

数年前出版された自叙伝では「暗黒の時代から、貧困や荒れ果てた国を経験しており、疎外された人々や貧しい人々を忘れることは決してありません」と語っているという。

彼の学生時代は、朴正熙大統領の独裁政権時代だった。

軍事政権下にあって、人を尊重せずに当局に従うことを命じる儒教に打ちのめされたために、キリスト教徒になったのだそうだ。

慶煕(キョンス)大学で法学を学んでいた彼は、民主化運動に参加する学生活動家だった。活動家のなかには、カトリック教徒の人たちがいた。彼は反体制のデモを計画したとして、逮捕され数ヶ月間投獄された。そして兵役では、特殊部隊に配属された。

その後大学に戻り、弁護士の資格をとった。この間に洗礼を受けたという。

投獄経験があるために、検事や司法官にはなる資格がない。弁護士として、コングロマリットに搾取されている労働者や、民主化運動をする学生の権利を守る活動に携わってきた。

同紙によると、文大統領のアプローチは、フランシスコ法王が「出会いの外交」と呼ぶものに直接触発されているのだそうだ。これは、対立する二者が会合して、相互理解と信頼を促進するために対話を行うことを支えるものだ。

文大統領は、カトリック教会の社会的教義に影響を受け、民主主義や、正義、北朝鮮との対話に向かっていったという。

アメリカにも北朝鮮にも理解されず

文大統領は、5月末までにアメリカのトランプ大統領と、北朝鮮の金委員長との会談を実現しようとした(注:この資料の発表は今年の3月)。

しかし、アメリカ人からは、北朝鮮との「融和」を支持する「弱い人」とみなされて無視され、北朝鮮の高官からでさえ「帝国主義者のヤンキー」と侮蔑の目で見られたという。

しかし文大統領はじっと踏ん張った。

「彼の宗教による深い信念のために、文大統領は、ワシントンと北を対話させるという外交プロセスに向かったのは間違いない」と、何十年も韓国に滞在したことのある、パリ外国宣教会のミシェル・ロンシン神父は言う。

「彼はカトリック教徒であることを公然と述べており、隠すことはしないが、誇りにすることもしない。なぜなら、すべての宗教は尊重されなければならないからだ」 「彼の演説と彼の行動において、教会の社会的教義が彼に大きな影響を与えていることは明らかだ」と述べた。

そもそもローマ法王の仲介??

上記の資料記事を読んでいて、一つの考えが浮かんだ。

もしかしたら、アメリカと北朝鮮の会合を実現できたのは、背後にバチカンの力があったのではないか。

以前、カタルーニャ地方の独立問題で、スペイン・マドリッドの政府とカタルーニャの間を、ローマ法王が和解のために仲介に入るのではという報道があった。バチカンは、昔日ほどではないが、今でも大きな外交力をもっているのだ。

日本の「クリスチャントゥデイ」は、昨年6月に以下のように報道している。

「韓国の文在寅大統領が教皇フランシスコに親書を送り、その中で<南北間の和解への仲介>を要請した」

「聯合ニュースによると、(バチカンに特使として派遣された光州大司である)金氏は、具体的には『教皇が米国とキューバの和解を仲介した形を考えている』と述べたという。『教皇庁について、武器も軍人も持たない単なる宗教国家だと考えがちだ。しかし教皇庁は世界の利害関係に絡んでいないうえ、中立的であるため、その外交の力は私たちの想像を上回る』と金氏は述べており、南北和解と韓半島(朝鮮半島)の平和に教皇庁が重要な役割を果たすことに大きな期待を示した」

文大統領が南北朝鮮の和解をバチカンに要請したニュースだが、特使がキューバとアメリカの例を出しているのが、大変興味深い。

文大統領が、南北朝鮮の和解を実現させるには、なんとしてもアメリカと北朝鮮を和解させなければ、と考えるのは理解できる。それなら、アメリカと北朝鮮の仲介も、同じようにバチカンに頼んだと考えるのが自然ではないだろうか。

なぜ突然トランプ大統領が北朝鮮との対話に動き出したのかは、一種の謎だった。

もちろん、「大きな外交成果を手にしたいのだろう」という解説はわかる。対中国ということもあるだろう。中国はこの問題に関しては後手後手に見えたので、アメリカの主導は確信できた。

でも、韓国の文大統領が粘り強く北朝鮮との対話をトランプ大統領に要請したとしても、それで彼が動いたとは考えにくい。世界中からアメリカの国家元首には「お願い」があるのだから。

だからといって、「大きな平和の使者」・・・そういう役どころがトランプ大統領の元々の発想とは、とてもじゃないが思えない。オバマ大統領が広島を訪問したのは、あの人自身の信念かもしれないと思えたが。誰かに説得されて乗り気になったのなら、納得出来る。

でもそれには、大統領の身近で力のある人が説得しなくては。説得に成功するだけの大きな力がアメリカ国内になくては。

バチカンによるアメリカと北朝鮮の仲介の可能性を、以下に探ってみたい。

カトリック教徒は誰か

トランプ大統領自身は、キリスト教徒ではあるが、カトリックではない。もともとトランプ家は、アメリカには多い長老派教会(プロテスタント)に通っていた。大統領の父親の関心は勤勉と努力、競争と勝利に向けられていたというが、トランプ氏自身は、改革派教会の牧師を長年つとめたノーマン・ヴィンセント・ピール牧師の熱心な信者である。

