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崩れた!?「金正恩の第1子は息子」説 第2子とされていた「ジュエ」が第1子ならば、後継者の可能性も

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
人民軍創建75周年の宴席で娘を真ん中に写真を撮る金正恩夫妻(労働新聞から)

 金正恩(キム・ジョンウン)総書記に一体、子供が何人いるのだろうか?金総書記が北朝鮮のリーダーになって10年以上経つのに依然として秘密のベールに包まれている。

 子供が少なくとも1人いることは間違いない。

 プロバスケットボール(NBA)の元スター選手、デニス・ロッドマン氏が2013年9月に訪朝し、金総書記の別荘に招かれた際に娘を紹介されていたからだ。さらに同一人物かは別にして、北朝鮮のメディアが昨年11月18日に大陸間弾道ミサイル「火星17」の発射場に金総書記と手を繋いで現れた女の子を「愛するお子様」「尊貴なお子様」と紹介していたこともそのことを裏付けている。

 巷間伝えられるところでは金総書記には子供が3人いることになっている。第1子が2010年生まれの13歳、第2子が2012年生まれの11歳、そして第3子が2017年生まれの6歳というのが定説になっている。

 韓国の情報機関(国情院)は昨年11月以来、頻繁に表舞台に登場している女の子についてロッドマン氏が紹介された「ジュエ(主愛)」と言う名の「第2子」と判断している。

 「ジュエ」はまだ11歳の割には図体が大きく、おしゃれをしている。こうしたことからもしかして第1子ではないかとの憶測もあったが、国会情報委員会の与党「国民の力」の幹事である劉相凡(ユ・サンボム)議員は国情院が第2子と判断した根拠について「背が高くて、図体が大きいとの国情院が持っていた既存の情報と一致していたから」と説明していた。

 国情院は第3子の性別は不明としながらも第1子についてはほぼ間違いなく「男の子」と特定していた。

 今年3月に開かれた国会情報委員会でも「第1子は息子と把握している」と報告していた。確証はないものの2010年当時に得ていた「フュミント(人的情報)と外国情報機関の情報と一致した」というのがその根拠になっている。

 ところが、最近になって「第1子長男説」が怪しくなってきた。と言うのも国情院が「確実ではない」と慎重な姿勢に転じ、また北朝鮮担当部署の統一部の権寧世(クォン・ヨンセ)長官にいたっては「『キム・ジュエ』と呼ばれる娘以外には確認されていない。息子がいるか確認できていない」と言い始めたからである。それに追い打ちをかけるかのように昨日、スイスから「第1子息子説」に懐疑的な情報がもたらされた。

 金総書記が10代の頃、即ち1998年から2000年までスイスのベルン国際学校に留学していた時の同級生、ジョエル・ミカエロ氏が米ラジオ・フリー・アジア(RFA)の電話インタビュー(24日)に金総書記から「男の子の話は全く聞かされなかった」と証言したのである。

 ミカエロ氏は金正恩政権が発足した年の2012年7月と翌2013年4月に2度にわたって金総書記に招待され、訪朝しているが、「息子の話は全く聞かされていない」とインタビューで答えていた。

 現在、スイスのレストランでコックをしているミカエロ氏は2012年に訪朝した時は金総書記が催した小宴で李夫人と妹の金与正(キム・ヨジョン)を紹介され、その際、金総書記から夫人が妊娠していることを直接聞かされ、翌年に再訪朝した際にも「妻が娘を産んだ」という話を聞かされたと語っていた。

 大ファンのデニス・ロッドマン氏も友人のジョエル・ミカエロ氏も金総書記からは娘を紹介され、また娘の話を聞かされても、息子の話は一切なかったということは、もしかすると、2013年までは子どもが1人だった可能性、即ち息子が存在していなかった可能性が考えられる。換言すれば、第2子と言われていた「ジュエ」が第1子の可能性が浮上する。

 仮に第1子の男の子が2010年生まれならば、李夫人が21歳の時に出産したことになる。

 李夫人は1989年9月28日生まれで、金総書記とは20歳になった2009年に結婚したと言われている。金総書記は2010年9月に開催された朝鮮労働党代表者会で初めて後継者として登場しているので二人の結婚はその1年前ということになる。

 筆者が得た情報では、二人の出会いは金総書記が2009年1月に李夫人が専属歌手となっている人民保安部(警察)合唱団の公演を初めて鑑賞し、一目ぼれしたことによる。

 李夫人は4か月後の2009年5月には結成されたばかりの「銀河水管弦楽団」に移籍し、ここでも専属歌手として舞台に上がっていた。

 「銀河水管弦楽団」は国内外のコンクールで優秀な成績を収めた15人のメンバーが所属し、平均年齢は20代で、当時労働新聞には「前途有望な青春楽団で、21世紀朝鮮の音楽芸術を代表する権威ある芸術団体」と紹介されていた。

 李夫人は2011年1月の銀河管弦楽団の新春講演会で「兵士の足跡」という歌を披露してた。また翌2月には中国大使館職員ら平壌駐在の外交官らを招いて銀河水管弦楽団の音楽会が開かれたが、朝鮮中央テレビには「リ・ソルジュ」という名の女性歌手がステージの正面で歌う姿が映しだされていた。ちなみにこの時、李夫人は実に意味深な曲名「まだ言えないわ」を披露していた。

 即ち、第1子を出産したとされる2010年の時点では李夫人はまだ現役の歌手として舞台に立っていたことになる。後継者になったばかりの正恩氏の妻でもあり、将来跡目を継ぐかもしれない1歳の幼子の母親でありながら果たして歌手との両立が可能だろうかとの疑問が沸く。

 李夫人が金総書記の妻としてお披露目されたのは「ジュエ」が生まれた年の2012年7月6日に行われた牡丹峰楽団の公演会場で金総書記の隣に座ってからである。牡丹峰楽団が米国映画をバックスクリーンで流し、またディズニーのキャラクターそっくりの着ぐるみが登場するなど異色の公演を披露し、世界に衝撃を与えたことはまだ記憶に新しい。

 北朝鮮のメディアはこの公演から19日後の7月25日に陵羅人民遊園地竣工式に金総書記と腕を組んで現れた李雪主氏を初めて「夫人」と紹介したが、それまでは李夫人は全く注目されることはなかった。結婚しているのか、子供がいるのか、誰も関心を払っていなかった。従って、2010年出産説は裏の取りようがないのが現実だ。

 どちらにしても第1子が息子か、娘かは国情院にとっては後継者問題が絡んでいるだけでなく、情報収集能力が問われるだけに早期に白黒を付けなければならない差し迫った問題であることには変わりはない。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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