4月21日は救助死した夫の命日 妻は語った「家族にとっては、美談じゃない」

救助死のあった現場の河原と注意喚起の看板(筆者撮影)

 溺れている人を助けようと水に飛び込み、自らの命を失う救助死。今から9年前に夫を亡くした女性は「家族にとって、救助死は美談じゃない」と訴える。溺れている人の命は当然大切だ。でも、救助に飛び込む人の命も大切なのだ。

突然の水難事故

 4月21日。この日は溺れた子供を助けようと水に飛び込んだ夫の命日。「見知らぬ子供だった。ランニング中の夫は子供を救いたいと、とっさに飛び込んだのかもしれないけれど」と岡真裕美さんは語り始めた。

 2021年のとある日、日本列島は全国的に暖かい春を迎えていた。真裕美さんは夫が命を落とした陽光の川岸にたたずみ、命日を前に明るい色の花を川の流れから見えるように手向けた。事故現場の改修工事が済んで、あの日よりも川の中に人が立ち入りにくくなったように感じた。

 図1のようにこの日は流れが穏やかで、膝のずっと下くらいの浅瀬が続き、川の中央付近に近づいても突然の深みはない。水温は22度。もしあの日の事故が今日だったら、子供たちがここに立ち入ることもなかったし、立ち入ったとしても溺れることはなかっただろう。そして大事な夫も命を失わずに済んだ。あの日から全て、何もかもが変わった。

図1 岡隆司さんが命を落とした現場(筆者撮影)
図1 岡隆司さんが命を落とした現場(筆者撮影)

 あの日、事故の日も例年よりも暖かく、穏やかな一日として過ぎるはずだった。事故は、大阪府茨木市を流れる安威(あい)川で発生した。2012年4月21日土曜日の午後2時頃のこと。夫の隆司さん(当時34)は安威川沿いをランニングするために堤防の上にいた。ちょうど茨木川と合流するあたりだった。

 水難事故は溺れている人を見ただけでは、それだと気がつかない。ただ、いきなり沈んで姿を消した人を目撃すれば、一呼吸置いて周囲の人たちは大騒ぎする。きっと陸にいた誰かが大きな声を出して、その声で周囲が異変に気がついたのだろう。隆司さんも気づいたうちの1人だった。目撃者によると、隆司さんは堤防の上から斜面を駆け下り、そのまま安威川の浅瀬に足をつけた。周囲にいた大人たちも同様に次々と川に入った。

 でも、その先に急な深みがあることに誰も気がつくことができなかった。最初の子供に続いて隆司さんも含めて次々とその深みに沈んだ。典型的な後追い沈水だった。

【参考】河川・湖沼池の多人数水難 原因は後追い沈水

非現実的な対面

 あの日、5歳だった息子と2歳だった娘の保育園の参観日だった。朝から、真裕美さんと隆司さんは2人の子供を連れて保育園に出かけた。ゴールデンウイークを思わせるような暖かく穏やかな日だった。保育園から家族一緒に自宅に戻り昼食。そして、真裕美さんは子供2人を休ませようとお昼寝させた。その時についつい一緒にうたた寝をした。

 隆司さんは、いつものコースのランニングに出かけた。お気に入りは、自宅からすぐの所に流れる安威川沿いだ。堤防の上は車が行き来するので、堤防から河川敷に下りる。河川敷の遊歩道を川に沿えば、車の通行を気にせずに走ることができる。

 「午後4時前には戻る」と言って出かけた。夕方には子供のスイミングスクールのある日で、隆司さんが子供をプールに送る予定になっていた。そもそも子供をスイミングに通わせると言いだしたのは隆司さんで、「肺が強くなるやん」というのが理由だった。時々訳のわからない解釈を並べる夫だった。

 4時になっても隆司さんは自宅に戻らなかった。真裕美さんは「おかしいな」と思った。「もしかしたらランニング中に、熱中症とかで病院に送られたかな?」といやな予感がした。もともと血圧が高めの体質だったことが気になっていた。隆司さんの携帯電話に電話をかけたら、自宅に置きっぱなしになっていることに気がついた。

 それから30分経っても戻らなかった。真裕美さんは、地元の茨木市消防本部に電話をかけた。隆司さんの特徴を伝えて、「救急車で運ばれた人で、一致するような人はいませんでしたか」と。

 何度か電話が転送されて、つながったのが救急病院。その電話で耳にしたのが「同じような特徴の男性の方が運ばれたが、すでにお亡くなりになっている」という回答。正しい状況がわからないのに、なぜか夫の死を覚悟した。そして何をしなければならないか、考えることもできなくなった。

