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村田諒太の世界戦で涙したリングガールが写真集【後編】 「30歳でさわやかだけではダメと覚悟しました」

斉藤貴志芸能ライター/編集者
『なまのまな』より(撮影/藤本和典)

村田諒太や井上尚弥のボクシング世界戦でリングガールを務め、試合後に涙する姿も話題になった天野麻菜のインタビュー後編。今年、事務所を離れてフリーとなり、グラビアを8年ぶりに再開。31歳にして初の写真集『なまのまな』を発売した。現在も1Kの狭い部屋に住むそうだが、小学生の頃から抱く女優の夢も追い掛け続けるという。

天野麻菜インタビュー前編はこちら

30歳まで写真集を出せなかったことが悔しくて

――今年、事務所を離れて独立したのと同時に、グラビアも8年ぶりに再開しました。

天野 グラビアは20代前半で2本目のDVDを出した頃、もういいかなという気持ちになりました。バラエティに出たり、お芝居もちょこちょこやらせてもらうようになったので。水着の布面積が小さくなっていくことに、ちょっと不安も覚えました(笑)。それでグラビアをやらなくなったんですけど、写真集がずっと夢で出せなかったのが悔しくて、去年30歳を迎えて、自分でフォトブックを作ったんです。

――自主制作で。

天野 自費でカメラマンさんやメイクさんを呼んで、スタジオを借りて衣装を揃えて撮りました。印刷会社も探して作ったものを、ウェブサイトで売ったんです。楽しかったし、形にはなりましたけど、やっぱり悔しさは残っていて。それで、フリーになったタイミングで挨拶回りをしていたとき、「週刊プレイボーイ」の編集さんに「どうしたら載れますか?」と話したんです。そしたら、ボクシングの話題もあって、グラビアが決まったのが大きくて。やりたい意志が強まりました。

ブランクもある分、それなりのことはしなければと

――写真集を出す夢が忘れ物のようになっていたんですね。

天野 でも、年齢も年齢ですし、どう営業したらいいかもわからなくて。ブランクもある分、出すならそれなりのことをしないといけないとか、いろいろ考えたんですけど、やっぱり出したい気持ちは強くて。またグラビアのお仕事をしたら「イケる?」となって、縁あって写真集のお話もいただきました。

――30歳になったことも大きかったわけですか?

天野 30歳までに写真集を出すのが夢だったので。それはどうしても叶えたくて、30歳のうちに撮ったのでセーフでした(笑)。

――『なまのまな』は念願の写真集だけに、天野さんのこだわりも発揮されました?

天野 自分が思っていたのと違うものになったら、自信を持って皆さんに「買ってください」と言えませんから。コンセプトとか撮影場所とか衣装とか、1からすごく話し合いました。ビールを飲んでいる写真も絶対入れたくて(笑)。

――衣装にはどんなこだわりが?

天野 スタイリストさんが私に寒色系の印象が強かったらしくて。私自身も好きな色なので、衣装合わせで青や緑ばかりになってしまいました(笑)。そこは「違う色も入れよう」と、みんなで話し合いました。

『なまのまな』より(撮影/藤本和典)
『なまのまな』より(撮影/藤本和典)

恥ずかしい気持ちにはなりませんでした

――「最初で最後の限界裸身」と謳われていますが、それも最初から狙いだったんですか?

天野 年齢的にも、沖縄でさわやかな笑顔で……みたいな写真だけではダメだと思っていましたし、ある程度のことは覚悟していました。みんなの知らない一面を見せることを意識して、その中で自分の中の線引きはありましたけど、抵抗は感じなかったです。

――露出的には、浴衣をはだけたカットが一番ですかね。

天野 それは1日目の最初の撮影だったんです。カメラマンさんが明るく「もう脱いじゃおうか」みたいに言い出したのが面白くて(笑)。しっとりと「じゃあ、次は上を外して」みたいに言われたほうがイヤなので、元気に楽しく撮影できて良かったです。恥ずかしい気持ちにあまりならず、ここまでイキりました(笑)。

――他に撮影で覚えていることはありますか?

天野 3日間、めちゃめちゃ覚えています。1日目はうなぎを食べたかったのに、うなぎ屋さんが閉まっていたところから始まって(笑)。何より天気が悪くて寒かったんです。海辺のカットは陽が暮れた夕方に撮って、寒すぎて震えが止まらなくて。スタイリストさんがポリタンクにお湯を入れてくださって、掛けていただいたのが助かりました。あとは、2日目の夜ごはんが焼肉で、カメラアシスタントさんが氷なしのコーラを飲んでいたのが麺つゆにしか見えないとか(笑)、他愛もない話で笑っていました。

――撮影中はあまり食べないグラビアアイドルさんもいるようですが、そこはあまり気にせず?

