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「私の最期をきれいに撮って」。現実と夢が交錯した世界に逃避する役で山﨑果倫が向き合った孤独

斉藤貴志芸能ライター/編集者
(C)「夢の中」製作委員会

中学生の性の違和感を描いた『蝸牛』で「MOOOSIC LAB」短編部門でグランプリほか4冠を達成した都楳勝監督の商業デビュー作『夢の中』が公開される。夢と現実、感情と記憶が交ざり合う異色作で、生気がなく虚ろな主人公を演じたのが山﨑果倫だ。近年は他の主演作などの公開も続くが、撮影した3年前は初の大役。幻想的な世界観に、独自のロジカルな組み立てと深い探求で取り組み、観る者を引き込んでいく。

撮ったのが3年前で自分に見えません

――2022年末の取材で「『夢の中』の公開は来年」とのことでしたが、延びたわけですね。

山﨑 そうなんです。作品について言いたいけど言えない、みたいな状態でした(笑)。でも、この作品の持つ温度感から、どの季節に観るかによって、だいぶ印象が変わると私は思っていて。スタッフの皆さんも「初夏がいい」という意見が多くて、共感しました。どのみち撮影から期間が空いたので、作品が一番溶け込むこの5月に公開されるのは、望み通りで嬉しいです。

――3年前に撮影して、完成して観たのは最近ですか?

山﨑 つい最近観ました。企画は4年前から始まって、昔の日記を開けるような感覚がありました。

――映像で3年前の自分を観ると、どう感じます?

山﨑 自分に見えないですね(笑)。記憶もあまりなくて、撮影当時の日記や仕事のノートを見返して、ようやく「そうだった」と思い出せるくらい。もともと素の自分とかけ離れた役でもあったので、完成して観て新鮮な気持ちになりました。

日記には「不安」と「大丈夫」が繰り返されて

――当時の日記にはどんなことが書かれていました?

山﨑 「不安」と「大丈夫」が繰り返されていて、最初のほうは不安が多かったです。私が最年少で、でも、主演として引っ張らないといけないとか、自分に課していたことがすごくあって。撮影を前に、地に足が付いていないような不安でした。

――具体的に何かが不安というよりも?

山﨑 主演だから、この役だから、こうあらなければいけないと、頭が先走った状態でした。撮影に入ったら、私は役に集中することがすべてで、スタッフさんもキャストさんもみんながそう望んでいると、心から感じられて。余分なことを考えず、自分のお芝居をするのが作品にとって良いことだと思ってからは、不安はなくなって楽しめました。

――この映画はもともと、「感動シネマアワード」のひとつとして、山﨑さんが主演する映画の企画を募集して生まれました。当時の山﨑さんの状況的には、いきなり大きな話が来た感じでした?

山﨑 マネージャーさんから伝えられて、何回も聞き直しました。「本当ですか?」「現実ですか?」と言い方を変えて(笑)。たぶん自分に自信がない時期で、最初はスッと受け取れなかったです。

自分の暗い部分を監督に見出されました

――都楳勝監督の『夢の中』がグランプリになって、生気がないタエコの役が自分に来たのは、腑に落ちました?

山﨑 先ほど「素の自分とはかけ離れた」という言葉を使いましたけど、たぶん私の一部にタエコがいます。その一部にすごく向き合って、想像して埋めていきました。平たく言えば私の暗い部分を、都楳監督が初対面で見出されたみたいです。「すごく明るくて笑顔が多いけど、きっと誰より暗い部分がある」と。そう言われたとき、「バレてる」と思いました(笑)。

――自覚はあったんですね。

山﨑 自分の暗い部分やジメッとした部分は、人に見せたらいけないと思って、生きてきたところがあります。明るく笑顔で前向きでいなければと。この作品で暗さや心の傷も人の魅力なんだと、教えてもらった気がします。

本当に心が揺れたからできた行動でした

――都楳監督とはこの企画の前に会っていたんですか?

