社会保険労務士が偶然開業し、そして仕事が殺到するまで

開業しようか悩むくらいの夢があるのであれば、とりあえずやってみればいいのです(写真:アフロ)

初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載

このところ、第二次、第三次の起業ブームが起きています。個人がサラリーパーソンから独立し、士業やコンサルタント、また個人事業主として食っていくとき、どのような困難が待ち受けているのか。私は一人の独立した人間として、他の先人たちに興味を持ちました。彼らはどのように独立して、食えるにいたったのか。それはきっと起業予備軍にも役立つに違いありません。さきほど、「第三次の起業ブーム」と入力しようとしたら、「大惨事」と変換されました。まさに大惨事にならない起業の秘訣とは。特定社会保険労務士の江黒照美さんにお話を聞きました。

――江黒さんは、検討より行動を大切にしているそうですが。

はい。自分は開業に向いているか? 向いていないか? 自分は開業した方がいいか? しない方がいいか?--。開業するのであれば、一度は悩むことでしょう。ただ答えはシンプルです。開業して成功できるのは『やる』気があるかないかだけです。

そしてやる気のあるなしは「やるぞ!」と宣言することでも、夢を語ることでもありません。行動するエネルギーがあり、実際に行動することです。ただそれだけです。どこを成功とするかは、人それぞれだからわからないんですが、何を一時的なゴールと設定しても、行動なくして結果はでません。

何故そんな当たり前のことをわざわざ言うんだ、とあなたは思うかもしれませんが、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチも『人間はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛または非難に値する』と言っているくらい、昔から変わらないことです。しかし、できた人とできない人の差は、きっとたったそれだけでしかありません。

つまり、成功している人は突然成功したわけではなく、『リスクがあっても』やると選択しつづけた人、『当たり前のことを』やると選択しつづけた人、『些細なことでも』やると選択しつづけた人です。つまり『言い訳せずに』やりつづけると選択した人だけが、努力に時間という魔法をかけることができ、その結果、あなたよりも先にあなたの理想の成功という結果を手に入れています。

――夢からではない開業パターンとは、なんでしょうか。

そうですね、何せ開業した4年半前の私が持っていたものをあげるならば、『やる(やらないといけない。やるしかない)』という覚悟だけです。資格だって仕事上必要だったから所持していただけで独立しようとか、金持ちになりたいとか、そんな夢があったわけでもなく、もちろん開業資金を用意していたとか、客先の目星があるとか、事前に準備をしていたわけでもありませんでした。

4年半前、私は突然無職になりました。せっかく入園できた認可保育園も、親が無職になるとたった2ヶ月で追い出されてしまいます。そして保育園を一度出てしまったら、都内では二度と子どもを預ける場所はなくなり仕事ができなくなります。そのため私は税務署に開業届出を出し、転職先を探そうと思っていました。保育園を追い出されないという下心のために、開業をとりあえず『やる』というふりをしました。

だから最初の6ヶ月は開業という隠れ蓑を着ながら転職活動をしていました。開業は仮の姿…そんな甘い考えだったからか、いつまで経っても転職先すら決まらない状態でした。夫婦完全別財布の我が家には、お金をどう使おうがお互い干渉しないんですが、どんな理由であれ自分の担当の支払いをしなくてはいけないという掟があります。支払いという視点だけでみれば、いくら7桁程度の貯蓄があったとしても、無職の6ヶ月間は本当にあっという間でした。あながち資格なんて持っているから、失業給付をもらえないことも災いしました。あ、今は裁判を起こしてくれた税理士先生のおかげで条件を満たせば有資格者でも失業給付がもらえます。

相方とはいえ、1000円単位の支払いをお願いし、「それは本当に必要なの?」という言葉を言われながらも頭を下げ続ける屈辱。今思えば夫婦なのに、なぜ家族の支払いに対し、あそこまでさせられなければいけないのだろうか、とも思うんですが、それがあったからこそ、サラリーマンをあきらめ、本気で開業を選択することになった時も、稼がないと!という必死さができ、4年半経った今も続けられているとも思います。

――表面的な『やる』という言葉ではなく、後がない『やる』しかない覚悟について、お話しいただけますか?

