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WBCで親近感わくチェコからの映画は…何と無差別殺人死刑囚女性の実話。監督も「前代未聞の事件」

斉藤博昭映画ジャーナリスト
チェコ“最後の女性死刑囚”オルガ・ヘプナロヴァー

今年、日本の人たちが親近感をアップさせた国といえば、チェコ。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でチェコに興味を持った人には、ぜひ同国のカルチャーにも触れてほしい。ただ映画に関しては、チェコの作品が日本に紹介されるのは稀なケース。しかしチェコの首都プラハ郊外にはヨーロッパ最大級のスタジオがあったりと、特に東ヨーロッパの中では映画産業が盛んな国として有名だ。このゴールデンウィーク、そんなチェコ映画がタイミングよく日本で劇場公開されるが、これがなかなか強烈な作品なのである。

今から半世紀前の1973年、プラハの中心地で路面電車を待つ人々の列にトラックが突っ込むという事件が発生。8人が死亡し、12人が負傷した。トラックを運転していたのは、22歳のオルガ。悪びれる様子もなく逮捕され、結果的に絞首刑に処される。暴走行為と無差別殺人は「社会への復讐」という動機によって、彼女の意思で行われた。

この衝撃の事件を映画化したのが『私、オルガ・ヘプナロヴァー』(4/29公開)。

父は銀行員で、母は歯科医。一見、恵まれた環境で育ったオルガだが、父からは暴力を受け、母の教育は厳しく、自殺未遂を起こして精神科の女子病棟に収容される。退院後、一人暮らしを始め、トラック運転手の技能を身につけた彼女には恋人もできるが、自らに「性的障がい者」との烙印を押し、またもや精神的に追い詰められていくのだった……。このオルガの過酷な運命を、モノクロのスタイリッシュな映像美で綴り、映画を観るわれわれを切ない感覚で包むのも本作の特色だ。

監督を務めたのは、トマーシュ・ヴァインレプとペトル・カズタ。今年のアカデミー賞で作品賞に輝いた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のダニエルズ監督と同様、友人同士のコンビである。

チェコ(事件当時はチェコスロバキア)の歴史で、このオルガの無差別殺人はどのように語り継がれているのか

「当時のチェコスロバキアは社会主義国家でしたから、プロパガンダとして事件は伏せられました。新聞に短い記事が載ったくらいです。しかしこの事件は反社会的という点で前代未聞であり、反抗自体が残忍なうえに、犯人が22歳の女性だったので、人々の口から口へ伝えられ、すぐに広く知れ渡ったようです。いわば公然の秘密となり、『あのトラックの女の子の事件』として、社会に大きな衝撃を与えました」(ペトル)

「オルガの事件以前の1969年、ヤン・パラフという当時20歳の青年が、プラハのヴァーツラフ広場で自分の体にガソリンをかけて焼身自殺する事件がありました。その理由は、前年の『プラハの春』と呼ばれる、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍によるプラハ攻撃への抗議です。国の自由を訴えて死んでいった彼に対し、オルガの場合は、社会や周囲の人々への嫌悪が動機ということで驚きも大きかったのではないでしょうか。

 プラハの春の後、これまで公に活動していた文化人や歌手の仕事が制限され、自由な社会活動ができなくなる不安が漂っていました。人間関係も悪化し、その結果、オルガの事件が起こったと考える人もいます」(トマーシュ)

映画で事実として描いているように、オルガはレズビアン。当時、および現在のチェコでセクシュアリティへの向き合い方は変わってきているのか

「オルガの事件当時のチェコでは同性愛であることが罪とされ、ほとんどの場合、カミングアウトできない状態でした。ただし大きな弾圧があったわけでもなく、大都市であれば彼らのためのクラブもあったのです。聞くところによると、ゲイやレズビアンでもとりあえず異性と結婚しつつ、別居生活を送り、本来の同性パートナーと関係をもったり、ゲイとレズビアンが結婚し、それぞれ同性の相手と関係をもったりと、そんな状況がとても多かったようです。

 そして1989年のビロード革命を機に、カミングアウトがちょっとした流行になりました。どんどん名乗り出て、90年代はLGBTQにとって自由な時代となったのです。近年は宗教団体や一部の政治家から『ここまで許していいのか』と意見も出て多少の混乱もありますが、基本的に今のチェコで、カミングアウトすることで大きな危機を迎えることは少ないはずです」(トマーシュ)

