本の出版をきっかけに起業、アパレル販売員からコンサルタントへ
初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載
このところ、第二次、第三次の起業ブームが起きています。個人がサラリーパーソンから独立し、士業やコンサルタント、また個人事業主として食っていくとき、どのような困難が待ち受けているのか。私は一人の独立した人間として、他の先人たちに興味を持ちました。彼らはどのように独立して、食えるにいたったのか。それはきっと起業予備軍にも役立つに違いありません。さきほど、「第三次の起業ブーム」と入力しようとしたら、「大惨事」と変換されました。まさに大惨事にならない起業の秘訣とは。アパレル販売からコンサルタントに転身なさった異才・大ナギ勝さんにお話を聞きました。
――独立起業してみて、どうでしたか?
起業してまる2年4ヶ月が過ぎました。サラリーマンを卒業してからは2年6カ月です。はたして、この独立は正解だったのか?あるいは不正解だったのか?正直こたえを出すにはまだ早い段階です。
ただ言えるのは、あのままサラリーマンとして仕事をしていたならば、決してかかわることがないであろう仲間や仕事と出会えたのは間違いのないことです。そして、この二年間の私をその仲間や仕事が常に勇気付け、支えてくれていたのも確かなことです。
2014年9月30日付けで、32年間も勤務し続けた婦人服小売業の会社を退職しました。さすがにこれだけ長く在籍していた会社だから、仕事に飽きたわけでもなく、会社に嫌気がさしたわけでもありません。
おかげさまで、サラリーマンとしては1社だけに従事し、退職当時は部長職であったので、年収としてはトップレベルでいただいていたはずです。当時を振り返ってみても、今でも、「あの年収と引き換えにするだけの価値ある独立だったのか」と、口の悪い?あるいは賢明?な友人たちからは問われることがあります。
――なぜ、定年を前にして退職にふみきったのでしょうか?しかも十分な準備も進めないままでの退職したそうですが……。
これにはたった1つのきっかけが勢いをつけてくれたといえます。それは、運よく商業出版の機会を得たということです。実は、2012年頃から、ブログに書きためていた記事があります。自身の身内(姪っ子=兄の娘)がファッションの販売職に就職し(私とは他社)、短期間で頭角を現したまでは良かったものの、期待された異動先で心身症になってしまったのです。その後は、販売嫌い、人間嫌いになってしまい、結局、今でも社会復帰できないという悲惨な状況になっています。そのことが一つの経緯となり、販売職につく人の喜び、悲しみをつづり、人生を謳歌していこうよと説いたブログです。
おかげさまで、そのブログが出版編集者の目にとまり、商業出版の機会を得ることができました。私自身としては自身の出版により、会社の良い宣伝効果にもなり、社会で販売職という仕事に悩む人たちにとっても役に立てると、勝手な使命感をもって執筆に取り組みました。
2013年9月(退職の1年前)には書きあがり、出版前には社内での告知、あるいは必要ならば許可を得ようと動きました。ところが、会長や取締役部門長など大多数の賛成者に対して、ただ1人反対を表明したのが社長でした。
それから、社長説得に時間をかけてみたものの、なかなか首をたてに振ることがないまま、半年間という時間が経過してしまいます。この時のタイミングが、選択定年退職届を出せるギリギリのリミットでした。
出版するためだけに、長く慣れ親しんだ会社を辞し独立するか? あるいは、出版などという夢物語などあきらめて、サラリーマンとして安定した会社人生を送るか? 二者択一が迫られる時を迎えました。
この時、脳裏に浮かんだのが、自身の臨終シーンでした。
「あの時、本当は出版して世のなかの人の助けになることができたんだよなあ!」と後悔しながら天に昇るのか。逆に「あの時、会社を辞めて、少しの苦労はあったけれども、世の人の役に立つことはできたな!」と納得して天に昇るのか?どちらのシーンを選ぶのも自分次第と…
結果的には、後者の臨終シーンを選択したがゆえに、今ここでお話ししている次第です。
――退職して本が出てからは、どうだったのでしょうか。
選択定年制を選んで、退職願いを出して、その半年後には退職というめまぐるしいスケジュールで32年間の会社人生をあとにしてしまいました。
つまり、自身にとっては第一弾の本「商品よりも『あと味』を先に売りなさい」という本を書きあげて、1年後に退職。その3か月後に出版ということです。
ありがたいことに、それまでにお付き合いしていただいた人たちの協力もあって、運よく各書店でも話題に。増刷もされて今日にいたっています。
――今、基幹になっている仕事はなんでしょうか。
もちろん、だれもがお解りのように、出版だけで食べていけるわけもなく、ある繊維関係の財団法人の顧問という名のコンサルタントとしての仕事を生計の基盤としています。これとて、血まなこになって探したというよりも、32年間の人とのお付き合い=ご縁からいただいたありがたいものです。
また、「東洋経済オンライン」でコラムも執筆させていただいていますが、これも、あるセミナーでご縁をいただいた先輩コンサルタントからご紹介いただいたものです。こちらもおかげさまで、それなりの評価をいただいているようで、過去記事を振り返ってみると、1記事平均100万PV越え、そのうち2記事はヤフートピックスにも掲載されるなど、サラリーマンでいたならばあり得ない経験をさせていただいています。
その間には、先の出版本が台湾で翻訳され、さらには、他の出版社からご依頼いただき2冊目の本も執筆させていただきました。まさか、自分が2冊もの本を出版していただけるなどは、サラリーマン時代には考えもしたことがありません。
財団法人の仕事をしながらとはいえ、タイミングよく講演のお話などもいただき、毎日を心地よい緊張感と充実感で過ごしてきています。その講演の中には、いくつかの大学での講演もあり、その縁から、今春からは目黒にある服飾系大学の非常勤講師という役もいただけました。
――サラリーマン時代に、独立するか? サラリーマンを続けるか?どちらがよいとお考えですか?
最後の決め手となった「あの時、会社を辞めて、少しの苦労はあったけれども、世の人の役に立つことはできたな!」と想像した臨終シーンです。今回の服飾系大学で教鞭をとることが一つの答えだったように思えます。
真剣にファッションを仕事にしようという若者たちの期待に応えてあげられれば本望です。
そうは言いながらも、まだまだこの程度の仕事レベルでは、サラリーマン時代の年収には届いていません。しかし、思うところあって、すなわち使命感に押されてした独立・起業。それゆえにサラリーマン時代には、とうてい味わえない数々の体験で毎日が充実していることは確かなことです。
この先も、「あなたと出会えて良かった」とひとりでも多くの人に言ってもらえるような、影響力のある仕事を続け、結果的には年収レベルでも自己満足ではなく、友人からの「やはり良かったな」と評価されるよう邁進するのが私の務めだと信じています。
これからの更なる自身の進化が楽しみです。
初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載