ピール氏は、教会の小さな地下室で始めたカウンセリングを、精神分析という一大ビジネスに発展させた、全米で有名な人物だ。1952年に出版された「積極的考えの力」は、世界の大ベストセラーである(森本あんり氏執筆「ドナルド・トランプの神学」岩波書店『世界』を参照)。

それなら、トランプ大統領に強い影響力をもつ人物で、カトリック教徒はいないだろうか。辞める人物、暴露する人物にばかりに焦点が当たっているが、トランプ政権が続く以上、アメリカを動かしているのは、辞めないでトランプ大統領と常に共にある側近や部下である。

ポンペオ国務長官だろうか。

違う。彼は福音主義者長老派教会(プロテスタント)の信者だという。ただの信者ではなくて、日曜学校の教師を教会の執事としてつとめているという。

ムニューシン財務長官は、ユダヤ系である。

意外に早くみつかったのだが、マティス国防長官がカトリック教徒である。「敬虔で献身的な」信徒という。国防長官。この線が大変濃厚そうだ。

高位米軍関係者のカトリック一団

調べてみると、あっという間に資料がみつかった。

「National Catholic register」(1927年創設。テレビも含むカトリック専門メディアがオーナー)のサイト上にある「トランプのカトリックの戦士たち」という記事である。

この記事に従って解説するとーー。

・トランプ大統領の新政権の特徴的なパターンが浮上している。軍事関連の高位任命者の大部分は、カトリックの背景をもっている。

・国防長官に就任したジェームス・マティス将軍だけでなく、国土安全保障長官のジョン・フランシス・ケリー将軍もそうである(現在は大統領首席補佐官)。

・このパターンはロード・アイランドのアイルランド・カトリック家で育ったマイケル・フリン国家安全保障問題担当大統領補佐官も同じである(その後ロシア疑惑で辞任)。

・その他にも、ヴィンセント・ヴィオラ氏がいる。億万長者のビジネスマンで、陸軍長官に就任後、ビジネスとの両立が不可能として、数週間で辞任した。カトリックのイエズス会系の名門私立大学であるフォードハム大学の大寄付者であり、軍人学校を卒業した、退役陸軍軍人である。

・海兵隊のジョセフ・ダンフォード将軍もカトリック信者だ。第19代アメリカ統合参謀本部議長もつとめる。

この記事は、最後のほうで「軍隊や、政権の軍関連の地位において、ハイレベルのカトリック教徒が優位に立っているということは質問を生じさせる。彼らの信念が彼らの政策決定や、トランプ大統領に与える助言に、どの程度影響を及ぼしているのか」と書いている。実に面白い問いだが、残念ながら外交の具体的な話は出てこない。

これだけでは仮説が証明されたとは全く言えないが、軍事の方面でかなりカトリック繋がりがあることがわかったのは収穫だ。

アジア重視の法王

フランシスコ法王は、アジアでの布教を重視している。

世界的にキリスト教人口が減少するなかで、アジアに期待をしているのだ。

アジアから3人の枢機卿を任命しているし、9月にはバチカンと中国は司教任命問題で暫定合意を結んで、物議をかもしたばかりである。ちなみに、法王は日本を訪問したい意向を、繰り返し表明している。

一方北朝鮮だが、かつて20世紀前半には、平壌は「アジアのエルサレム」と呼ばれるほど教会が多かったという。

北朝鮮の建国者・金日成首席の母親である康盤石はキリスト教徒で、母の父も、母の兄も、長老派(プロテスタント)の牧師だったと伝えられている。

それが金委員長にとって意味をもつのかもたないのかは、わからない。法王の北朝鮮訪問の件に関しては、金委員長からの招待という体裁はとっているが、どう見ても韓国の文大統領の主導のように思われる。韓国はキリスト教徒が多いが、今回のことはどのように受け止められるのだろうか。

隣人に無知かも

それにしても、文大統領がカトリック教徒なんて、知らなかった。ウイキペディアの日本語版にも、一言書いてあるだけである。

筆者は常々「人間は、知らないものは目の前にあっても見えていない」と自戒しているのだが、その証拠がまた一つみつかった感じだ。

文氏の経歴を見ていると、まるで20世紀前半のヨーロッパ人のようだ。キリスト教の背景をもち、自由を求めて王政(独裁者)を倒し、平等を求めて貧困から抜け出すために闘った人たち。民主主義を確立するため人生を捧げた少なくない人たちが、法学者や弁護士だった。

文大統領は、きっとヨーロッパ人と話が合うだろう。アメリカはヨーロッパとは違うが、根の部分は同じと思う。日本の政治家にはまずもっていない強みである。

日本にとって、最も近い隣国である国の元首なのに・・・朝鮮半島に関しては刺激的で扇情的な言説が目立つが、私たちは隣人の何を見ているのだろう、どこまで理解しているのだろうと、考えさせられた。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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