 続いて茨木警察署から電話があった。「これから顔写真を自宅に持って行くので確認をお願いしたい」と。しばらくして自宅に到着した警察官が「顔写真を見てほしい」と写真を出そうとした時に、真裕美さんは「見たくないです」ととっさに言った。「でも、確認していただかないといけないので」と説得されて、渋々承諾した。

 なぜ説得してきたかというと、警察官の検視の段階で身元を証明するものを隆司さんが何も持っていなかったからだ。所持品はTシャツに半パン、その下のパンツ、靴下と靴、自宅の鍵だけ。だから、警察としてはまず顔写真で確証をとりたかった。

 確認したら、確かに遺体の顔写真は隆司さん本人だった。口が大きくあいていた。覚悟はできていたから、警察官から事故の経緯をしっかり聞くことができた。水難事故で子供を助けようとして溺れたことを理解した。

 隆司さんとの対面は、警察署の霊安室だった。地下にあって、暗く冷たい感じの漂う部屋だった。突然のことで、隆司さんのご両親をはじめ誰も到着できていない中、真裕美さんが一人で対面した。柔らかい病院のベッドの上での最期のお別れとは、全然違う現実。何もかも受け入れ難かった。

なぜ、飛び込んだのだろう

 真裕美さんは語り続けた。「夫はよく、力仕事の人ですかと聞かれることがあったんです。」隆司さんの身長は178 cm、体重は80 kgを超えていた。肩幅があり、がっしりした体格だった。屈強と言う言葉通りで、どう見ても力持ちに見えた。小さい頃から野球を続けていたり、学生時代から旅先でスクーバダイビングを楽しんだりもした。優れた体格と体力をふんだんに使って、陸上でも水中でも関係なく活動してきた。

 頭脳も明晰だった。大阪大学工学部に入学、大学院修士課程まで進み、原子力工学を学び修了した。続いてパナソニックに就職して、10年目の若き技術者として実力を発揮していた。「生きていたら、今は入社20年目ですね」と真裕美さんはつぶやいた。技術者としては黄金期のまっただ中にいて、活躍していたことだろう。「思考がデジタル的だと常々思っていたんです。」真裕美さんの言葉に、筆者は隆司さんは理系人間によく見られる、客観的に物事を考えるタイプだったんだと想像した。

 「なぜ夫は飛び込んでしまったのでしょうか。」真裕美さんは事故直後からずっと自問自答してきた。「泳げたし、力もあったし、背も高かったし、溺れるなんてきっと考えなかったでしょう。思考がデジタル的だから、何も考えずに飛び込むわけはないのにな。」

 事故からしばらくして、隆司さんの小さい頃からの友達が弔問に来てくれた。中学生の時、急病でプールに沈んだ友達を発見し、とっさに助けた、という話を聞かせてくれた。「ああ、そういえば、夫もそんなことを話していたことがあったっけ。きっとこういう体験が背中を押したのかな」とも思った。

 「夫が目の前で溺れている子供を見て、でも勇気が出なくて飛び込まなかったら、夫は心にトラウマを持つことになったかもしれません。でも私はね、飛び込まないでほしかった。」

これって美談なの?

 隆司さんの悲報を聞いて、真裕美さんの実家の両親が駆けつけた。両親は事故の翌朝にコンビニエンスストアですべての新聞を購入してきた。どの新聞にも事故の記事が掲載されていた。頭の中がぐちゃぐちゃの状態だったが、さらっと記事を読んだ。

 近所のどこかで取材したのだろう。「子煩悩で、子供をよく肩車していた」とか「近所の子供を集めて遊んでいた」とかいう文字が目に入った。「肩こりで肩が痛くて、肩車なんてできなかったよな。」記事と実際との乖離が全然飲み込めなかった。そのほかにもいろいろと書かれていたけれども、それ以降、記事には目を通していない。

 「これって美談なの?」冗談じゃない。私たちにとって大事な大事な夫でありお父さんが、突然いなくなったんだよ。他人から見れば、子供を救助しようとして命を捧げた人かもしれないけれども、家族からしてみれば「なんで、そんなことをしたの。」

救助死をなくすには前に進むしかない

 真裕美さんは、2013年に大阪大学大学院人間科学研究科修士課程に入学した。夫はなぜ救助に向かったのか、その心理が知りたかった。門を叩いた先が、安全行動学研究分野。メーカー勤務だった夫は、労働災害を未然に防ぐ教育をしっかり受けていたはずだ。すべての作業に入る前に安全を確認し、事故回避の手段を選んで行動していたはずだ。それを専門的に勉強したかった。

