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世界陸上ブダペスト大会、男子4×400mリレー。失敗したからこそ見えてきた、大きな可能性。

折山淑美スポーツライター
世界陸上1600mリレー。左から佐藤風雅、地主直央、佐藤拳太郎、中島佑気ジョセフ(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 8月27日まで行われた世界陸上選手権ブダペスト大会。75名が派遣された今大会の日本勢の中で、最も残念だと思ったのが大会8日目に行われた男子4×400m(マイル)リレーの予選敗退だった。

 04年アテネ五輪では、3位のナイジェリアに0秒09差で4×100mリレー(4継)とともに当時の過去最高の4位になった種目。4継がその後はメダルの常連国へと駆け上がっていったのに対し、マイルリレーは05年世界選手権ヘルシンキ大会以降は21年東京五輪まで、世界大会はすべて予選敗退という悔しさを味わってきた。

 その流れが変わったのは、昨年の世界選手権だった。

 前年の東京五輪では全体10番目で予選敗退ながら、96年に出した3分00秒76の日本記録に並んで2分台も見え始め、選手たちの意識もあがっていた。世界選手権では個人の400mにウォルシュ・ジュリアン(富士通)と佐藤風雅(那須環境技術センター、現・ミズノ)、川端人(中京大クラブ)がフルエントリーで出場し、ウォルシュと佐藤が準決勝に進出した。

 中島佑気ジョセフ(東洋大)を加えて臨んだ4×400mリレーも当初の目標は決勝進出だったが、予選第1組で19年世界選手権2位のジャマイカや21年東京五輪2位のオランダに先着し、3分01秒53でアメリカに次いで2位。第2組を合わせた全体でも2位のタイムで決勝進出と、一気にメダルが見える状況になった。決勝ではメンバーを変えてきたジャマイカや第2組1位のベルギーには届かなかったが、アジア新の2分59秒51を出して4位に食い込んだ。3走を務めたウォルシュは43秒91のラップタイムで走り、個人レースでも44秒台に入れる力を示したのだ。

 今季はエースのウォルシュを体調不良で欠いていたが、代役を果たしているのが15年から日本代表のリレーメンバーに名前を連ねるようになっていた、28歳の佐藤拳太郎(富士通)だ。東京五輪の日本タイ記録にも貢献したが、昨年はアキレス腱痛の影響もあって日本選手権は予選敗退で代表落ち。一時は引退も頭を過った。だが世界選手権のマイルチームのアジア記録樹立をテレビで見て、「今度は彼らとメダルを獲りたい」と思い、冬期は効率のいい走り方を徹底的に追求した。

 その成果がシーズン2戦目の静岡国際で、城西大3年以来8年ぶりの自己記録更新となる45秒31となって顕れた。そして7月のアジア選手権では日本歴代2位の45秒00を出して優勝し、日本人二人目の44秒台に肉薄した。

 ベテランが自ら作り上げた勢いは、本番になっても止まらなかった。佐藤は大会2日目の400m予選第1組でいきなり、高野進(東海大AC)が91年に出した日本記録を32年ぶりに0秒01更新する44秒77を出して周囲を驚かせた。さらに2日後の準決勝でも、予選では11秒45と不満だった100mの入りを目標通りに11秒16にし、後半は伸びず5位に止まりながらも44秒99と44秒台を2本揃えた。

 また予選第4組では、今年からミズノに入って競技環境も良くなった27歳の苦労人・佐藤風雅も、44秒97の自己ベストをマーク。準決勝では最初の100mを10秒96で入る攻めの走りをし、組4位ながらも44秒88と自己記録を再度更新した。さらに、今年の日本選手権優勝の中島も予選は組3位で通過し、準決勝では自己記録を0秒08更新する45秒04と、全員が自己新を出して勢いをつけた。

 個人の400mを終えて、目標だったマイルのメダルが一気に近づいてきたともいえる状況。だが、それ故の難しさもあった。昨年の世界選手権で混合マイルリレーを経験し、7月に自己記録を日本歴代10位の45秒19まで伸ばしていた岩崎立来(三重県スポーツ協会)が、直前のケガで代表を辞退したことも痛かった。

