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今年のアカデミー賞、もはや作品賞確定でつまらない? ただ、世にも稀にみる怪作の受賞は歴史的か

斉藤博昭映画ジャーナリスト

昨年の12月、Zoomで取材した監督コンビに「アカデミー賞でのスピーチを楽しみにしています」と語りかけたところ、彼らは「ありがとう」と喜びながらも、その口調はちょっぴり社交辞令的。「そんな、まさか受賞できるわけないでしょ!」と言いたげな、半信半疑の笑みを浮かべていた。

しかし、どうやら受賞は現実になりそうである。

3/12(日本時間3/13)に開催される、第95回アカデミー賞授賞式。毎年、予想を楽しみにしてる人も多いが、今年はその面では、ちょっとつまらないかもしれない。最後に発表される作品賞が、ほぼ確定的だからだ。

昨年の『コーダ あいのうた』や、3年前の『パラサイト 半地下の家族』のような、サプライズも伴った感動のシーン、あるいは封筒の間違いで『ラ・ラ・ランド』ではなく『ムーンライト』に渡ったアクシデントのようなことは、起きそうもない。

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、エブエブ)が、ここへきて重要な前哨戦をすべて制し、ライバル作品を完全に抑え込んでいるからだ。『エブエブ』は監督コンビ、ダニエルズの監督賞や、彼らの脚本賞、その他、主演女優賞や助演男優賞も最有力の位置につけ、直前のSAG(全米映画俳優組合賞)の結果から、ひょっとしたら助演女優賞も……と、2022年を代表する一本になりそうだ。

2022年の早い時期に公開され、予想外のヒットをとばし、賞レースにも加わっていた『エブエブ』だが、多くの人は「まさか作品賞は取らないでしょ」という受け止め方だった。アカデミー賞の歴史を振り返って、歴代の作品賞と比べると『エブエブ』は最も“似つかわしくない”作品というイメージだから。予想の専門家たちも半信半疑のコメントを出していた。

作品としてめちゃくちゃ高い評価、というわけでもない。1回観ただけでは混乱に陥る人も多数。カオスな世界に連れて行かれる映画でもある。でも、だからこそ、その新しい感覚に魅了されるわけだが。

コインランドリーを経営するエヴリンが、国税庁から呼び出されたのをきっかけに、いま生きている世界と別のバース(宇宙)へジャンプし、カンフーの技を身につけたりして、世界を変えていく……という、言葉で説明しただけでは何が何やらわからないストーリー。

では『マトリックス』のような革新的SFアクションかといえば、これは監督のダニエルズの嗜好(作家性?)なのだが、いい意味での中学生レベルのくだらないギャグが、あちこちに挿入されたりしている。およそ、アカデミー賞作品賞“らしくない”味わい。

ただ、このマルチバースという設定。今やマーベル映画などで、ひとつのムーヴメントになっている。その意味で「2022年の作品」を象徴しているのは事実。そしてこのマルチバース、「もし自分が別の人生を送っていたら」という感動の引き金となる側面もあり、『エブエブ』はアクションコメディとして笑わせながら、不覚にもそこを突いてきたりするから、一筋縄ではいかない。何も考えず、作品の勢いに飲み込まれる楽しみ方も可能。

さらにエヴリンの家族は中国系で、セクシュアリティの多様性を謳うテーマも含まれて、まさに「今の映画」らしい。『パラサイト』に続いて、アジア系の勢いを証明する。ダニエルズの一人、ダニエル・クワンは中国系アメリカ人だ。とはいえ、その多様性が「これ見よがし」で描かれるわけでもない。

アカデミー賞の投票は、今や世界中に広がった各会員の投票によるものだが、自分の基準以上に、賞レースの流れに影響される部分が大きい。その意味で『エブエブ』は圧倒的なのだが、作品賞は集計システムが特殊。投票者は順位をつけ、最下位が1本ずつ落とされていくので、多くの人が2位か3位に入れる“安定”の作品が最終的に浮上する可能性も秘めていたりも。その意味で、英国アカデミー賞を制した『西部戦線異状なし』や、映画館に人を呼び戻し、誰もが好きになった『トップガン マーヴェリック』、スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的な感動作『フェイブルマンズ』、ノミネート数の多い『イニシェリン島の精霊』あたりまでは、わずかに逆転の希望がある。

そういった可能性を考慮しても、今年の『エブエブ』の強さは、例年以上だと言える。アカデミー賞授賞式を前に、最高のタイミングで日本でも公開される『エブエブ』。どのように受け止められるか、ここまで気になる作品も珍しい。

『エブエブ』には、こんな変なキャラ(?)も登場する
『エブエブ』には、こんな変なキャラ(?)も登場する

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

3月3日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

配給:ギャガ

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映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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