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戦争犯罪人アイヒマンの最期、頭蓋骨にもこだわった監督。キーウでも撮影し「歴史は最悪の形で繰り返す」

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ジェイク・パルトロウ監督。姉はグウィネス・パルトロウ

アドルフ・アイヒマン。ナチスドイツのこの中佐の名前を知っている人も多いことだろう。

第二次世界大戦下のドイツで、ユダヤ人を強制収容所に送り込み、抹殺するという計画を立案したアイヒマンは、敗戦の混乱で戦争捕虜収容所を脱走。1960年、アルゼンチンで拘束された。

イスラエルへ連行された彼が死刑判決を受け、火葬されるまでを描いた映画が『6月0日 アイヒマンが処刑された日』である。

監督を務めたのは、ジェイク・パルトロウ。長編映画はこれが4作目だが、名前から察せられるとおり、あのグウィネス・パルトロウの弟だ。2002年に亡くなった父のブルース・パルトロウも映画監督でプロデューサー。そしてユダヤ系である。この映画は、自身の“ルーツ”に向き合う思いも込めたのか。そのあたりから尋ねてみた。

「父親がこの物語に導いてくれたのは事実です。僕と父は非常に仲が良く、脚本家、TVプロデューサーとしての彼のキャリアを僕も追いかけています。父は第二世界大戦のマニアで、彼の膨大な知識を通して、僕もこのアイヒマンの実話を見つけたと言えます。ただし、それはあくまでもきっかけ。自分のルーツとかは関係なく、このアイデアに個人的に衝撃を受け、そうですね、一瞬で恋に落ちるような感覚で映画を作ろうと決めました」

イスラエルでは法律により火葬はできないーー。死刑後のアイヒマンの遺体を火葬するために、どんな準備がなされていくかが、本作のひとつのポイント。その顛末を、できるだけリアリティにこだわって演出したことを、パルトロウ監督は打ち明ける。

映画の撮影のために特別に作られた焼却炉
映画の撮影のために特別に作られた焼却炉

「この作品が成功するかどうか、その要因のひとつが焼却炉でした。本物ガスと炎を使って実際に燃やすことができ、もちろん遺体を入れられる大きさで、複数回の焼却が可能なものを映画用に作ってもらったのです。撮影を行ったイスラエルでは調達不可能なので、美術チームには最大のチャレンジになりました。材質は本物のレンガや鉄で、ごまかすためのプラスチックは一切使っていません。実用的な焼却炉作りは、俳優とのリハーサルと同じくらい重要なプロセスでした。本作の撮影期間は21日と短かったので、クランクイン前に準備万端にしておく必要があったのです。

 さらに焼却後の頭蓋骨もこだわって作りました。以前、別の作品で一緒になった南アフリカの特殊効果チームの仕事があまりに優秀だったので、彼らに頭蓋骨の制作を依頼しました。こうした遺体の焼却では、頭蓋骨が比較的、きれいに残ります。その焼け具合に関して、南アフリカとは何度も画像のやりとりをして、完璧な頭蓋骨モデルを撮影地のイスラエルに送ってもらうことができました」

細部に手を抜かないパルトロウ監督のポリシーが伝わってくる。このパートは、鉄工所で働くことになった少年ダヴィドの目線で描かれる。当時の事実をリサーチしていたパルトロウ監督は、焼却炉を作った工場に少年が働いていたという証言を見つけ、そこから生まれたキャラクターだが、このダヴィド、鉄工所の社長室から金の時計を盗むなど、けっこう悪ガキである。映画にいい意味での「軽やかさ」を与える存在だ。当時11歳の演技初体験という子役が名演する。

「僕の大好きな映画である、アッバス・キアロスタミ監督の『トラベラー』にインスパイアされました。サッカーの試合を観たい少年が、友人や隣人を騙し、あの手この手を使ってチケットを手に入れようとする物語です。本作のダヴィドはリビアからの移民で、新たな文化に親しむために、ちょっとした悪さをします。その場その場での問題解決に長けているキャラクターというわけです。モデルの少年がこうした悪さを犯した事実はありませんが、大人たちの集団で子供が居場所を見つけるうえで、最適な創作をほどこそうとしました」

また、あるパートではナチスの蛮行を伝えるうえでポーランドのゲットー(ユダヤ人の強制居住区域)跡が出てくるが、このシーンはウクライナのキーウで撮影された。当時のゲットー跡に近い風景があったからだ。もちろんロシアの軍事侵攻が始まる前のこと。撮影に協力した現地のスタッフについて、そしてウクライナの現状にパルトロウ監督は思いを馳せる。

「この映画における僕とキーウの人たちとの関係は限定的なものです。しかし現地の人たちが悲劇的な日常を送っていることに心が痛みます。連絡を取り合っている人が、今はキーウにいないと知って、その点は安堵したりもしますね。ただ、この戦争に対して本作の監督である僕が何かコメントを出す立場にはありません。決まり文句のようですが『歴史は最悪の形で繰り返される』という事実を実感するのみです。本当に最善の解決策が見つかってほしい。どうなるのか想像がつきませんが……」

この『6月0日 アイヒマンが処刑された日』には現在へと繋がるシーンもあり、歴史が続いていることを訴えるが、キーウでの撮影が、不覚にも別次元で現在進行形の戦争について考えさせる。

そこに映画の不思議な力を感じることだろう。

最後に、映画ファンとして聞いておきたい質問を……。ジェイク・パルトロウは本作の前に共同監督として『デ・パルマ』を作っている。あのブライアン・デ・パルマのドキュメンタリーだ(日本では限定的な劇場公開だった)。ハリウッドの歴史も作ったこの巨匠について、改めてどんな思いを抱いているのか。

「あの映画は(共同監督の)ノア・バームバックが主導して作られましたが、ブライアン(・デ・パルマ)とは話を聞くために食事をして、僕の家のリビングルームで撮影を行ったりしました。僕が最初に観たブライアンの映画は『アンタッチャブル』で、映画館を出た時に言いようのない感動に襲われました。それ以来、過去の作品を観るようになったのです。ブライアンの映画は、物語を語るのは文章ではなく映像だと教えてくれます。ロベール・ブレッソンと同じく、カメラがペンの代わりになるのです。今回の『6月0日〜』にブライアン作品へのオマージュは挙げられませんが、『映画としてユニークな方法を考える』という姿勢を僕はブライアンから受け継いでいると信じています。映画のために準備をしたり、脚本を書いたりするとき、『どうやったら映画的になるか。ブライアンだったらどんなアイデアを思いつくか』というのは、たしかに頭をよぎるでしょう。僕だけでなく、もっと若いクリエイターにとってブライアンは最も重要な映画作家、その指針なのです」

われわれ映画ファンは、『6月0日 アイヒマンが処刑された日』のどんな部分にブライアン・デ・パルマのエッセンスを感じ取ることができるのか。そうした見方も、映画のひとつの、そして大きな楽しみなのである。

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』

9月8日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

(c) THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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