不動産の相続対策コンサルティングを起動に乗せて、眠れる日を迎えるまで

仕事に対して真摯でなければならない。(写真:アフロ)

初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載

このところ、第二次、第三次の起業ブームが起きています。個人がサラリーパーソンから独立し、士業やコンサルタント、また個人事業主として食っていくとき、どのような困難が待ち受けているのか。私は一人の独立した人間として、他の先人たちに興味を持ちました。彼らはどのように独立して、食えるにいたったのか。それはきっと起業予備軍にも役立つに違いありません。さきほど、「第三次の起業ブーム」と入力しようとしたら、「大惨事」と変換されました。まさに大惨事にならない起業の秘訣とは。不動産コンサルティングマスター・安食正秀さんにお話を聞きました。

――安食さんの起業、そして初報酬を受け取るまでを、ぜひお聞かせください。

私が起業したのは、10年前の2006年7月です。実家の納戸に机とパソコンを置いて、会社の登記をそこでしました。会社の主な業務は、不動産の相続対策を支援するコンサルティングです。日本は相談だけで報酬が戴ける国ではないので、コンサルティングは業務報酬を受け取るのに苦労します。私は「初めて報酬を受け取るまで」が難しかったです。

私の初仕事は、あまり苦労なく舞い込んできました。しかし、私が起業してやりたかった仕事と、初めての仕事は内容が全く違うものでした。ある日、会社設立の挨拶状を見た知人が、電話をくれました。「安食さん、独立されたのですね。おめでとうございます。ところで、訳あって私ができない仕事があるのですが、代わりに如何ですか?」という内容でした。

正直、仕事がないという恐怖を実感していた時期だったので、すぐに話を聞きに行きました。具体的な仕事の内容は、ある不動産会社が築40年の古いオフィスビルを一棟購入しました。その建物を新しく建て替えたいので、ビルに入居するテナントの移転先を見つけて転居させてもらいたい、いわゆる立ち退き業務というものでした。現在は、弁護士法との兼ね合いで、不動産業者が入居者の立ち退きを直接することは難しくなったんですが、リーマンショック前の不動産業界が元気だった頃の話です。報酬も一年間は会社が運転できる金額だったので、あまり下調べをすることなく、仕事をさせて貰いたいと紹介者に返事をしました。

その後の不動産会社からの返事は、当時の私にはショックな内容でした。今では当たり前だと思えますが、仕事は安食に任せてもいいが、テナントには二人以上で行って貰いたい。また、安食の会社は設立間もないので取引はできません。まともな会社を間に入れて貰いたいという返事でした。それからが大変です。ひとつの仕事を二人で対処すれば、報酬は折版です。また、別会社に仕事を元請して貰えば、その分の経費が差し引かれます。手にする報酬は予想外に小さくなったんですが、背に腹は代えられません。

――急きょ、パートナーを探すことになったのですか?

はい。しかし、知人に声をかけるにしても、「相続対策の会社を設立した安食が、テナントの転居先を斡旋する仕事をするらしい・・・。アイツ相当困っているな。」こうした噂が流れてしまっては困るので、ところ構わず声をかけるわけにもいきません。反面、こうしたことを安心して相談できる人間は、仕事に対して慎重であることが多いのです。この仕事は、すべてのテナントが転居して完結します。ひとつでも残ってしまえば、ビルを建て替えることができないので、仕事にリスクが大きいのです。普通の不動産業者は断ります。事実、何人かに断られてしまいました。

唯一、同じ時期に独立をしていた前職の同僚A氏が協力してくれると言ってくれました。さらに好条件だったのが、A氏は休眠会社を再生していたので、設立時期が古く、会社に歴史がありました。最終的には、それが理由で発注者の審査を通過できました。A氏の協力が無ければ、早々に会社を閉じていました。A氏には今でも心から感謝しています。おかげ様で業務委託契約を交わすことができました。

この仕事を始めてから、交渉相手の言葉に一喜一憂した日々が続きました。毎日毎日ジェットコースターに乗っているような感覚でした。それでも順調に仕事が進み、契約期限より早く、契約から8ヶ月後には業務が完了しました。業務完了を祝ってA氏と酒を飲みました。安堵と達成感で酒を飲み緊張が解けて酔いました。新宿駅近くの交差点で「よかった、よかった」とA氏に連呼しました。後日A氏に言われたんですが、金曜日だったので酔っぱらいは大勢いたんですが、その中でも目立って連呼していたらしい。路上に転んでも連呼していたそうです。

