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【座談会】山下文学と戦後農村(上)―軽みに隠されたしたたかな現実主義

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 農業界ではよく知られている農民作家の山下惣一さんが去る7月、亡くなった。86歳だった。佐賀県唐津市の玄界灘に面した村で農業を営みながら小説やエッセイを書いてきた。農民文学賞、地上賞を取り、直木賞候補になったこともある。作品は映画化されたり芝居になったものもある。百姓、いいかえれば小農こそが農の営みの本来の姿であり、自然と調和する生き方であると書き、語ってきた人だ。村には熱烈なファンがたくさんいる。最後の農民文学ともいえる山下文学をめぐる座談会をお送りする。

大野 和興(農業記者)

菅野 芳秀(山形 百姓)

西沢江美子(ジャーナリスト)

大野 山下惣一さんの人と文学について忖度なしで率直に語り合おうということで、百姓の立場から山形・置賜の菅野芳秀さん、女性の立場から山下文学をみたらどうなんだろうということでジャーナリストの西沢江美子さん、そして村を歩く記者大野和興が集まりました。今日は私が進行役を務めながら、山下文学の本質に迫ると言いますか、フレンドリーかつ辛辣な話し合いをしてみたいと思います。まずそれぞれ山下さんあるいは山下文学とどういう形で出会ったのかということから話を始めたいと思います。

◆メチャクチャおもしろい

大野 ではまず私から。私が山下さんの名前を知るのは1973年に出た山下さんの最初の本『野に誌す』だった。読み始めて、村の中からこれほどの書き手が出てきたということに打ちのめされてしまいました。せっかくフリーの記者になったのに、俺の存在価値なんてないじゃないか、という思いでした。とにかくおもしろかった。この本にはもうひとつ、中編小説が入っていたのですが、これもすごかった。朝鮮半島から密航してきた若い青年が住民に見つかって消防団が山狩りをする。青年は真っ暗な山の中を逃げまどうそのこと寂しさと恐怖感が実に見事に描かれていた。山下さんの真骨頂は、軽妙洒脱なエッセイよりここにあるんじゃないかと思った。当時の日本と朝鮮との関係が見事に描かれていました。それが山下さんとの直接ではないのだけれども出会いですね。

西沢 山下さんのところには何度も取材でいったし、家に泊めてもらったこともあるのですが、それより前にいつどういう形で出会ったか全く覚えていない。 しかしあの『野に誌す』に収録された小説はある意味でショックでした。朝鮮半島から密航してきた青年の息づかい、山村の人間関係、戦争中の日本と朝鮮との関係とかそれらがすべて含まれている。その事を映像に出来るくらい書いている。一番印象に残っているのは『減反神社』ですよね。減反を神社に祭り上げるなんて村に育たなければ絶対に思いつかない。私も村で生まれ、生きてきたから山下さんの感覚はストンとおりた。だけども山下さんの家に泊まりに行って奥さんに会ったりお母さんに会ったりしているうちにこの男は何なんだろうという疑問に思い出したのは事実です。

菅野 それは悪い方ですね。

西沢 そう悪い方。あとで話します。

菅野 おれは代々百姓の生まれだけど、三里塚、沖縄と放浪して25歳で家に戻って百姓になった。それまで山下さんのことは全く知らなかったですね。百姓になってから佐藤藤三郎さんと連絡を取り、そこで佐藤繁実さん、加瀬勉さん等が呼び掛けていた「全国農村活動者経験交流集会」に行ってみないかとの誘いをもらい、出かけた。それが農業問題を中心にして、東北から関東にかけて広く農民のネットワークとつながっていく最初のきっかけになった。そのつながりの中で、佐賀県の山下惣一さんの名前を知ったがそれ以上ではなかった。