山﨑 はい。2019年の「MOOSIC LAB」という映画祭に、私は毎日通って、ほぼ全作品観たんです。その中で一番好きだった『蝸牛』という短編を撮ってらっしゃったのが、都楳監督でした。挑戦的なのに馴染む。ビックリさせられるのに懐かしい。初めての感覚でトリコになって、舞台あいさつのあとに監督を出待ちして、「一番好きでした!」と伝えました。

――いきなり(笑)?

山﨑 その言葉が一番先に出ちゃったんです。「自己紹介もしてなかった!」と思って、「山﨑果倫と言います。19歳です。すごく良かったです。では!」と去りました(笑)。その一瞬の私の圧が印象に残ったみたいで、監督が業界の方にお話しされていたら、「感動シネマアワード」で私を撮る映画を募集していると紹介されたそうです。

――監督はそんな一瞬で、山﨑さんの内なる暗さを見抜いたんですか?

山﨑 どうしてそう思われたのかは聞けてませんけど、本当に私の心が揺れなかったら、あんな行動はできなかったと思うんです。損得勘定とか頭で考えたのでなく、感動のままにあいさつしてしまった。あれから4年経ちましたけど、そんな行動は何度もしてなくて。運命的なご縁だったなと思います。

毎日10キロのウォーキングで浮遊した歩き方に

――『夢の中』の撮影に入る前に、半年で6キロ痩せたそうですね。

山﨑 コロナ禍の運動不足と、露出が減って意識が落ちていて、ちょっと太ってしまっていたんです。毎日10キロのウォーキングをして落としました。

――10キロというと何時間くらい歩くんですか?

山﨑 私のペースだと4~5時間です。数字で決めたほうが、やれるタイプなので。歩きながら、すっと役のことを考えていました。あと、私の普段の歩き方だと、タエコになれなかったんです。

――「美しくてはかないものになりたかった」というモノローグがあって。

山﨑 地に足が付いていない、浮遊した感じを出したいという演出が、リハーサルのときにありました。素の私はチャキチャキしていたので、ウォーキングしながら歩き方にも気をつけたり、もう1人の自分が俯瞰して「それは違うぞ」と対峙していました。歩けば歩くほどタエコになれると信じて。

――毎日10キロ歩くのが苦しかったわけではなくて?

山﨑 楽しかったです。自信がなかったので、何かしてないと落ち着かなかったんだと思います。日課にウォーキングを組み込んで、作品のことをずっと忘れずにいられた準備期間でした。

コンタクトを外して見えない状態で演じました

――『夢の中』は脚本だけ読むと、どこが現実でどこが夢とか、わかりにくくなかったですか?

山﨑 とても難しかったです。すぐに理解できたわけでなくて。今は映像になって話せますけど、脚本だけの段階では掴めない部分もたくさんありました。でも、ずっと考えていたら、わかってくるんです。会話になっていないシーンが多くて、「なぜこの台詞を言うんだろう?」と考え続けているうちに、「絶対こう思ってる!」と。監督に確認して「それで行こう」となることが多かったです。

――山﨑さんはすごくロジカルに演技を組み立てられるそうですが、『夢の中』も感覚で演じたわけではなくて?

山﨑 考えて演じていたかもしれません。たとえばタエコは最初、本当に虚ろな目をしているんです。だんだん希望に向かっていきますけど、撮り順は別で、シーンごとにどれくらいの虚ろ具合か、1から10で付けていました。一番解像度が低い最初の顔のアップは、両目のコンタクトを外して撮影しています。私、すごい近眼なんです。

――裸眼だと視力は?

山﨑 コンタクトを外すと、相手がモザイクみたいにしか見えません。無理にそういう状態にすることで、変に力まず虚ろになれました。映像で観ると、結構な顔をしてますけど(笑)。相手の顔がはっきり見えないと不安なんです。でも、タエコはそういう状態だったのかなと。自分の心が人も世の中もはっきり見えないようにさせている。それはすごく体感できました。

――そこから虚ろ具合に2、3……とグラデーションを付けていくのは、難しくなかったですか?

