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「ブラック・スワン」にも異を唱え、すべて本人が踊るダンス映画を目指して。名監督&映画初ダンサーに聞く

斉藤博昭映画ジャーナリスト

ダンサーを主人公にした映画は、これまで何本も作られてきた。ただ、ダンス映画として一般的に語り継がれる作品、たとえば『フラッシュダンス』や『ブラック・スワン』などを振り返ると、あるパターンに気づく。それは主人公のダンスシーンがプロのそれに“差し替え”られていること。『フラッシュダンス』の有名なオーディションをはじめいくつかのシーンは、主演ジェニファー・ビールスではないダンサーが、うまく顔が見えないように踊り、顔のアップになるとビールスに切り替わった。『ブラック・スワン』は映像だけではわかりづらいが、ナタリー・ポートマンが踊るシーンのかなりの部分を、トップバレエ団のソリストが「ボディダブル」として任された。

これは映画製作として、ひとつの選択。主演俳優で売りたい作品で、プロ並みのダンステクニックが必要とされれば、「代役」も避けられない。アクション映画のスタントマンのようなものである。

しかし、フランスの人気監督、セドリック・クラピッシュはこう語る。

「『ブラック・スワン』は私にとってダンス映画の悪い例。ですから今回、過去の作品からほとんど影響を受けないようにして、ダンスをテーマにしたフィクションの映画を撮ったのです」

『スパニッシュ・アパートメント』などの青春3部作で知られるクラピッシュ監督の新作『ダンサー イン Paris』は、パリ・オペラ座でエトワール(トップダンサー)を目指すエリーズが、本番中にケガをしたことで一時、バレエを中断。ダンサーとしての新たな人生を見つける物語。

当然のごとく、オペラ座の舞台の中心で主人公が踊るシーンが用意されるわけで、そこでは最上級のテクニックが求められる。この物語を映像にするために、クラピッシュはエリーズ役に「俳優」ではなく、プロのダンサーをキャスティングした。実際にオペラ座で踊っているマリオン・バルボーだ。

パリ・オペラ座の屋上など貴重な舞台裏もたっぷり収められている
パリ・オペラ座の屋上など貴重な舞台裏もたっぷり収められている

俳優として映画に出演するのは初めてのバルボー。そのプレッシャーや仕上がりについて聞くと、クラピッシュ監督の手腕とともに彼女は次のように振り返った。

「セドリック・クラピッシュ監督は俳優に高いレベルを要求しつつ、相手の意見に耳を傾ける寛容さにも溢れ、現場は笑いに包まれていました。彼の映画は、主人公たちが観る側にストーリーを語りかけてくれます。今回も同じで、私は自分が出演していることを忘れて見入ってしまったのです。私のダンサー仲間も本作を観て、自分たちのリアルな日常が描かれていたことで満足していました」

そのダンサーの日常という点を、本作は何気ないシーンや描写で、美しく、軽やかに、そして鮮やかに伝えてくれる。たとえばエリーズたちが海沿いの岩壁の上を散歩しながら、ふとしたきっかけで踊り始めるシーン。一般の人とは違って、このように日常にダンスが溶け込んでいるのが彼ら、なのである。こうした描写に、ダンサーたちが出演した「意味」を見出すことができる。

「あの岩壁のシーンでは、ドキュメンタリーっぽい演出を試みました」とクラピッシュ監督。「俳優の動きもアドリブを主体にしたのです。撮影日の朝、強い風が吹いていたので、ダンサーたちがその風を使って自由なダンスを披露するという流れになりました」。

バルボーも「自然発生的にダンスが生まれていく喜びを感じました。それぞれのダンサーのエネルギーが一体化し、作品が出来上がっていくようでした」と、撮影の流れを懐かしむ。

人気振付家ホフェッシュ・シェクターによって、コンテンポラリー・ダンスでエリーズは踊る喜びを取り戻す
人気振付家ホフェッシュ・シェクターによって、コンテンポラリー・ダンスでエリーズは踊る喜びを取り戻す

ダンス映画として、もちろんステージのパフォーマンスを収めたシーンも極上である。冒頭、クラシック・バレエの「ラ・バヤデール」公演が描かれるが、15分もの間、セリフはゼロ。ステージ周りの映像も織り込みながら、最高レベルのバレエの世界を堪能させてくれる。

マリオン・バルボーは、このシーンについて意外な事実を話す。

「あの『ラ・バヤデール』は、セリフのあるシーンをすべて撮り終え、数週間を空けてから撮影したものです。基本的に舞台でも映画用でも振付へのアプローチは変わりませんが、映画での演技を経験したせいか、過去の自分を開放した気分で踊ることができ、ダンサーとして新しい扉が開いた気がします」

セドリック・クラピッシュ監督は「14歳か15歳の頃、パリの市立劇場の観客パスポートを持っていて、コンテンポラリー・ダンスを観まくっていた」というほどのダンスファンで、これまでもダンサーのドキュメンタリーを監督し、オペラ座のステージを撮影したりしている。彼は「ダンスを撮るプロ」だ。

そんな彼が『ダンサー イン Paris』で意識したのは、ダンス芸術全体へのリスペクトである。

「クラシック・バレエで始まり、主人公がヒップホップに触発され、やがてコンテンポラリー・ダンスでひとつの完結を見せる。その3つのダンスを、撮影方法を変えながら映像に残しました。どのジャンルが優れているとかではなく、伝統を生かしながら、前衛的、革新的なものを取り入れることで、芸術は豊かになるわけです。その思いを忘れず、ダンスそのものを映像として提示したうえで、踊る喜びを観客に伝えたかった。それが本作の目的でしょう」

コンテンポラリーのパートでは、気鋭の振付家、ホフェッシュ・シェクター(本人役で出演)の作品もフィーチャーされる。この映画で彼の作品を初めて目にした人は、これまでのダンスの常識を超えた動きの数々に、たちまち魅了されることだろう。そしてジャンルを超えたダンスへのリスペクトに満ちたクライマックスでは、えも言われぬ感動に襲われるはずだ。

2023年、シャネルのパリ・コレクションに出席した際のマリオン・バルボー
2023年、シャネルのパリ・コレクションに出席した際のマリオン・バルボー写真:REX/アフロ

セドリック・クラピッシュ監督
セドリック・クラピッシュ監督写真:REX/アフロ

『ダンサー イン Paris』

9月15日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネ・リーブル池袋ほか全国順次公開

(c) 2022 / CE QUI ME MEUT MOTION PICTURE - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA Photo : EMMANUELLE JACOBSON-ROQUES

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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