時代が時代だけにオルガが自分を性的障がい者と感じる心情は切実だ

「オルガにとってレズビアンであることは、多くの側面のひとつ。もともと孤独な人生を送っており、家族との関係が大きな問題になっていたのです。映画を撮った私たちは、LGBTQの要素と事件の関係をまったく意識していません。事件を知るチェコの国民にも、セクシュアリティと結びつける人はいないでしょう」(トマーシュ)

事件のシーンはあまりに衝撃的な演出がなされているが、モノクロということでその衝撃は多少抑えられている

「私たちにとってオルガの物語は、最初からモノクロのように感じられていました。ですから映画にする際にカラーという選択はありませんでした。ただ現実問題として、カラーよりもモノクロの方が製作費がかかるんです。正直言うとプロデューサー側からは反対されました。しかし私たちも断固としてモノクロにこだわり、そのまま意思を貫きました。やはりこの物語、カラーでは伝わりきらないと思うのです」(ペトル)

「撮影監督のアダム・スィコラは、とにかくライティング、照明のうまい人でした。モノクロ画面の濃淡という点で、私たちの要求を100%満たしてくれたのです。監督が2人なので、要求も2倍になり、アダムは大変だったと思います。私たちのことを嫌いになっていなければいいのですが(笑)。アダムは、ポーランドの偉大な監督、イエジー・スコリモフスキの『エッセンシャル・キリング』でも撮影を務めています。スコリモフスキといえば、ロベール・ブレッソン監督との共通要素がある人で、そのブレッソンを敬愛する私たちにとって、こうして撮影監督で繋がりをもったことは光栄です。スコリモフスキ監督は、このオルガの映画のポーランドプレミアに駆けつけてくれました」(トマーシュ)

オルガ役を演じたミハリナ・オルシャニスカは、あのナタリー・ポートマンを思わせる雰囲気だ

「オルガ役を任せた時、ミハリナはまったくの無名でした。私たちも、あまり知られていない女優を使いたかったのです。その後、彼女はさまざまな映画で活躍していますが、チェコのトップスターというわけではありません」(ペトル)

主演のミハリナを演出するトマーシュ・ヴァインレプ
主演のミハリナを演出するトマーシュ・ヴァインレプ

『エブリシング〜』でオスカー監督になったダニエルズは「分業制」の部分も多いと語っていたが、コンビ監督としての役割分担は?

「脚本を書くのも共同ですし、気がついたら多くの作業を一緒に行っています。撮影現場でも2人で1人という感覚。準備段階ですべて話し合っておくので、現場では意思統一されているわけです。私たちは映画専門高等学校の同級生で、その後、プラハアカデミーの映画学部に一緒に入学しました。ただし別の学科で、そこまで深い交流はありませんでした。それでも結局、合流して一緒に映画を作り始めたのです」(トマーシュ)

「脚本の最初のページから、おたがい向き合って書いている感じです。作りたい方向性や、好きなジャンルが一致していることが大きいですね」(ペトル)

チェコの映画産業はどんな現状なのか。チェコといえば世界的に愛されるアニメーション映画の歴史もある

「もちろん他国と同じようにハリウッドのブロックバスターは人気がありますが、チェコの人たちは国産映画も大好きです。軽いコメディはもちろん、私たちのこの映画もかなりの動員数に達しました」(ペトル)

「チェコの人口は約1000万ですから、10〜20万人の動員でヒットになります。映画人口は多いと感じますね。アニメに関しては、ミハエラ・パヴラートヴァーという女性監督の活躍がめざましいです。彼女の『私の太陽マード』は、国際アニメーション映画祭の最高峰、アヌシーで審査員賞を受賞しました(2021年)。まだ日本で公開が決まっていないのは、ちょっとした驚きです。早く日本の皆さんに観てもらいたいです」(トマーシュ)

監督の2人、ペトル・カズタ(左)とトマーシュ・ヴァインレプ
監督の2人、ペトル・カズタ(左)とトマーシュ・ヴァインレプ

『私、オルガ・ヘプナロヴァー』

4月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

『私の太陽マード』の予告編(英語字幕)

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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