山﨑 難しかったです。目の開き具合とか、そういうレベルで変化を意識しました。

解読するのでなく景色を眺めるように

――山﨑さんは映画コラムを連載されていますが、この『夢の中』と似たテイストの作品って、思い当たりますか?

山﨑 告知や宣伝に当たって似た作品を探して、どう広まったかを参考にしようと考えたことがあるんです。でも、今回は本当になくて。幻想体験ができるとしても、ホラーテイストに寄り過ぎていたり、言葉数が多かったり。心の動きの輪郭をあえてぼやかして、美しい映像というところだと、都楳監督の『蝸牛』が浮かびます。私はそういう輪郭をはっきりさせない作品のほうが好きです。

――人間はそれぞれだから?

山﨑 はい。すべての人間は違って当たり前と、ラベリングせずに素敵に描いているのが『蝸牛』で、『夢の中』もそうだと思います。

――『夢の中』は多くのシーンが幻想というイメージでした?

山﨑 完成した映像を初めて観たとき、自分でも夢の中にいるような感覚になれました。だから、作品を解読しようとするのでなく、ぼんやり景色を眺めるように、もしくは美術館で絵を見るように、観ていただきたいなと思っています。そうすると、ぼんやり観ていたはずなのに、最後には自分の心に帰ってきた……みたいな受け取り方をしてもらえるのではないかと。それが夢の中にいたような体験になる、と伝えていきたいです。

屋上のソファに自分を投影している気がして

――おっしゃる通り、答え合わせをするような作品ではないと思いますが、演じるうえでは「ここは夢」「ここは現実」みたいに意識はしていたんですか?

山﨑 あまり夢と現実というふうには分けていません。軸をあえて作らずに演じていました。シーンと言葉に重きを置いて、今タエコがどういう状態で、どんな気持ちかだけ、分析していたかもしれません。彼女はこういう人間だと、わかってもらう必要もなかったので。私がしたことを夢にするかどうかは、監督や制作の皆さんを信頼して、私は人間として向き合うだけでした。

――たとえばビルの屋上でソファに寝ている状況も、特に深読みはせず?

山﨑 最初は何でだろうと思いましたけど、まあ、あるかと。ビルの中にあったソファが運ばれてきたのかもしれないし、タエコにはそのソファが自分に見えているんじゃないかと思いました。

――どういうことですか?

山﨑 行き場をなくしたソファが、あるはずのない屋上に置いてある。それが自分自身と重なって。だから愛着があって、毎日来ている。部屋で飼っているトカゲもそう。タエコは心を持ってなさそうなものに、自分を投影している気がしたんです。だから、ソファも生き物みたいに接しました。

――ひとつの解釈として。

山﨑 私が演じるに当たっては、という部分でしかないですけど、体にピッタリきて動物と抱き合うような感覚で、ソファに寝そべっていました。

生い立ちのすり合わせは緻密にしました

――タエコの心情はだいぶ掘り下げたわけですか?

山﨑 そうですね。ソファにいるときはリラックスしてニュートラルな状態、周りにソファやトカゲのような愛着あるものがなくて、かつ、人が自分のテリトリーに入ってきそうなときは警戒モード。それが一番使ったスイッチかもしれません。

――劇中では、タエコがどんな人生を歩んできたかは触れられていませんが、裏設定みたいなものはあったんですか?

山﨑 実を言うと、リハーサルの時期に監督から、藤野タエコの生い立ちが全部書かれた人生年表をいただいてました。タエコがなぜこうなったのか、劇中ではほぼ説明されていませんけど、たぶん私だけがわかっていればいいと考えられていて。でも、監督とはその辺のすり合わせを、めちゃくちゃ緻密にしました。

――カメラマン助手のショウに、「私の最期、きれいに撮ってください」と頼んだ真意も?