ただお金がない惨めさは半端ないです。行動が制限されるだけでなく、行動する気さえ失ってしまいます。もちろんお金があったからといって、効果的な動きができるかといえば、時間がある分ついつい甘い誘惑に流れがちです。そのため資金を潤沢に用意した方がいいかは本人の性格にもよるわけなんですが、ないよりはあった方がいいのは間違いないです。

ただ行動しないのは、開業にとって営業していないと同意語です。当時は全く知らなかったんですが、営業というのは買ってもらうことではなく、知ってもらうことです。必要としている人に自分の情報が届いていない状態で、売れないのは確かに当たり前です。「お金がないから」と誘いやチャンスを断る方も多いんですが、自分の想像で判断せず、一度は何でも参加することをおススメします。なにせ、私の1件目のお客様となったのが、人からの紹介でも、誰かに売り込みにいったわけでもなく、無料の転職フェアで、たまたまお会いした社長さんだったからです。

――就職するか、それとも就職をあきらめるか、随分悩まれましたか?

金銭的にも限界を迎えていたある日、近くで転職フェアをやるという電車のつり広告をみて、藁をもつかむ気持ちで参加しました。

転職フェアというのは、人材を求める多数の企業が出展し、会社の情報を人事担当者から詳しく教えてもらえ、面接又は面接予約ができるところです。基本は無料です。年齢による参加条件はないんですが、当時は20代の第二新卒をターゲットにしている感じではありました。

遊園地へ来たかのように友人と楽しそうに回る若者に交じりながら、人事募集をしていた会社のブースを回り、順番待ちしていた私に対し人事担当者から言われた言葉は「誰でも応募はできますが、第二新卒を想定しているので……」というやんわりとしたお断りです。

せっかく交通費をかけてきたのに、このままどこにも就職できないかもしれないという不安に駆られながらも、一通り見終わり、何の収穫もないまま帰ろうと出口にむかう私に、「あと1つブースを回れば、素敵な賞品があたる抽選ができますよ」と係りの人が声をかけてきました。採用されないのなら、せめて素敵な賞品くらい当たってもいいだろうという思いから、会場に戻りふらっと入ったのが、最初の顧問先となる神奈川のIT会社のブースでした。

ITの知識がないため正直に「抽選会のシールが欲しいから入っただけ」と伝えつつも、規定のシールをもらい即去るというのも忍びなく、また相手の会社としても面接の練習にと、ちょうど手が空いた社長さんとお話することになりました。社長さんから一通り会社案内を聞いたあと、自分のことについていろいろと聞かれ「社労士さんなんだ。うちにこない?ちょうど事務員が辞めるんだよね」と降って沸いたような話です。

「ぜひ!」と話を進めていたのですが、当時は、あの大きな地震があって1年もしないころです。東京にもっと大きな地震がくると噂され、「地震があったら絶対帰れないから、会社に泊まり込めるように、全員分の寝袋用意してあるんだ」と社長さんがいうくらい最寄りの路線は復旧が遅く、また自宅へは歩いて帰れない距離でした。何かあったとき当時2歳だった我が子を数日迎えにいけないことに抵抗感を覚え、散々悩んだ結果、結局採用を辞退しました。ところが、そのタイミングに長時間労働に対する労基署の監査がIT会社に入ったことも重なり、「それじゃ、顧問にならない?」と言う話になりました。

サラリーマンに戻りたいと願い、就職活動をしていたはずが、就職活動の延長で開業の一歩を踏み出すことになるとは思ってもいませんでした。

同業にこの話をすると、とても驚かれることから、多分縁があったのでしょう。逆を言えば、どこに縁があるか、どこにチャンスがあるかは、自分の想像の範囲外のところにある可能性もあるということです。もしお金が底をつくようなことがあっても、行動が無意識に制限され、思考判断が鈍る前に、短期アルバイトでも何でも行動さえしていれば、一見無関係であっても、あなたにとって必要な縁となるかもしれません。

