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トランスジェンダーの高校生を当事者の私が演じて、はっきりと示したかったこと

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ティエッサ・ウィンバック

4/1(金)から日本でも劇場公開される『私はヴァレンティナ』。17歳の高校生、ヴァレンティナを主人公にしたこの作品は、トランスジェンダーである彼女の家族との関係、学校での生活をリアルに、そして真摯にみつめた作品だ。

ブラジルの小さな街に引っ越してきたヴァレンティナは、本名のラウルではなく、新たな名前のヴァレンティナとして転校先の学校に通いたいと申し出る。ブラジルはLGBTQの権利保障に前向きで、同性婚も法律で認められているという“建前”なので、学校側もヴァレンティナの申し出を聞き入れるが、そのためには両親の同意が必要となり、彼女は蒸発した父の行方を探す。一方で、トランスジェンダーであることを伏せて新生活を始めたヴァレンティナは、さまざまな問題に直面し、脅迫や暴力、ネット上でのいじめにも巻き込まれてしまう……。

この作品、何が「真摯」なのかと言うと、ヴァレンティナ役を託されたティエッサ・ウィンバック自身もトランスジェンダーという点に尽きる。これまでも、たとえば米アカデミー賞で外国語映画賞(現・国際長編映画賞)を受賞したチリ映画『ナチュラルウーマン』など、当事者がトランスジェンダーの主人公を演じたケースはあった。しかし日本アカデミー賞で最優秀作品賞・主演男優賞などに輝いた『ミッドナイトスワン』など、そうではない作品も数多い。その是非については、あちこちで論議が続いているものの、『私はヴァレンティナ』では「トランスジェンダーが演じるトランスジェンダー」という前提が、これ以上なくうまく機能しているのは事実だ。これほど「思い」が伝わってくる作品も珍しい。

主演のティエッサ・ウィンバック人気YouTuberで、本作が映画デビュー。初の映画出演、そしておそらく自身とも共通点のあるヴァレンティナ役にどんな思いで挑んだのか。まずは、トランスジェンダー役を当事者が演じる意義から聞いてみた。

自分とは違う性格だが、根本が共有できた

ーー日本でも2年ほど前にトランスジェンダーの主人公を人気俳優が体当たりで演じた映画(『ミッドナイトスワン』)が大きな話題を呼びました。ただトランスジェンダー役を、そうではない俳優が演じることの是非は、ハリウッドなどで今、論議の的にもなっています。(※以下、ティエッサの発言どおり「トランス」という表現を使用)

「私たちトランスの人間は、教育においても、就職においても、すごく差別を受けていて、いろいろな機会を拒否された経験をもっています。それを考えるとやはり、たとえば映画やTVドラマを制作する人に対して『どうしてトランスの人を起用しないの?』と感じるのは事実です。単にトランスだから、という理由ではなく、トランスの中にも才能のある人がたくさんいるからです。

 この『私はヴァレンティナ』の主人公は、私自身とは違う部分も多い。それでも私とヴァレンティナは、トランスの女性という根本を共有しています。ですからトランス女性としての体験が(演じる際に)ものをいってくるというのを実感できます」

ーーブラジルでも、トランスジェンダー役は当事者に、という意見があるのですか?

「数年前のTVドラマで、トランスの男の子をシスジェンダー(トランスではない人)の女性が演じ、とても大きな反響がありました。『おかしいんじゃない?』という批判がものすごく集まって、それ以降、制作サイドの人たちはキャスティングに注意深くなっています。トランスの役をシスの人が演じることについて、今のブラジルでは大きな議論が起こりますね」

ーー今回の『私はヴァレンティナ』の監督もその点を意識したわけですね。

「はい。監督は脚本を書く段階から、たくさんのトランスの人たちとコンタクトし、いろいろな話を聞いたそうです。『トランスの役が主人公であるなら、その人を深く理解し、置かれている状況を見据えなければいけない』と、つねに話していました。監督には感謝の気持ちしかありません」

ーーヴァレンティナと自分は違う部分も多いということですが……。

「ヴァレンティナは内省的なところがありますが、私はもっと外交的なんです。かと言って演じる際に自分を抑えるという感じではなく、撮影現場に行ったら、自分をいったん横に置いて、別の人を演じる。そんな感じで演技を楽しんでいました」

『私はヴァレンティナ』より
『私はヴァレンティナ』より

ーーもちろん劇中のヴァレンティナの経験に、自身の過去が重なる部分もあるわけですよね?