天野 前日まで絞りに絞って、最後はサウナに行って水抜きまでしたんです。当日は大丈夫と、自信の元に食べました(笑)。

『なまのまな』より(撮影/藤本和典)
『なまのまな』より(撮影/藤本和典)

ギリギリの生活でも危なくなると競馬が当たったり

――上京したときの家賃を払えなかった話がありましたが、YouTubeのブラックマヨネーズ・吉田さんのパチンコ番組でも「よく払えなくなる」と話していました。最近でも滞納はあるんですか?

天野 今はだいぶ生活が安定してきましたけど、去年までは危うかったです(笑)。本当に良くないと思いながら、1ヵ月滞納してしまったり。余裕のある生活はまだしたことがなくて、いつもギリギリで生きています。

――そういう生活が10年以上続いて、しんどくなることもありませんでした?

天野 借金はしたことなくて、自分の生活の中でやり繰りしているだけで、ずっと「どうにかなる」という精神で来ています(笑)。

――実際、どうにかなって?

天野 そうなんです。お金がなくて、いよいよ危ないと思っていたら、競馬で家賃1ヵ月分くらい当たったり。困ったときにポンポン仕事が決まるとか、そういう巡り合わせがある気がして、あまり不安になったことはないですね。

応援されているのに自分が折れたらダメなので

――持っているんですね。心の支えになっていたこともありますか?

天野 周りに応援してくれる方が多いんです。友だちも親族関係も誰1人、私の年齢や状況がどうであれ、「もう辞めたら?」「普通の仕事に就いたら?」とは言わなくて。なのに私自身が折れてしまったら、すごく失礼な気がするんです。「次は何に出るの?」と聞かれるので、報告ができるように頑張ろうと活力になっていて。ファンの方もそうですけど、応援に後押しされて「弱音を吐いていたらダメだ!」となります。

――同世代でテレビや映画で活躍している人を見て、引け目を感じたりは?

天野 全然ないです。長い人生ですし、芸能界で死ぬまでやっていきたいので。今は向こうのほうが知名度があって、仕事をたくさんしていても、いつか追い付き追い抜くと信じています。テレビを観ていて知っている子が出ていると「私も出たい!」となりますけど、そういうときはすぐ自分で営業に行くので(笑)。制作会社の方に連絡したり、プロフィールを送ってみたり。それくらいの精神でないと、腐って良くない方向に進んでしまう気がします。

(C)2022 by Mana Amano
(C)2022 by Mana Amano

映画のヒーローを観て孤独でも頑張ろうと

――今でも一番やりたいことは女優なんですよね?

天野 そうです。女優メインでやれたらなと思っています。

――これまでの出演作で、自分の中で大きかったのは?

天野 主要キャストとして出させていただいた映画『サマーソング』が、吉沢亮さんの初主演だったんですね。今、すごくたくさんドラマに出演されていて、観るたびに「私も負けていられない」とすごく思います。

――失礼ながら、天野さんはまだ大きい役は経験ないですよね。焦ったりはしませんか?

天野 ドラマに出させてもらっても、受付嬢とかキャバ嬢の1人とか、そういう役が多くて。連ドラのレギュラーもやったことはありません。どうしたらなれるのか見えていませんけど、せっかくフリーになったので。今、いろいろな大人の方に「どう動けば私の夢は叶いますか?」と相談して、アドバイスをいただくようにしています。

――映画は自分でもよく観ますか?

天野 めちゃくちゃ好きなので、月に2~3本は映画館で観ます。洋画も邦画も観ますけど、マーベルの『アベンジャーズ』シリーズが大好きです。ヒーローは孤独じゃないですか。私も孤独だけど頑張ろうと奮い立ちます。中でも、ハルクを演じているマーク・ラファロさんが好きです。ドラマも新しいクールがスタートしたら、全部1話から録画して観るようにしています。もしかしたら、自分が何話かで呼ばれるかもしれないと思って(笑)。

――最近、刺激を受けた作品もありますか?