したがって、その日は気持ちよく帰宅して寝たものと思います。しかし、夜中の3時頃に目が覚めてハッと我に返りました。「明日から何しよう。」こう思ったら寒気がして眠れなくなりました。事実、明日からの仕事がありませんでした。酒は残っていたが神経だけが過敏になりました。この時の不安は忘れられません。「仕事がなくなったらどうしよう」恥ずかしいがあれから10年経ったいまでも、こうした不安に駆られることがあります。

――報酬受取と業務遂行の時間的ギャップについて、お聞かせください。

コンサルティングの仕事は報酬を戴くまでに時間がかかります。これよりも時間がかかるのが、お客様から本物の相談を受けることです。「相談したいことがある」という連絡は有難いのですが、この時点で相手は「安食はどんな人間なのか見てみたい」という気持ちであることが多いのです。当然、真摯に相手の話を聞くんですが、相談者も様子を見ているので、なかなか一般論から話が前に進みません。そのため相談者も、すでに知っている話を聞かされることになり、消化不良の状態で別れることが多いです。

したがって大切なのは相談者が帰ったあとです。今日のこの関係が切れてしまわないようにすることが、何より大切です。転居先斡旋の仕事から9年たったある日、その時に転居して戴いたテナントの社長から電話がありました。「当社の資産について相談したい。」と言われました。とても感激しました。小さな会社が顧客との関係を継続することは重要です。いまは、様々なツールがあるので、みなさんも考えるとよいと思います。

――会社設立を振り返ってどうですか。

冒頭に10年前に起業したとお話ししましたが、おかげ様で創立10周年を迎えます。たまたま、節目となる出来事がありました。創立記念日には少し早いんですが、3月に屋形船を貸し切りにして「創立10周年感謝の集い」を企画しました。お客様やお世話になった方々をお招きして、隅田川の八分咲きの桜を楽しみながら食事をして戴きました。

運よく天候にも恵まれ、路上では汗ばむくらいの気温になりました。それでも船上には爽やかな風が吹き、水面に映る桜も楽しむことができました。お招きした皆さんには楽しんで戴けたようで、わずかだが恩返しができたと思いました。参加してくださった皆さんから、お祝いの言葉をたくさん戴き、感激して涙がこぼれました。同時に家族にも安心して貰えることができたし、両親にも親孝行ができたのではないかと思いました。

節目もあって、今年の手帳には「原点回帰」と書きました。このインタビューを依頼されたとき、自分自身が原点回帰できると思いこれを受けました。あの時のあの緊張感を思い出し、改めて、目の前にある仕事に感謝しなければならないと思いました。会社が存続するためには報酬も大切ですが、「お客様が仕事を依頼してくれる気持ちに報いるために、仕事に対して真摯でなければならない。」改めてこう手帳に書きました。小さな会社は、初めて仕事を戴いた時と同じ気持ちで日々の仕事に接しなければなりません。なぜなら、一瞬にして信用を失い、明日から仕事がなくなるかも知れないからである。

<プロフィール>

安食正秀(あじき・まさひで)

株式会社アセット・アドバイザー代表取締役。

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1963年東京都生まれ。立教大学経済学部卒。建設会社に入社、東京都議会棟建設工事の経理担当を経て、建築事業の企画推進課に所属、主に不動産事業の採算性に関する比較検討、大型不動産事業の企画推進を担う。バブル後遺症でゼネコンが縮小する中、財産コンサルタント会社に転職、個人顧客の相続実務や相続対策の企画立案を担い、本部主要拠点の責任者を任される。

顧客の相続対策をより深甚に対処するため、株式会社アセット・アドバイザーを設立。財産を次世代に承継することを最優先に、顧客の財産の全体像を把握し、多角的な視点から不動産の相続対策の立案、問題解決の提案および実務支援を行う。相続関連の実務経験は15年以上。夕刊フジの連載をはじめ、相続対策や不動産実務の講演など実績多数。

NPO法人 相続アドバイザー協議会 認定会員 上級アドバイザー

不動産コンサルティングマスター/宅地建物取引主任者/AFP/二級建築士

東京都宅地建物取引業協会 渋谷区支部 幹事/東京商工会議所 渋谷支部 評議員

初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載