 そして事故を機に子供の安全行動学にも興味が向いた。子供の死因の多くを占める不慮の事故。普通に生活している中で、命を落とす子供がなんと多いことか。遊びの中で安全を確認し、事故回避の手段を選ぶことができれば、不慮の事故を防げるし、助けようとした人が救助死することもない。

立ちはだかる壁と解決法

 ここからは、筆者の私見を述べることをお許しください。

 子供の安全を追求していけば、当然子供だけで安全を守ることには限界があることに気がつきます。子供が成人するまでは、保護者としての介入は必ず必要になるし、自分の子供の安全について責任を持って取り組まなければなりません。例えば「川に子供だけで近寄ってはいけない」と自分の子供に言って聞かせ、常に介入するべきです。

 でも、すべての保護者が水難事故に対して必要な知識を持っているわけではないし、教育や介入の程度にしても温度差があります。そこをバックアップするのが公的な教育の役割です。例えば小学校を中心に夏休み前に行われる、ういてまて教室。いまや、実施していない学校の方が珍しくなりましたが、20年前には「プールが汚れるから、うちはしません」と壁を作る学校やプール施設が多かったのです。

 その壁を崩したのは、社会の理解です。ういてまてを実行できれば、親の介入の軽重にかかわらず水難事故に遭っても自ら命を守れること、周囲の人が慌てて飛び込むことがなくなり、救助死を防げることがわかったのです。隆司さんが亡くなった2012年からの9年間に、ういてまて教室がスピード感をもって全国の学校に普及しました。

 水辺の危険箇所の改修は進むものでしょうか。残念ながら、人がそこで命を落としたとしても、そうそう進むものではありません。なぜかというと「どう対策をしたら安全を高められるか」が未だわかっていないからです。「こうすれば、少しはましかもしれない」ということのために多額の税金を投入することはできないのです。ましてや川で遊ぶ人の安全を優先して、逆に水の流れが悪くなってしまったら、流域住民に危険が及びます。河川改修は流域全体のバランスを考えなければならないほどの大事業になります。

【参考】濁流ニモマケズ 日本一の大河を氾濫から守る改修事業

 図2に事故半年後の現場写真を示します。図1と比較すると、事故当時も含めてこの頃には中央付近にブロックを並べた床止め工があったことがわかります。ここのすぐ上流で安威川と茨木川が大きな高低差で合流するため、この付近の河床の洗掘(激しい水の流れで掘られること)を防ぐために設けられていました。

図2 事故半年後の安威川事故現場の様子。図1にはなかったブロックが中央付近に見られる(岡真裕美さん提供)
図2 事故半年後の安威川事故現場の様子。図1にはなかったブロックが中央付近に見られる(岡真裕美さん提供)

 事故当時の床止め工付近の河床の様子を、現場にて救助作業にあたった人の証言をもとに想像図として図3に示します。床止め工は上流側の河床の洗掘を防ぎますが、下流では洗掘が発生して、時には陸上からは想像できないほどの深さまで孔が掘られます。これを洗掘孔と呼びます。特に安威川の事故現場周辺ではかなり目の細かな砂で河床が覆われていますので、大雨の度に激しい流れで掘られてしまったのでしょう。

 当時、ブロックの上で遊んでいた子供たちが下流の洗掘孔で溺れ、その姿を見た隆司さんを含む大人が救助を試み、想定していたよりも深い現場で、結果的には後追い沈水をしたと思慮されます。

図3 水難事故現場の当時の河床の様子の想像図
図3 水難事故現場の当時の河床の様子の想像図

 事故現場となった安威川では上流にて2022年の完成を目標に安威川ダムが建設中です。これで大雨で想定される流域市街地の洪水被害を防ぎます。付随して安威川の河川改修が進んでいます。

 今では図1に示したように、事故現場からはブロックが撤去されています。洗掘孔が埋められて、全体的には膝下の水深の穏やかな流れとなっています。ブロック伝いに対岸へも行けなくなりましたので、川に不用意に入る人も少なくなりました。

基本は家庭教育

 真裕美さんは、2016年に修士課程を無事に修了。子育てとの両立は大変だったと思います。その後出身教室の特任研究員として、子供の安全啓蒙活動に尽力しています。特に、安全教育は学校に任せておけばいいというわけではなく、家庭の責務であるとして、PTAなどを対象にして保護者に自分の体験を交えつつ、子供の安全をテーマに話をしています。

 昨年度は、全国でプール授業がほとんどできなかった中で、子供の水難事故が目立ちました。コロナ禍において、家庭教育の重要性がますます上がっています。

※ 岡真裕美さんによる講演について、お問い合わせは水難学会事務局で受け付けています。jimu@uitemate.jp にメールにてご連絡ください。