同じころ、山口県下で発行されていた「農民新聞」を取り寄せた。その中に『惣一っちゃんの農村日記』という本の広告があり、それでは・・と取り寄せて読んでみたら、それがめちゃくちゃ面白い。それまで読んで来た農民が書いた文章とは傾向がまったく違っていた。それまでの文章は「農業問題」と正面から大真面目に取り組んでいる、硬~い文章だったような気がする。それらの文章を、俺も人後に落ちない大真面目で硬~い青年だったから、線を引き引き読んでいた。でも山下さんの文章は、大真面目であることには変わりはないが、切り取り方、取り上げ方がまったく違う。読みながら同調し、笑い転げているうちに農業問題の本質にも出会え、世界がぐんと広がっていく。そんな感じでしたね。 いっぺんに山下さんに持っていかれてしまった。

大野 確かにその通りで山下さんは茶化したり皮肉ったりしながら、物事の本質をぐいとつかみ取っている。その意味では大した筆力だなぁと感心する。茶化しや皮肉という表層をはぎ取ると、現実を直視するしたたかなリアリストが現れる。

西沢 確かに筆力といえば筆力なんだけれども、 山下さんのあの皮肉やユーモアはこれまでの百姓がみんな持っているものだと思う。 だけどそれを文字として表現できた人は少ないと思う。 そこに山下さんの真骨頂がある。

菅野  『惣一っちゃんの農村日記』の中にこんな話がある。当時、山下家で田んぼに脱穀機を運び込んで脱穀していた。100kg以上はある脱穀機を二人で担ぎ、田んぼから田んぼに移動していく。奥さんも山下さんもとっても難儀していた。山下さんは、妻にこれ以上苦労は掛けられないとハーベスターを買うことにした。そこに農業指導員が来て「そんな年に何回しか使わないものに、キャタピラついただけのものに52万円も出してもったいない、夫婦で担いで運べばいい。その分、10mで5万円になる。」という。そこから始まる奥さんと農業指導員の会話がめちゃくちゃ面白い。指導員は「正論」を。奥さんは「現実」を話す。やがて日本国中、「機械化貧乏」に入っていくのだけど、その農業の近代化の現実をおもしろおかしく、日常の会話の中で表現していく。俺は「そうだ、そうだ」と膝を打ち、笑いながら読んだ。すごい筆力。木村迪夫さんは、「山下さんはすべてを知ったうえで 正面から事を論ぜず、斜めから茶化して書く。俺はあれにはなじめないなぁ」と笑いながら話していたけど、木村さんは詩人で山下さんの朋友。その評価もおもしろい。

◆したたかな現実主義

西沢 山下さんを訪ねたとき、自分の田んぼや畑、みかん山を案内してくれたことがある。海に突き出た田畑は小さくて段々で、私の故郷の群馬の山村ほどではないけど相当なものだった。山下さんは、人が見る家の近くの畑は除草剤や農薬をあまりまかないできれいにしておくけど、ここはばんばん除草剤も播いているよ、とか言って、私も「農家はそうだよね。私も人が見るところはきちっとした」などと応じたのですが、当時山下さんと確か『地上』誌で往復書簡を交わしていた農業経済学者の大島清さんを同じところに案内して同じことを言ったら、彼は怒ったといっていた。エッセイでもそのことを書いていて、それを読んだ消費者の中には怒り心頭の人もいた。斜めから見て茶化すのも含め、本質をえぐりだす山下さん一流の挑発だと思う。

大野 佐藤藤三郎さんもしたたかな現実主義者だよね。どちらもひねくれもんで、皮肉ばかり言っているのだけれど、表現の仕方が違う。

菅野 東北の百姓から見たら、山下さんのようにヒネッタものにはなかなか馴染めなかったと思う。

大野 山下さんの本質はとてもまじめで、深く考えるひとだと思う。俺は自民党だけど大野は左翼だな、とかいうのだけれど、かれ、けっこう左に親近感を持っている。アジア農民交流センターとか「TPPに反対する人々の運動」とか、俺たち、いろいろ運動を立ち上げるわけね。その時、まわりで一番有名人は山下さんだから神輿になってもらおうと声をかける。山下さんは「俺はなにもやらんぞ」といいながら、すべてを飲み込んで神輿に乗ってくれた。そんな時の実戦部隊長は菅野さんで、山下さんと並んで共同代表。俺は百姓じゃないから事務局役と役割分担は決まっていた。いずれにしても山下さんという人は一筋縄ではいかない人だよね。

