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彼こそ「元祖イケメン」フランス人俳優。その魅力を永遠に残したい、映画配給会社社長の熱い想い

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ジェラール・フィリップ(1922-1959)

今は亡き一人の俳優、その魅力を多くの人に語り継いでもらいたいと思う。その俳優が類まれな才能であれば、なおさらだーー。

ジェラール・フィリップ

生きていれば今年(2022年)、100歳を迎える。1959年、36歳という若さでこの世を去ったフランスの俳優は、その後、映画ファンの心に“伝説”として生き続けている。短い生涯だったからこそ、最高に輝いた姿のまま脳裏にやきつけられた。

映画配給会社セテラ・インターナショナルの山中陽子社長も、この稀代の名優に心が囚われた一人だ。

山中さんは、ジェラールについてこう断言する。

「映画史上、最も美しい俳優。元祖イケメンです。“イケメンとはこうであった”という見本。世界を見渡しても、彼を超える人は出ていないのではないでしょうか」

セテラはこの冬、ジェラール・フィリップ生誕100年映画祭として彼の代表作11本と、日本初公開となるドキュメンタリー『ジェラール・フィリップ 最後の冬』を観客に届ける。そして、これが初めての映画祭ではない。セテラでは1996年の第1回を皮切りに、過去に4回ものジェラール・フィリップの映画祭や特集上映を行ってきた。すべては「史上、最も美しい俳優」に惚れ込んだ山中さんの愛と情熱の賜物である。

「ジェラール・フィリップ映画祭をやりたいと思って、独立して会社を作りました」というのが、現在のセテラ・インターナショナルである。一人の俳優の魅力を世の中に伝えたいという情熱で会社をスタートさせ、そこから30年以上もヨーロッパを中心に名作を日本で配給してきた。

人生を大きく変える決断、そこまでの情熱はどのように生まれるのか……。「私が生まれる前に、すでに亡くなっていた」というジェラールに、山中さんが遭遇したのは何気ない一瞬だったようだ。

「映画を輸入する会社に入社し、映画雑誌を読んでいた時に、付録か何かの特集でジェラール・フィリップの写真を見つけました。『誰だろう、この人は?』と深く魅了され、出演作をビデオなどで片っ端から観まくったのですが、そうしているうちに、本来はスクリーンでしか観られなかった時代のスターなので、自分でもその姿を映画館で観たいと思ったのです。会社員のままでは映画祭など絶対にできないので独立を決意しました」

しかし、そう簡単に映画祭などが実現できるわけはない。セテラが設立されたのは1989年。ジェラールの映画祭、第1回が1996年なので、悲願達成まで7年もかかったことになる。「会社としての土台を作らなくてはいけませんし、何より、上映の権利を取るのがひじょうに大変な作品もありました。それで7年くらいが経ってしまった」という。

ジェラール・フィリップ映画祭、第1回のポスタービジュアルにもなった『肉体の悪魔』の写真
ジェラール・フィリップ映画祭、第1回のポスタービジュアルにもなった『肉体の悪魔』の写真

ようやく夢が叶うことになるが、1996年の時点ですでに没後37年。ジェラール・フィリップの映画がどの程度、観客に受け入れられるのか。不安とともに迎えた初日。山中さんは驚きの光景を目にすることになる。

「初日に雪が降り、ジェラールを知る世代のファンは来られないだろうと思って劇場へ行ったらところ、まわりにバーッと長い列ができていて……。身をもって彼の人気を確信しました。満席も続き、全国で上映が始まると、驚くことに観た人からたくさんの手紙が届き始めたのです。『この歳になって、こんなにうれしいことがあるとは思えなかった』という、おもに60代以降の女性からの熱いお手紙がダンボール2箱分くらいになって。この反響によって第2回が実現し、続けるうちに30代、40代のファンも少しずつ増えていきました」

ここまでなら、映画祭の成功、および果たした役割は予想の範囲内かもしれない。しかしジェラール・フィリップ映画祭は、山中さんも思ってもみなかった現象を起こすことになる。

「第1回の時に映画館に来たお客様たちが自発的に仲良くなって、連絡も取り合うようになりました。それでファンクラブのようなものができて今も続いています。そのファンクラブの人たちが、旅行会社の企画でジェラールにまつわるツアーに行ったりしています。お墓参りや、彼が演劇の舞台に立った場所、南仏のかつての自宅などを巡るんです。5〜6回はやっていて、もちろん私も同行しました(笑)」