山﨑 どうしてなのか、理由はあります。明言したくはないですけど。

心の問題から逃げるとニセモノに

――他にも「ニセモノでも、そこにあれば、それがすべてです」とか、意味深な言葉がたくさんあります。そのひとつひとつに背景があると?

山﨑 すべてが繋がっていると、私は捉えています。ニセモノというワードは、私も最近考えることが多くて。すごく強い言葉ですけど、解体していくと、取り繕った自分や、「こう見られたい」というイメージなのかなと。自分の本質的な問題に向き合わずに外に逃げていくと、誰とも本当の意味で手を取り合えないし、行きたいところに行けない。それをニセモノというワードで表現していると思います。

――なるほど。深いですね。

山﨑 実は『夢の中』は、そこをすごく描いていて。心の問題から逃げれば、生きるのが楽で呼吸がしやすい。毎日ごはんもおいしい。でも、いつか「あれ? 自分って何だっけ? 私は何が好きで何をしたいんだっけ?」となる。人との深い絆には辿り着けない。それが作品で言いたいことのひとつだと、ニセモノというワードから感じています。

本当の自分でない状態が夢の中なのかなと

――「全部夢のような気がする」という感覚は、実際に味わったことはありますか?

山﨑 人と関わるうえで、期待するから傷つく、というのはありますよね。期待してなければ傷つかない。そういうことを繰り返していると、夢の中に行ってしまうんだと思います。さっきの話のニセモノ。私のことで言うと、たとえばオーディションで「こういうものが求められているから」と、自分にない部分で自己PRしたり、ウソではなくても誇張して臨むと、結局受からない。家に帰ってきても、あまり記憶がない。まるで夢だったよう。本当の自分でない状態で時間を過ごすと、人生の歩みを積み重ねていけない感覚があります。それが夢の中なのかと思って、演じていました。

――タエコが指を開いたり閉じたりする場面が、何度かありました。あれは演出が入ったんですか?

山﨑 タエコは最初、冷たいものを触っても冷たく感じなかったんです。それが冷たいと感じたとき、指を何度も握るんじゃないかと、リハーサルで監督と話して、そうした記憶があります。

――皮膚感覚がないくらい、虚ろだったと。

山﨑 冷たさも温かさも感じない。何より痛むのがイヤだから、すべての感覚を切り離した状態からスタートしました。そこから感覚を取り戻していくとき、「あれ? 冷たいなんてイヤだ」みたいに思っていて。いつか痛みも感じてしまう恐怖から、1人でグーパーしていました。

どういうときに体の感覚を失くすのか

――すごく緻密に演じられていたんですね。タエコの虚ろさが徐々に晴れていくに連れ、体の感覚も変わっていくのも表現して。

山﨑 でも、それはタエコだけでなく、誰にでもあることだと思うんです。たとえば、すごく緊張していると、自分が立っている感覚もない。血が出ているのを見て、初めて自分がケガをしていると気づく。そういうことが人それぞれにあって。

――確かに。

山﨑 ウォーキングをしながら、私はどういうときに感覚を失くすかも考えたんです。たとえば恋をしているとき、相手に触れているのに触れてないように感じたり。心が浮ついてしまって、自分の感覚が信じられない。そういう例をたくさん集めました。簡単なことだと、腕時計を付けていても意識してないとか。

――笑い話である、眼鏡を探していたら自分の頭に掛けていたとか?

山﨑 そういうことですよね。タエコはそんな感覚を極端なところまで突き詰めてしまったように思うんです。逆に、それを感じるようになったら、違和感が生まれる。そんなふうに考えて演じていました。

双極にある枯渇と欲望が同時に見えました

――「タエコという人間を演じている間、自分の心の奥底にある枯渇と欲望と静かに見つめ合っていました」とのコメントもありました。見つめ合うことが必要だったんですか? 演じていたら見つめ合う結果になったんですか?