――開業に必要なことを教えていただけますか。

はい。ただ、開業という選択を続けていれば絶対成功するわけでもないのは事実です。経済産業省「工業統計表」再編加工の個人事業ベースのデータを見ると、実際は3割以上倒産していることになっています。つまり、自分が心地よい選択をし続けると、3割は倒産する、継続できない可能性があるということです。

誤解してはいけないのですが、これは別に嫌なことをやらなくては夢を実現できないと言っているわけではありません。自分が『心地よく感じる』無意識に選択することと、自分が『心地よい結果』のために選択しなくてはいけないことは、違うことがあるというだけです。だからもし自分ばかりお客さんがこないとか、自分の欲しい結果がでていないとしたら、出会いの質がわるいとか、呪われているとか、何か特別なことがあるわけではなく、単に『心地よく感じる』選択をして『心地よい結果』のための選択をしていない可能性があります。

自分の強みを出せなければ失敗するとよく聞くけれど、自分の強みを出すという本当の意味は、お客様に自分を選んでよいのだという理由をわかりやすくし、お客様の選択は正しいですよと背中を押してあげることらしいです。残念ながら自分の強みの技術的価値を正確に理解できるのは、例え同業であっても自分と同じレベル以上の人くらいしかいないでしょう。それくらい本当の価値を伝えることは、時間をかければ伝えることができたとしても、最初に選ぶ段階で伝えきるのはとてもとても難しいのです。

――お客様に対しての心得といいますか、大切なことについて、お話しいただけますか。

そうですね、お客様はあなたが金持ちになるのを応援しているわけでも、あなたの夢をかなえる応援をしているわけでもなく、例えば夢を語るあなた、又は商品が魅力的だから、お金を支払うのです。実際のあなたの提供するものに価値があるかないかではなく、お客様が払いたい気分になるかどうかです。能力が高いことが例え業界的に優位性を持っていたとしても、いくら金額を安くしたとしても、それ自身に価値があるわけでもなく、価値があるとわかる人や、そこにしか価値がないと判断する人もいるのでゼロではないので、お客様が商品又はあなたの技術にお金を払うよりも、あなた自身にお金を払ったということに高揚感というか満足すること、悲しいけれどそれが一番優先されます。

つまり売れるためには、特化した技術を磨くことも大事だけれども、売れる理由は決して技術を磨いたことではないのです。磨いた技術がどれだけお客様の気持ちを満足させられるかを伝えられなければ、(既存客には別として)新規のお客様にとってもあなたにとってもその意味はありません。

――開業してとりあえずわかったことは、ありますか?

まず、人生にとって何一つ無駄はないことです。失敗もあきらめない限り成功へ一歩ずつ近づきます。開業しようか悩むくらいの夢があるのであれば、とりあえずやってみればいいのです。

ただその前に

・一歩ずつ例え少なくても毎日目的に近づくための行動すること

・自分を肯定するためだけのやらない言い訳を探さないこと

・相手を気持ちよくする方法を常に考えること

という覚悟はあるでしょうか。

もしこれすら嫌であれば、私は今の仕事を続けることをおススメします。なにせ自営業は時間もお金も自由になるのではなく、単にプライベートと仕事の区切りの壁がなくなるだけです。つまり壁で守られていた方が、幸せということもあるんですよね。

<プロフィール>

江黒照美(えぐろ・てるみ)

特定社会保険労務士。

強みを持たせるために得意分野を磨く士業が多い中、あえて真逆のジェネラリストを目指し、専門の労働問題を強化するだけではなく、開業後、年金事務所で年金相談の1000本ノックもこなす。

現在は採用から退職の先の年金まで、専門用語を使わず相談者に寄り添った言葉で説明し、顧問先から個人のお客様まで幅広い層に、高い評価を頂いている。

初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載