◆意外にまじめな人かも

大野 山下さんが書くものはいくつかの流れがありますね。村の日常や人と人との関係や農作業やといった身辺雑記の軽妙なタッチで描くエッセイ。その変種として、ぼくや菅野さんも一緒に行ったタイの村を歩く旅を書いた『タマネギ畑で涙して』という本。農村紀行はこう書くべきだといってよい傑作です。小説では山下さんの分身のような農夫也を主人公とする農村もの。小説ではその系列から外れたところで、先ほど挙げた密航青年を書いたもの、直木賞候補になった『減反神社』がある。

もう一つ、理論書がある。素晴らしい傑作だと思うのがNHK出版から出した『土と日本人』という、土と農業、土と人のかかわりを書いた本がある。その系列ではもう一つ、山下さんが証人として直接関わったみかん減反裁判の記録。これはみかん農民の闘いの記録としてたいしたものです。この流れでは「市民皆農」「身土不二の探求」といった本がある。

西沢 『土と日本人』はいい本だと思いますね。土論としてとても深い。私の後輩で大学時代に土壌肥料論を専攻して普及員になった人がいる。彼が山下さんの『土と日本人』をバイブルのようにしていた。日々土に触れ、土と語っていた人じゃないと書けない本だといっていた。

菅野 山下さんは意外と学究派だなあ、というところはありますよね。

大野 それで思い出したのだけど、今年1月、山形の上ノ山で、雪が降り積もる日、みんなで佐藤藤三郎さんの87歳になるまでの百姓人生を聞いたじゃない。あのとき佐藤さんがいちばん生き生きと得意げに話したのは、藤三郎は村で一番コメ作りがうまいと村の長老に評価されたというくだりだった。決して文章が評価されたとか本が売れたということではなかった。百姓というのは、そういうものなのだろうな、と感じ入ったのだけど。

菅野 それはありますね。俺ですら、長井市の西根というコメ作りが盛んな800戸ほどの村の農協青年部のコメづくり品評会で、腕に自信がある青年が50人くらい勢ぞろいするんだけれど、そこで三番目になったことがあった。それは画期的なことだったんですね。1番、2番の人は水系が違っていて、粘土質の田んぼだった。水持ちがいいんですね。俺の田んぼは砂質で、土が浅いし水持ちも悪い。その田んぼであの芳秀が三番になった。三里塚で暴れたあの菅野が、意外や意外、農業技術でも頑張っているじゃないかというので評価され、青年部での発言権を増した。 藤三郎さんのコメ作りは、村の中での発言力にも関わってくる。彼は文章だけではないと。

山下さんはあれだけたくさんの本を書き、忙しく講演活動もやっている中で、コメづくりやミカンづくりにも手を抜けない。村の人はそこを見てるからね。農協理事もやっていたよねえ。何のことだったかは忘れたけど、理事会でもそんな発言をするのですか、ときいたら、「するかい、そんなこと」と言っていたこともあった。きわめてまじめな理事として役をこなしていたんだと思う。それらをどのように帳尻合わせていたのだろうか?毎日、眼がまわる程の忙しさだったに違いないですね。

西沢 山下さんのお母さんはたいした人だったらしいですね。それに山下家そのものが地域の中で存在感のある家のようですね。

菅野 あの門構えを見るとそうですね。

西沢 山下さんの家では仏壇が置かれている一番いい部屋に泊めてくれた。多分菅野さんの家でも、お客さんは仏壇のある部屋に泊めると思うのだけど、天皇皇后の写真が飾られ、先祖代々の写真が並んでいる部屋です。その夜はお母さんも一緒に部屋に寝てくれ、朝早く仏様に茶をあげ、それからみんなにお茶を出した。昔なつかしい家のルールがすべてきちんと守られていて、たいした家だと思った記憶があります。(「上」終わり)

初出 アジア農民交流センター発行『百姓は越境する』No41所収(2022年12月18日)

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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