「ヴァレンティナは新しい学校への通学に不安を感じます。私の場合は、ちょっと遅いですけれど19歳でトランスとして生きることを決めました。大学へ通っていた時期です。その時点で、学校で元の名前で呼ばれてしまうことでパニックに陥ったり、学校に行きづらくなったりしました。そのあたりはヴァレンティナと共通ですね」

ーーヴァレンティナは、母親が大きな支えになって彼女の背中を押す部分もあります。

「そこは本当にうらやましいです! 私はそういう支えを経験していないので、たとえばネットとかで知識を得て、自分はどうするべきか試行錯誤してきたのです。じつは私は母のことを知りません。どこの誰で、どこに住んでいるのか……。しばらく前に追及したのですが、結局、私が9歳の時に亡くなっていました。自分を支えてくれる母がいれば、多くのプロセスがもっとスムーズだったかもしれません」

ーーそうなんですか。お父さんとの関係は?

「私がトランスへのプロセスを開始したとき、すごく拒否反応を示しました。そこからしばらく、父親からリスペクトを得るための闘争になり、今は一緒に生活していません。そうした冷たい関係が続いていましたが、この映画が公開された時、父からメッセージが届きました。『映画を観たよ。すごく良かったよ』と短いものでしたが、自分のことを認めてくれなかった父が、愛情を込めたメッセージを送ってくれてうれしかったですね。今でも一緒に生活するのは難しいですが、映画をきっかけに親子の愛を少しだけ感じることができました」

偏見を煽る大統領のせいで、まだまだ理解は進まない

ーーお父さんの反応からすると、ブラジルでこの映画は広く受け入れられたようですね。

「ブラジルでは、トランスの人たちについて、もっと議論を進めていく余地があります。ですが、そうした国でこのような映画が公開されれば、それだけでネガティヴな面よりポジティヴな面が優ると思います。映画は小さな一歩ですが、前進したことを実感しています」

ーー同性婚が認められるブラジルでも、トランスジェンダーとなると社会の対応は違うのでしょうか。

「現在の大統領がLGBTQへの差別を率先して煽りまくる人ですから。偏見を表明することに躊躇しない人も増やしている気がします。ブラジルでは、トランスジェンダーの人や異性装の人の殺害事件が世界で一番多いと言われます。私はこの映画の上映のためにスイスの映画祭へ行ったのですが、私のようなトランスの人間も違和感なく受け入れられることにものすごくびっくりしました。国が違うと、ここまで状況が違うのかと」

ーーあなた自身の人生も、この映画で大きく変わったのでしょうか?

「俳優になることは子供の頃からの大きな夢でした。今回のヴァレンティナ役にはオーディションで選ばれたのですが、たくさんの人が集まっていました。絶対に私なんて無理と思っていたのに受け入れてもらえたので、心も体も全部つぎ込む思いで、役を引き受けることにしたのです。映画が公開された後、SNSでものすごくたくさんのメッセージをもらいました。主に若いトランスの男の子や女の子で、両親との関係を悩んでいたところ、彼らにこの映画を観てもらったら、がらりと頭が切り替わったというのです。そういう話を聞くと、演技をすること、あるいはアートで表現することで社会に影響を与えると、映画の力を感じますね」

『私はヴァレンティナ』はトランスジェンダーの高校生が直面する現実を見据えながら、彼らに未来の道しるべを与える、つまり希望をもたらす作品になっている。トランスジェンダーを描く作品は、何かと負の部分、悲劇が強調されがちだが、青春映画としての前向きな後味が魅力である。

そして、その魅力を結実させたのは、ヴァレンティナ役、ティエッサ・ウィンバックであることは、映画を観たすべての人が認めるだろう。

映画のヴァレンティナとは、がらりとイメージを変えたティエッサ。
映画のヴァレンティナとは、がらりとイメージを変えたティエッサ。

『私はヴァレンティナ』

4月1日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

配給:ハーク 配給協力:イーチタイム

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映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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