天野 『silent』はやっぱりいいですね。あと、坂元裕二さんの脚本が好きでチェックしています。台詞回しが面白くて、『花束みたいな恋をした』は映画館で感動して泣きました。

(C)2022 by Mana Amano
(C)2022 by Mana Amano

樹木希林さんみたいな女優さんになりたくて

――女優さんで目標にしている人はいますか?

天野 ずっと樹木希林さんみたいになりたいと思っていました。噂なので本当かわかりませんけど、お年になられて名前が知られてからも、出たい作品があってオーディションを受けられたと聞いて、衝撃を受けました。私も観に行った舞台で感銘を受けたら、「次のオーディションはいつですか?」と聞きに行ったりしていましたけど、唯一無二の存在の樹木希林さんのバイタリティがカッコいいなと思いました。

――すごく長いスパンでの目標になりますね。

天野 私は昔、メインの役をやりたいと思っていましたけど、最近は年齢を重ねたこともあって、メインでもそうでなくても「この女優さんはいいよね」と言われることに重きを置き始めています。あわよくば、誰かが私を観て「女優さんは素敵。なりたい」と思われるくらいになれたら。私も昔ドラマを観て、そう思いましたけど、人の人生を変えるくらいの影響力って、すごいことですからね。

人生は演劇だと思っています

――日ごろから、いつドラマや映画の話が来てもいいように、磨いていることはありますか?

天野 私は昔から、会う相手によって自分のキャラクターを若干変える部分があって。明るくてテンションが高いのは一貫しつつ、“この人にとっての天野麻菜”が少しずつ違うんです。人生、演劇だと思っているので。誰でも家族の前と恋人の前で違ったりはしますけど、もっと細かく1人1人で変わる感じで、たまに本当の自分が自分でわからなくなります。地元の友だちに「私の前では天野麻菜を演じなくていいよ」と言われたこともありました。でも、もうクセになってしまっているんですよね。

――『なまのまな』の写真でも、ある意味、演じていたり?

天野 そういうところもありますね。どういう表情を出そうか、模索していました。

――旅館の写真だったら、恋人と来ているイメージだったり?

天野 グラビアでそういう設定は多いですね。“カメラを恋人と思う”という理論はわかります。私は恋人と旅行したことはないですけど、「こうだったら楽しそう」と想像はしていました。

(C)2022 by Mana Amano
(C)2022 by Mana Amano

1DKの家に引っ越せるようになりたい

――来年も女優業を第一に見据えつつ、幅広い活動も続けていきますか?

天野 何でも挑戦はしていきたいです。でも、理想は映画女優になることです。エンドロールで自分の名前が流れたらいいなと、想像しています。

――30代はプライベートも含めて楽しいですか?

天野 はい。30歳になるまではすごくイヤだったんですけど、実際に誕生日を迎えたら、別にどうでもいいという気持ちになりました。年齢にとらわれなくなって、逆に、20代でできなかったことができるかもしれないと思っています。

――仕事以外で30代にやりたいこともありますか?

天野 結婚願望は本当になくて、恋愛の話も特にありませんけど、引っ越しをしたいです(笑)。

――広い家に?

天野 今は1Kの本当に狭い家で、もう少し広いほうが余裕が生まれそうなので、そういう家に住めるくらいになりたいです。

――タワーマンションの高層階に住みたいとか?

天野 そこまでは全然考えていません。今が1Kなので、もうひと部屋欲しいだけ(笑)。1DKでいいので、ウォークインクロゼットがある家に住んで、家賃をちゃんと払える人になりたいです(笑)。

――物欲はあまりないとか?

天野 そうなんです。自分にお金をかけるとしたら洋服くらい。それもハイブランドが欲しいとかは全然なくて。そんなお金があるなら、友だちとごはんを食べたり、飲みに行くことに使います。それで女優の夢が叶えられたら、もう十分です。

(C)2022 by Mana Amano
(C)2022 by Mana Amano

Profile

天野麻菜(あまの・まな)

1991年10月14日生まれ、大阪府出身。

2009年より活動を開始。「ミスiD」2013ファイナリスト。映画『サマーソング』、『THE BAD LOSERS』、ドラマ『ゲキカラドウ』、『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』などに出演。『FUJI BOXING』(フジテレビ系)でリングガール。ファースト写真集『なまのまな』が発売中。

公式HP

天野麻菜ファースト写真集『なまのまな』

撮影/藤本和典 定価/3000円 発行/ワニブックス
撮影/藤本和典 定価/3000円 発行/ワニブックス

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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