山﨑 気づいたら、見つめ合っていました。枯渇していないとタエコの虚ろさに辿り着けなくて。逆に枯渇まで行くと、自分が何を求めているのかという欲望が、双極にあるように同時に見えました。

――自分の中にどんな欲望が見えたんですか?

山﨑 圧倒的な成功体験ですね。当時はお仕事ひとつキャスティングされるのも難しくて、自分のオーディションへの向き合い方が正解なのか間違っているのかも、合否の結果でしかわかりませんでした。すごく枯渇してましたし、気持ちがヒリヒリしていて。あとは、人といればいるほど、孤独を感じていた時期もありました。そういうときの心情は、枯渇に近かった気がします。今は自分を理解するほど、孤独は癒されると思っています。

――孤独を表面的に考えると、自分と向き合うより多くの人と触れ合うほうが、解消されるようにも思えますが。

山﨑 自分の心と向き合わないと、どんなに人と出会って愛されたり誉められたりしても、結局、孤独は癒えない気がします。タエコはそれができなかった。自分が何者かわからない状態だから、すごく孤独だった。ショウと出会って自分と向き合ったことで、変わったように感じたんです。すごく難しいところでしたけど。

撮影が延期された間は役の気持ちのままで

――それだけ役について考え続けていたら、撮影期間中は現場を離れても引きずりませんでした?

山﨑 毎日ではないですけど、そういうこともありました。明日から地方に移動して、大事なシーンを撮るというときに、台風が来て延期になってしまって。そのときは家で3日くらい、ずっとタエコ状態でした。自分の中に入れていた気持ちの行き場がなくなって、人と全然話せませんでした。

――1回リセットする感じでもなく?

山﨑 翌日以降に撮るはずだったシーンが、すごく気持ちを持っていかないとできないことが、たくさん詰まっていたんです。それがカポッと空いてしまって、この気持ちを持っていけなかったらどうしようと、スイッチを入れ続けて引きずっていた記憶があります。

青さも含め当時にしか撮れなかったものです

――タエコが湖に入っていくシーンは、体的には大変でした?

山﨑 腰の上くらいまで入りましたけど、全然冷たくなかったんです。今思うと不思議ですね。タエコだったからか、肌の感覚がなくて。真夏だったので、みんな「暑い暑い」と言ってましたけど、私は湖に入る前は逆に寒いくらいで、炎天下にベンチコートを着ていました。

――女優体質なんですかね。浴槽で顔を沈めるシーンもありました。

山﨑 沈んでましたね。この映画を撮っていると、だんだん水が怖くなくなりました(笑)。たくさん入ったので。

――その後の3年で多くの経験を積まれて、今タエコを演じるとしたら、また違う形になるでしょうか?

山﨑 私は常に今の自分を一番気に入っていて、時が経つほど自分を好きになります。ただ、タエコに関しては、私の未熟さや青さも含めて、あのときにしか撮れなかったものが詰まっていると思っています。今のほうができるということは、ないかもしれません。この作品がなければ今の私はなかったから、すごく愛しい感じがします。

レプロエンタテインメント提供
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Profile

山﨑果倫(やまざき・かりん)

1999年10月8日生まれ、愛知県出身。2015年にレプロエンタテインメントとソニーミュージックの合同オーディションに合格。2017年に舞台デビュー。主な出演作はドラマ『作りたい女と食べたい女』、『ひともんちゃくなら喜んで』、『隣の男はよく食べる』、映画『赤い私と、青い君』など。5月10日より公開の映画『夢の中』で主演。『輝け星くず』が6月公開予定。

『夢の中』

監督・脚本/都楳勝 出演/山﨑果倫、櫻井圭佑、玉置玲央、山谷花純ほか

5月10日よりアップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

公式HP

(C)「夢の中」製作委員会
(C)「夢の中」製作委員会

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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