 結局大会8日目の予選は、7月下旬からのワールドユニバーシティゲームズで45秒58の自己新を出して4位になった、地主直央(法大)を1走に起用。そこから佐藤風雅、佐藤拳太郎、中島とつなぐオーダーになった。地主が46秒前後でつなげば、残り3人の力なら2分台は確実に出せて決勝進出は出来るという読みだった。

 だがレースに向かう重圧は、彼ら自身が想像していた以上のものになっていた。地主は「ユニバの経験を買ってくれての起用だったと思うけど、個人の400mをみてからは『やらなければいけない』という焦りが出て、体が付いてこなかった」という。また個人に出た3人も好記録続出で、周囲も自分たちもメダルの可能性が一気に高くなった感じでいた状態。準決勝終了後からマイルの予選までの中3日間あっただけに、その間で意識しないようにしても気持が高ぶって知らぬうちに疲労が溜まったり、いろいろ考えてプレッシャーを自分でより大きなものにしてしまうこともあっただろう。

 そんな負の要素がレースでは出てしまった。1走の地主は46秒49かかって7位スタート。完全に後手に回った3人は焦りも出てきて自分の走りは出来ず、ラップタイムも伸ばせない状況になった。結局4走の中島も、2分台の争いをする前の4チームには追いつけず3分00秒39の5位。タイムでの決勝進出の可能性も僅かに残ったが、次の第2組の4位が3分00秒23となり予選敗退が決まった。

 結果を見れば、地主をもっと楽な気持で走れる他の走順にすれば結果は変わったとも思える。ただ、個人の全員が予想以上にうまくいったからこそ、自ら掘ってしまった大きな落とし穴にはまったような結果になったとも言える。

 だが冷静に見れば、彼らが本気で「メダルを狙う」という気持で戦ったのは、今回が初めてのことだ。それを思えば、本物の悔しさを肌で知ったということは今後を考えれば貴重な経験にもなる。彼らは、「世界のメダルはそんなに簡単には獲れるものではない」という現実と、厳しさを存分に味わった。

 今やメダルは当たり前と見られるようになっている4継も、選手たちが最初にメダルを意識したのは00年シドニー五輪だった。翌01年の世界選手権では準決勝2番通過で、「メダルはほぼ確実」という状況になったが、決勝では3走がバトンパス直前にインレーンの選手の肘を胸に当てられるアクシデントがあり、5位(後に繰り上がって4位)になる悔しい結果も味わった。だがそれから決勝の常連になり、08年北京五輪でメダルにたどり着いた。

 それを考えれば今回の男子マイルチームは、今やっと本気でメダルを狙えるまでになった状態ともいえる。4継の後を追うなら、これからまず決勝の常連になることが必要だ。

 だが今大会の個人の大躍進は、その歩みを一気に進める可能性も示しているのは確かだ。長年届かなかった44秒台をベテランの域に入ろうとする、27歳と28歳のふたりの佐藤が突破したことは、後に続く選手たちの意識の壁を取り払った以上に「工夫してやれば自分たちも出来る」という、大きな勇気も与えるものにもなった。そんな選手たちがかつての4継のように、「マイルならメダルが獲れる」という意識を持って真摯に取り組むようになれば活性化にもつながり、マイルチームの未来への流れも出来る。

 今回走った選手や帯同した選手たちは、狙ってメダルを獲ることの難しさを痛烈に実感したからこそ、次のステージに上がることが出来たはずだ。「日本男子リレーは4継だけでは無い」と強く思う男子マイル。その未来への期待は、この失敗でより大きくなってきた。

スポーツライター

1953年長野県生まれ。『週刊プレイボーイ』でライターを始め、徐々にスポーツ中心になり、『Number』『Sportiva』など執筆。陸上競技や水泳、スケート競技、ノルディックスキーなどの五輪競技を中心に取材。著書は、『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)など。

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