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エスカレートする差別意識と残忍行為に動揺止まらず…。アジア/ラテン系の新進監督が導く恐るべき映画体験

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ベス・デ・アラウージョ監督(写真:REX/アフロ)

強烈な勢いで心をつかまれ、トラウマになりそうなほどの衝撃へと導かれる──。

アメリカ映画『ソフト/クワイエット』(5/19公開)は、予期せぬ方向でそのような体験となる可能性が高い。つまり、観て確かめてほしい作品ということだ。

郊外の町で、有色人種や移民に嫌悪感を抱く白人の女性たちがグループを結成。ある日、6人が集まった会合から、彼女たちの言動はエスカレートし、とんでもない事態へとなだれ込む。夕刻から夜の約90分間の物語なのだが、本作はワンショット──つまり、カメラを1回も止めずに収めていく。目を疑うショッキングな描写もあり、信じがたい映画体験が導かれるのだ。

脚本・監督を務めたのは、本作が初の長編となるベス・デ・アラウージョ。母親は中国系で、父親はブラジル人の彼女は、アメリカ社会で自身が置かれた立場も根源に本作を完成させ、予想以上の反響を起こした。

なぜ『ソフト/クワイエット』が、そこまで評価されるのか。それはアメリカ社会の抱える問題をテーマにしつつ、エンタテインメントとして観る者を夢中にさせるからだ。

ワンショットがもたらす異様な臨場感と緊張感

このバランス感、周到な計画のように思えるが、アラウージョ監督は勢いで作ったことを次のように説明する。

「じつは初の長編作として6年間、温めていた企画があったのですが、キャスティングもできず、製作費調達もうまくいっていませんでした。そこで青天の霹靂のように思いついたのが『ソフト/クワイエット』の設定でした。リスクの高い題材ながら、私は開き直った気持ちで6週間で脚本のドラフトを仕上げ、ちょうどワシントンD.C.での議事堂襲撃事件の週に製作費の確保ができたのです。そうなったらスピード感が大切。このような作品に長い時間をかけることは、精神的にハードですから、3ヶ月も経たないうちに撮影に着手しました」

グループのミーティングでは「白人至上主義」の意見が仲間に認められ、どんどん正論になっていく恐ろしさに圧倒される。
グループのミーティングでは「白人至上主義」の意見が仲間に認められ、どんどん正論になっていく恐ろしさに圧倒される。

アラウージョ監督が「脚本を書き始めた段階で、最初の行に『これはワンショットで撮る』と記しました」と話すように、学校から教会、小さなスーパーマーケット、ある一軒家……と移り変わる物語で、カメラを一度も止めずに撮影が行われることになる。しかも与えられた撮影期間は、ごくわずかだった。

「リハーサルに4日間、実際の撮影に4日間。それだけしか確保できなかったので、ロケ地へ向かう前に綿密な打ち合わせを行いました。俳優たちには、すべてのシーンやセリフの意図を伝えたのです。リハーサルの4日間は、毎日12時間かけて、カメラの動きも計算しながらの過酷な作業でした。そして本番の日は、夕方からの90分にすべてのエネルギーを使ってもらうために、撮影時間までみんなで休息しました。

 1日目は、さすがにうまくいかず、2日目は、さらにひどくなりました。3日目に何とか目標が達成され、4日目が満足のいく出来となり、完成した作品は大部分が4日目の映像です。ただ私としては、一軒家のシーンに関して、3日目が強烈なインパクトで恐ろしさを感じたため、そこはうまく入れ替えました。つなぎ目に気づかれないといいのですが……。とにかく俳優も含めて現場にいる全員が、すべて正確なタイミングで仕事をこなす必要があり、本当に神経が擦り減らされる撮影になりました」

白人女性たちの“暴走”が本作のキーポイントで、そこは観ていて腹立たしくなる一方で、集団心理でこうなってしまう恐ろしさも痛感する。この複雑な状況を当事者の白人俳優に演じてもらううえで、デリケートな演出も求められたのではないだろうか。

「リハーサルの段階で、俳優たちが感情的な部分で入り込めるかどうか、丁寧に確認しました。分かち合いたいことがあれば、素直に吐露してもらおうとしたところ、中には感情が高ぶって泣き出す俳優もいました。それに釣られて私も涙を流したほどです。監督の私に求められたのは、彼女たちに安心して演技をしてもらうこと。結果的に俳優のアイデアも取り入れるようになり、たとえばあるキャラクターに対して『昼から酒を飲み、アルコール依存症かもしれない』という設定を考えてくれた人がいました。そうなると撮影中に衣装を汚してしまうリスクも背負ってしまいます。製作費の都合で予備の衣装を揃えられなかったのですが、私はあえて彼女に好きなようにやらせることを選択しました」

