Yahoo!ニュース

イザベル・ユペール。自作自演レイプを疑われる衝撃の役で、原発について、改めて濱口監督への愛も語る

斉藤博昭映画ジャーナリスト
2023年のヴェネチア国際映画祭でのイザベル・ユペール(写真:ロイター/アフロ)

世界的な知名度を誇る映画スターといえば、ハリウッドで活躍する顔が思い浮かぶなか、この人だけは、ちょっと別格だろう。イザベル・ユペール。

母国フランスを起点にしながらも、各国の監督と組んで野心的な作品/役にも果敢にチャレンジを続ける人。ユペールが関わった作品は、それだけで映画ファンの食指を動かすし、実際に刺激的な映画が多い。俳優として理想のキャリアを積んでいると言ってもいい。

日本でも今年(2023年)は、3本の出演作が公開。昨年(2022年)には東京の新国立劇場で「ガラスの動物園」の公演を行ったし、日本でも撮影し、伊原剛志と共演した新作『Sidonie au Japon』が2024年に公開(日本は未定)と、このところ日本とも縁が深いイザベル・ユペール。

今年の公開映画3作は、ロバの運命を描き、アカデミー賞候補にもなった『EO イーオー』、『8人の女たち』でも組んだフランソワ・オゾン監督のクライムコメディの快作『私がやりました』(11/3公開)、そして『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』(10/20公開)では、フランスの原子力企業アレバ(現オラノ)で労働組合の代表を務める主人公を演じているのだが、これがじつに一筋縄でいかない、まさにユペールのために用意されたような役なのだ。

主人公のモーリーンは、アレバが中国と契約し、自社の技術を中国に流出させる動きを察し、会社の未来や従業員を守ろうと内部告発。その直後、自宅に何者かが侵入し、レイプされてしまう。モーリーンは告発するも、これが彼女の自作自演ではないかという疑惑も浮上し……という衝撃の実話が映画化された。

実在の人物ながら、何層もの複雑な心理が見え隠れするモーリーンという難役。そのアプローチをユペールに聞くと、次のような答えが返ってきた。

レイプとしては、ものすごく野蛮な状況。そして今日に至るまで真犯人がわからないという、奇妙な事件です。モーリーンが嘘をついている可能性もある。さらに権力を持った人々がミステリアスに絡んでくる。とにかく強烈で特殊なシチュエーションなので、私自身も曖昧さを残しながら演じることにしました」

『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』より (c) 2022 Guy Ferrandis - Le Bureau Films.jpg
『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』より (c) 2022 Guy Ferrandis - Le Bureau Films.jpg

このモーリーンの事件が起こったのは、2012年のこと。つまり日本の福島第一原発の事故の翌年だ。原子力企業の新たな方向性も重要なトピックとなる本作には、当然のように前年の「フクシマ」の話題が何度も登場する。このあたりは日本の観客にとっても生々しい。原子力企業で働くモーリーンを演じたユペールに、原発の是非についても深く考えるようになったかを尋ねると、ちょっと言葉を選びながら「私は原発について、とくに強い意見は持ち合わせていません」と切り出し、次のように言葉を続けた。

「この映画に参加して私が興味深く感じたことは、フランスが保持する原発のノウハウが中国に流れてしまうプロセスでした。モーリーンは会社で雇用確保や失業防止など労組の仕事をしながら、そうした他国への流出問題を感づいて、社内で危険な存在になってしまう。原子力産業全体の観点から、こんな状況に陥っていいのか。マズいのではないかと個人的に感じたのは事実です」

巨大な権力の闇とも闘い、レイプが自作自演であると疑われるモーリーン・カーニーの運命は、ぜひ映画で確認してほしいが、日本人として改めて聞いておきたいことがもうひとつ。ユペールの濱口竜介監督への思いである。

ユペールは、かなり早い時期から濱口監督の『PASSION』や『寝ても覚めても』を絶賛しており(筆者とのインタビューでも複数回で彼の話になった)、2021年の東京国際映画祭では濱口監督とトークイベントで念願の初対面を果たした。その後、『ドライブ・マイ・カー』が米アカデミー賞で作品賞にノミネート、国際長編映画賞を受賞し、濱口監督は世界的巨匠に上り詰めた。そんな彼への思いを、改めてユペールに聞いてみると……。

「『ドライブ・マイ・カー』ですっかり有名になってしまいましたが、濱口監督のことは私たちフランス人が“発見”したと言っていいと思います。現在のようなメジャーな監督になることを、私たちは早い時期から確信していました。ヴェネチアで受賞した『悪は存在しない』を一刻も早く観たいです。彼の作品のスタイルを私の言葉で表現するなら“深く、そして一方で微妙な色合い”でしょうか。現在の日本を描きつつ、普遍的な物語に昇華している点も素晴らしいと思います。

 私が個人的に気に入っているのは、彼の作品に演劇的要素が感じられるところ。とくにチェーホフの香りがします。私も舞台で『桜の園』を演じており、濱口作品に接するとチェーホフの『桜の園』や『プラトーノフ』との相似を感じずにはいられません」

またも、とめどなく濱口監督への愛が溢れるユペールであった。いつの日か、この両者が組んだ映画を観てみたい……。映画ファンなら誰もがそう期待していることだろう。

2021年の東京国際映画祭でのユペールと濱口監督(撮影/筆者)
2021年の東京国際映画祭でのユペールと濱口監督(撮影/筆者)

ユペールが演じたモーリーン・カーニー本人(右)と監督のジャン=ポール・サロメ
ユペールが演じたモーリーン・カーニー本人(右)と監督のジャン=ポール・サロメ写真:REX/アフロ

『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』

10月20日(金) 、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下 ほか全国順次公開

配給:オンリー・ハーツ

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

斉藤博昭の最近の記事