「伝えたい」思いが、思わぬ実を結ぶ。ひとつの奇跡と言えるかもしれない。そして2022年の現在、ジェラール・フィリップの存在を知らない人はさらに増えているわけだが、だからこそ改めてその魅力が新鮮に伝わるのではないかと、山中さんは期待する。

「私も最初は、ただ『美しい』、とにかく『きれいだ』と魅せられましたが、この美しさは、人間的にしっかりとした芯があったから成り立っているのだとわかってきました。自分の名声を周囲のために使い、それで働き過ぎて早くに命を落としたのでしょう。36年の生涯でしたが、普通の人が80歳くらいまで生きた功績を彼は残したと思います」

その山中さんの言葉に説得力をもたせるのが、今回、初めて上映されるジェラール・フィリップのドキュメンタリーである。今年のカンヌ国際映画祭で公式上映された新作で、日本での公開版では本木雅弘がナレーションを務めている。

「ジェラールの娘婿が書いた原作を土台にしたドキュメンタリーで、日本ではできるだけ画面に集中してほしいと思ったので、ナレーションを日本語にすると決めました。本木さんは(ジェラールの)『肉体の悪魔』など何作か観てらっしゃって、かつてジェラールを『本当に美しい』と讃えたジャン・コクトーも好きなのでお願いしたところ、快諾してくれました。じっくり時間をかけ、一生懸命考えながらナレーションに取り組んでくれて感謝しています」

このドキュメンタリー『ジェラール・フィリップ 最後の冬』は、すでにジェラールの存在を知っている人にはもちろん必見だが、初めて彼に触れる人が、いかにこの俳優が「特別」だったかを教えてくれる。まさに生誕100年にふさわしい一作だ。

生誕100年ということで、山中さんの会社でジェラールの映画祭をやるのは、これで最後、ひとつの節目だという。

こうして一人の俳優の「伝説」は、しばらくの間、生き続けることになるだろう。改めてここまでやりとげたエネルギーの根源を聞くと、山中さんは次のように答えた。

「情熱、ですね……。そして何かを信じること。もちろん私も四六時中、ジェラール・フィリップのことを考えているわけでもありませんが、このような映画祭に期待している人がいたので、その期待に応えたい。その一心でした。ものすごく大変なことも多かったですが、やはり情熱と信念でやりとげるしかなかった気がします」

情熱と信念、まわりからの期待。

山中さんが語るこの3つのモチベーションは、短かったが太い人生を送った、世紀の俳優、ジェラール・フィリップも背負っていたはずである。そしてもちろん、仕事でも、私生活でも、何かにときめいて、新たな道を切り開くうえで、すべての人のモチベーションであることは言うまでもない。

ジェラール・フィリップの死亡記事など貴重な資料を保有する山中さん(撮影/筆者)
ジェラール・フィリップの死亡記事など貴重な資料を保有する山中さん(撮影/筆者)

ジェラール・フィリップ生誕100年映画祭で上映される作品は以下のとおり

肉体の悪魔』(1947)HDデジタル・リマスター版

パルムの僧院』(1948)2Kデジタル・リマスター版

美しき小さな浜辺』(1949)2Kデジタル・リマスター版

ジュリエット あるいは夢の鍵/愛人ジュリエット』(1951)4Kデジタル・リマスター版

花咲ける騎士道』(1952)4Kデジタル・リマスター版

狂熱の孤独』(1953)2Kデジタル・リマスター版

しのび逢い ムッシュ・リポアの恋愛修業』(1954)HDデジタル・リマスター版

赤と黒』(1954)2Kデジタル・リマスター版

夜の騎士道』(1955)4Kデジタル・リマスター版

モンパルナスの灯』(1958)HDデジタル・リマスター版

危険な関係』(1959)4Kデジタル・リマスター版

ジェラール・フィリップ 最後の冬』(2022)

11月25日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開

詳しい作品紹介・スケジュールなどはこちら

(c) Temps noir 2022

配給:セテラ・インターナショナル

『ジェラール・フィリップ 最後の冬』より
『ジェラール・フィリップ 最後の冬』より

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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