観た人を“不快”にすることも厭わないチャレンジ精神

こうして完成した本作に惚れ込んだのが、ハリウッドの名プロデューサー、ジェイソン・ブラムだった。ブラムの会社(ブラムハウス・プロダクション)は、アカデミー賞にも絡んだ『セッション』や『ゲット・アウト』といったセンセーショナルな作品を送り出し、ホラーやサスペンスの野心作も多く手がけている。本作の試写の直後、ブラムが誰かにメールを送っている様子を見て、ドキドキしたというアラウージョ監督。「作品そのものの仕上がりはもちろん、ビジネスとして儲かるかどうかを彼は判断したはず」と分析する。

アジア系の住人への差別意識は、映画の後半、目を覆うような事件へ発展する。
アジア系の住人への差別意識は、映画の後半、目を覆うような事件へ発展する。

ブラムの思惑どおり、『ソフト/クワイエット』は、居たたまれない感情に襲われる観客を増やしている。アラウージョ監督は、その反応をどう受け止めているのか。本作のように人種差別がエスカレートする行動は、アメリカ国内では“日常”の恐怖と捉えられているのかも気になる。

「この映画は、観た人を不快な気分にするように作られています。反応は二極化し、その両方向ともに極端だったりします。この反応を、私は予想していたわけではありません。そもそも私は、どう受け取られるかを気にするより、自分の創作に集中しただけですから。

 たしかにスコットランドで上映した際も『こんなことが本当に起こるのか?』と質問されました。でも私たちアメリカ人は、あの議事堂襲撃の一部始終を鮮明に覚えていて、まさに本作で描いた事件にも通じると感じるのです。ナチスのマークまで使って白人のパワーを誇示する人が、あんなに大勢、現実にいたのですから。まさに今この時代、本作のようにカルチャーで対話を呼びかけることが必要だと実感できます。芸術というものは真実を伝える使命もあり、私が本作で提示したことでその使命の半分が達成され、残りの半分は観た人が自分の頭で整理し、考えることで補われる。そう信じたいです」

前述したとおり、ベス・デ・アラウージョ監督はアジアと南アメリカにルーツを持つ。『ソフト/クワイエット』でもその視点が大いに生かされているのだが、今年(2023年)のアカデミー賞で『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が主要賞を受賞したように、ハリウッドにおけるアジア系の活躍がここ数年、顕著になっているようでもある。実際にそういった“うねり”を肌で感じているのだろうか。

「たしかに私の子供時代よりは、確実にアジア系の作品は増えています。ただ調査によると、年間興行収入上位200本のクリエイターの多様性はちょっと後退していたりもします。もちろんアジア系は以前、1%くらいだったわけで、それが10%に上昇すれば改善でしょう。インディペンデント映画では過去10年間、多様性に向けた改善がみられますが、メジャースタジオの作品ではどうでしょうか。私の意見では、まだ十分という感覚ではありません」

サッカー選手への夢が映画監督にシフト

長編デビューの『ソフト/クワイエット』が高く評価されたベス・デ・アラウージョ監督が、ハリウッドにおけるアジア/ラテン系の旗手になるのか。それは2作目で試されることかもしれない。

では、なぜ映画を撮るのか。その質問に彼女はこう答える。

「私は映画の世界に入る前は、かなり本格的にサッカーをやっていました。大学でもサッカーをしながら、詩の授業から大きなインスピレーションを受け、そこから文章を書くことにめざめ、脚本につながっていったのです。雨でサッカーの練習が休みになると、その時間は映画を観るようになりました。もともとの映画オタクというわけではありませんが、映画を観始めた頃の不思議な感覚は今も忘れられません。それは……一見、メチャクチャなことが起こっているのに、なぜか人生における“現実”を理解させてくれたこと。その感覚で映画を撮り続けているのだと思います」

オリンピックの陸上5000mにブラジル代表で出場した父を持つ、元アスリートとしての資質はワンショット演出の機動力、瞬発力に、もしかしたら生かされたかもしれない。そしてカオス状態を描き、その先に現実を示すこと――。ベス・デ・アラウージョ監督のそんな意思は、『ソフト/クワイエット』に強靭なレベルで漲っている。

『ソフト/クワイエット』

5月19日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開

(c) 2022 BLUMHOUSE PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved.

監督を囲む『ソフト/クワイエット』のキャストたち
監督を囲む『ソフト/クワイエット』のキャストたち写真:REX/アフロ

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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