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阿部寛、NYスターアジア賞受賞「テルマエの人」と大歓迎。20代の迷いも経て感じる今後の人生への柔軟さ

斉藤博昭映画ジャーナリスト

ニューヨークの観客から大喝采で迎えられたーー。

7/15から開催されているニューヨーク・アジアン映画祭。アジア各国の作品をNYでお披露目するこの映画祭は、20周年を迎える記念すべき今年、映画祭のステージで大きな祝福を受けたのは、阿部寛である。

同映画祭がアジアで最も活躍する俳優に贈る「スターアジア賞」。これまでのイ・ビョンホン、カン・ドンウォン、ドニー・イェンら錚々たる受賞者に、阿部寛が日本人として初めてその名を刻んだ。

7/22(現地時間)の夜、主演作『異動辞令は音楽隊!』のワールドプレミアに合わせ、阿部寛はこのスターアジア賞を授与され、英語で感謝のスピーチを行った。その直後、興奮冷めやらない阿部にどんな思いでスピーチをしたのか尋ねると、彼は次のように語り始めた。

「この映画祭に呼んでもらえたこと。しかもこの時期に会場の皆さんに会えたこと。そしていろいろな仕事を続け、多くの人の助けによって今ここに立っている。その感謝の思いを伝えました。NYでこうして英語のスピーチをさせてもらい、本当に一瞬の短い時間でしたが、俳優人生で特別なものになりました」

ステージで“映える”その堂々たる姿

スターアジア賞のクリスタル像に触れながら「ずっしりと感じ、デザインもユニーク」と無邪気な喜びの笑みも浮かぶ。その阿部の堂々たるスピーチを聞いていたのは、今回の映画祭に同行した『異動辞令は音楽隊!』の内田英治監督。

「客席から見ていましたが、めちゃくちゃ様(さま)になっていて驚きました。阿部さんは日本の役者さんの中でも(こうした舞台で)映える人だと実感し、感慨深かったです。どうやら『テルマエ・ロマエ』で、こちらでもかなり有名になっているようで(笑)、ステージに登場するだけで会場は異様な盛り上がりでした」(内田監督)

阿部寛の受賞スピーチで熱気に包まれた会場で、『異動辞令は音楽隊!』の上映がスタートした。阿部と内田監督はこのインタビューのために別室へ移動したが、阿部は「上映が始まる瞬間、客席の興奮がものすごく高まっていたと監督から聞き、『あぁ、一緒に観たかった』と心から思った」と、時間が許せば後半だけでも会場に戻りたいと心境を吐露する。

『異動辞令は音楽隊!』の上映に合わせて、内田英治監督(右)とともにニューヨーク・アジアン映画祭に登壇した阿部寛
『異動辞令は音楽隊!』の上映に合わせて、内田英治監督(右)とともにニューヨーク・アジアン映画祭に登壇した阿部寛

阿部寛はこれまでも、『チョコレート・ファイター』(08年/タイ)や『空海-KU-KAI-』(18年/中国)、『夕霧花園』(19年/マレーシア)などアジアの作品にも出演してきた。今回のスターアジア賞の受賞で、さらにその国際志向は広がるのではないか。

「今までアメリカでの仕事の経験はないので、こうしてNYで上映されて、どんな反応があるのか。そこに意味があると思いますし、このようなチャンスをもらったのも内田監督のおかげで、ここから何かが広がっていけばいいなと少なからず期待しています」

楽器はすべて苦手。ドラムの練習の成果は?

『ミッドナイトスワン』でも主演俳優の“新境地”を開拓した内田英治監督。阿部寛も今回、『異動辞令は音楽隊!』の主人公、刑事・成瀬役を演じるにあたり、「今までの自分にはないもの」が引き出されると確信していたという。

「監督がオリジナル脚本を書いた作品に参加し、監督と一緒に挑戦していく感覚。それが僕にとっても、何より特別でした」

犯罪捜査の第一線で活躍してきた鬼刑事の成瀬が、まさかの人事異動で警察の音楽隊に配属。子供時代の和太鼓の経験だけでドラムを担当することになる。

「楽器自体に触ったことがなく、苦手意識があり、ここまで不安になったのは初めての経験でした。まず基礎の叩き方から難しくて、あらゆる道具を買って猛練習しても、最初の1ヶ月、どうにもならなかったのですが、ある瞬間、何かをつかんでそこから先が見えてきた感じです」と阿部がドラムの苦心を吐露すると、内田監督は「じつは撮影の1ヶ月前くらいに、音楽の監修の人と『やっぱり間に合わないか。叩いてる映像は吹き替えか』と相談したこともありました。しかし結果的に、吹き替えは一切ナシで、すべて阿部さんの手の動きで撮影できました。ドラム自体はもちろん、演奏する曲も難しいのを選んだので、本当に阿部さんの努力に改めて『ありがとう』と言いたいです」と本人を前に感謝を告白する。

パワハラともいえる仕事ぶりによって、警察内の音楽隊に配属されてしまう成瀬。不満と諦め、新たな発見など、キャラクターの造形に阿部寛のこれまでのキャリアが凝縮された。
パワハラともいえる仕事ぶりによって、警察内の音楽隊に配属されてしまう成瀬。不満と諦め、新たな発見など、キャラクターの造形に阿部寛のこれまでのキャリアが凝縮された。

その鮮やかなスティックさばきに、NYの観客も魅了されたはずだが、『異動辞令は音楽隊!』の主人公・成瀬は、自分にとっては不本意な異動を強いられながら、新たな場所で、思わぬ発見や喜びを見つける物語が共感を呼ぶ。今回のスターアジア賞への道のりを振り返るとき、俳優・阿部寛にもそうした経験があったのではないか。

「正直言って『人生、こうじゃなかった』、『こうなるはずだったのに、なんで?』と思った経験は何度かありました。とくに20代の頃、あるいは30代になっても時々……。ただ、そういう経験をプラスに考えて、今の僕のエネルギーにつながっていることも実感しています。成瀬の場合、かなり年齢を重ねてから人生のステージが変わるわけで、それでも人間は順応できると、今回の作品で教えられました。僕自身、今の年齢(58歳)になって、まわりの先輩を見ていても、演じる役、活躍の場所が狭まっていく可能性が頭をよぎったりします。でも、だからこそ、成瀬のように柔軟な考えで生きていくことが大切なんだと強く思います」

NYの街で人の表情に飢えていた自分に気づく

NYで今後の俳優人生にも思いを馳せる阿部寛。今回の授賞セレモニー、ワールドプレミアの前にはNYの街を歩いたという。

「日本ではコロナになってから外を歩いていてもマスクで表情が見えないことが多く、改めて人の顔を見ていなかった事実に気づかされました。NYで久しぶりにすべての人の顔や歩き方に見とれている自分に驚いた感じです。しかもみんな、キャラクターが強い。性格まではっきりわかる。僕ら、人の表情に飢えていたんですね……。もう歩いてるだけで楽しくて楽しくて仕方なかったです」

『異動辞令は音楽隊!』、そして自身の演技への海外でのダイレクトな反応、そしてNYの街での思いが、少なからず阿部寛の今後の俳優人生にも影響を与えることだろう。

英語で受賞のスピーチを行う阿部寛
英語で受賞のスピーチを行う阿部寛

『異動辞令は音楽隊!』

8月26日(金)、全国ロードショー

配給:ギャガ

(C) 2022『異動辞令は音楽隊!』製作委員会

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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