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【連載】現代史の中の農と食(第2回) 侵略は土と種から 大野和興

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 食料問題を考えるときの起点を私は米騒動に置いていることは本連載第1回で述べた。1918年7月、コメ高騰に怒った富山の漁村の女たちが立ち上がった。暴動はたちまち全国に波及し、民衆運動となった。1915年ロシア革命を目の当たりにした日本国家を震撼させた民衆の決起だった。

◆産米増殖とは何だったのか

 米騒動の再来をおそれた政府は食糧を国家管理のもとに置く政策に手を付ける。その一環としてコメの「北進南進政策」が提起され、北海道産米増殖、ついで植民地産米増殖計画が打ち出された。日本国家は帝国農業試験場の植民地におけるセンターを朝鮮と台湾に作ることから始めた。

 植民地統治下の朝鮮で日本帝国が遂行した産米増殖とはいかなるものであったか。読みやすく入手しやすいものとして趙景達の『植民地朝鮮と日本』(岩波新書)から引く。日本帝国の朝鮮統治の中枢、総督府はソウルの南にある水原に勧業模範場をつくった。ここを拠点にコメをはじめとする農業生産指導が始まる。

 産米増殖の狙いはコメ不足の日本への移出にあった。日本人のし好に合った「優良品種」が持ち込まれ、日本式肥培管理が「指導」された。「指導」には憲兵や巡査が動員され、定められた品種以外の栽培は禁止、苗代は踏みつぶされた。

 気鋭の農業史研究者藤原辰史の『稲の大東亜共栄圏』は植民地朝鮮と台湾を舞台とする「品種改良による統治」を「緑の革命の先駆的形態」として描く。「緑の革命」との違いは国家主義が色濃く反映されていることだ。

 藤原は朝鮮産米増殖の司令塔となった当時の育種学の最高権威寺尾博(農林省農業試験場長)の、「稲も亦大和民族なり」「育種報国」といった言葉が紹介している。当時朝鮮に持ち込まれた代表的品種は陸羽132号。宮沢賢治が「稲作挿話」でうたったあの品種である。

◆水も土地も

 日本が押し進めた産米増殖は品種だけにとどまらない。水利をはじめとする土地改良、肥培管理技術の改良を伴う。総督府が強引に進めた土地改良は韓国農民に多大な負債を負わせた。それに化学肥料の負担が加わった。韓国農民の窮乏化は進み、それに乗じて日本の団体・個人が土地を買い占めた。

 私がこうした事実の一端に初めて触れたのは40年来の友人である韓国自然農業の創始者趙漢珪(チョウ・ハンギュ)さんからだった。90年代初め彼はぼくを水原の農業試験場に連れて行き、日本が持ち込んだ「深耕多肥」こそが韓国の土をダメにした、日本は農業から韓国を侵略した、と話した。当時、趙さんとぼくはお互いに韓国と日本の村を案内しあったり、フィリピンやタイの村を一緒に歩いたりしていた。

 当時の日本はコメは自給できず、1935年で需要量1100万トンの内200万トンを植民地からの移入米に頼っている。産米増殖で増産されたコメは日本本土にまわされたが、それでも足りず、朝鮮は飢餓輸出に追い込まれた。不足分は中国東北地方からの粟輸入でまかなった。

 コメを移入するためには、それができる構造をつくらなければならない。日本政府は日本式稲作技術を持ち込むと同時に、収穫したコメを安く簡単に手に入れる仕組みをつくりあげた。日本が朝鮮に作った国策会社「東洋拓殖株式会社」がそれである。農地を半ば強制的に買収したり、借金のかたに取り上げるなどで大地主となった。日本の民間会社や民間人も巧みな方法で土地を入手し、大地主になったものが多い。

 そのやり方は、たとえば、次のようなことだった。日本人から金を借りた朝鮮人が金を返しに来る返済日になると、金を貸した日本人は時計に針を1時間くらい進めておき、約束の時間が過ぎていると言って土地を取ってしまう。(山辺健太郎『日本統治下の朝鮮』岩波新書1971年)。

 小作農となった朝鮮の農民は収穫の6割、場合によっては9割もの小作料を支払わなければならなかった。

 こうして、いわば土地もろとも強奪に近い形で手に入れたコメは、日本本土に運ばれ、安い価格で売られた。多い年には朝鮮のコメ生産量の3割から5割が日本へ運ばれた。当然、朝鮮は食料不足に陥った。

◆しわよせは日本の農民にも

 一方日本国内では植民地からの移入米増大で米価が下落、農民は困窮に陥った。佐賀の農民作家山下惣一は「1926年に一石(150k)40円していた米価が31年には17円に下がり、我が家でも牛2頭が借金のかたに差し押さえられた」と話している(山下・大野『百姓が時代を創る』七つ森書館)。

 政府は困窮する農民を中国東北部(満州)へ農業移民として送り出した。新天地のはずだった満州で与えられた土地は地元農民から取りあげたものだった。移民農民は日本帝国の中国侵略の最前線に送り込まれ、侵略戦争のお先棒を担がされた。品種改良による植民地統治の結末である。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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